第18話:王都『飢え』と『幻惑』
その頃。
エリアナ・ノエルがヴァイス国で「賢者」として称えられ、セオドア・アークライトという絶対的なパートナーと共に、国家事業という次のステージに進もうとしていた、まさにその時。
彼女を追放した王都アルビオンは、自ら捨て去った「叡智」の代償を、ゆっくりと、だが確実に支払わされ始めていた。
◇◇◇
王都アルビオン、王宮・玉座の間。
「―――どういうことだ! 説明しろ、宰相!」
ジュリアン・レイ・アルビオン王太子は、玉座から身を乗り出すようにして、眼下の老宰相に怒鳴りつけていた。
その顔は、リリアナの「歓喜の光」に当てられていた祝宴の時のような高揚感はなく、焦りと不機嫌に歪んでいる。
「殿下、ですから……」
宰相は、疲労困憊の顔で、手元の羊皮紙を震える手で掲げた。
「先日、地盤沈下で半壊した『第二穀倉地帯』の影響です。王都の小麦備蓄が、予測の三倍の速さで底を突き始めております!」
「それがどうした! 備蓄が足りぬなら、隣国から買えばよかろう! 我が国は大陸随一の豊かな国だぞ!」
ジュリアンは、まるで「お菓子が足りない」とでも言うような、あまりにも浅薄な口調で言い放った。
政治とは、魔術とは違う。金で叩けば解決する。それが彼の考えだった。 だが、老宰相は、絶望的な現実を突きつける。
「それが……できませぬ」
「はぁ? なぜだ!」
「王都だけではございません。この数ヶ月、大陸全土が、原因不明の異常気象に見舞われております。どの国も『凶作』気味で、自国の備蓄で手一杯……とてもではないですが、他国に売るほどの余裕は、どこにも……!」
「なっ……!」
ジュリアンは、初めて言葉に詰まった。
彼の頭の中では、「金さえ払えば、小麦などいくらでも手に入る」はずだった。 だが、現実は違う。
エリアナの「声(叡智)」が密かに調整していた、この国の「天候」や「地脈」のバランス。 その「番人」を失った影響は、王都アルビオンだけでなく、大陸全土の微妙なバランスさえも、ゆっくりと狂わせ始めていたのだ。 もちろん、ジュリアンにそれを知る由はない)
「と、とにかく、民衆を黙らせろ! 穀倉地帯の復旧を急がせ……」
「無駄です!」
宰相が、悲痛な声を上げた。
「地盤沈下は、地下水脈そのものが進路を変えたことが原因。一度崩れた畑を元に戻すには、それこそ年単位の治水工事が必要……。もはや、今年の、いえ、来年の収穫さえ絶望的です!」
「そ、そんな……」
王都の食糧庫は、半壊した。 他国から買うことも、できない。 じわり、じわりと、だが確実に。「飢え」という、最も原始的で、最も恐ろしい厄災が、王都アルビオンに忍び寄っていた。
王都のパン屋からは、日に日にパンが消えていった。 そして、闇市でのパンの価格は、エリアナが追放される前の、十倍にまで高騰していた。 民衆の不満は、もはやジュリアンへの賞賛では抑えきれないほど、高まっていた。
◇◇◇
王都、中央広場。 かつて、リリアナの「歓喜の光」に熱狂した民衆が、今や飢えと怒りに満ちた目で、王宮に向かって抗議の声を上げていた。
「パンをよこせ!」
「俺たちの食い物をどうしてくれるんだ!」
「聖女様はどこだ! 聖女様の『奇跡』で、パンを出してくれ!」
民衆は、リリアナの「光」が「万能の奇跡」であると、まだ信じ込まされていた。
「そうだ、リリアナ!」
玉座の間で、民衆の怒声に追い詰められたジュリアンは、唯一の「解決策」を思いついた。 彼は、玉座の陰で不安げに震えている、可憐な「偽りの聖女」の腕を掴んだ。
「リリアナ! お前の出番だ! お前の『奇跡』で、民衆を黙らせろ!」
「え……? あ、あの、ジュリアン様……」
リリアナの顔が、恐怖に青ざめる。
「で、ですが、わたくしの『光』は、その……お腹をいっぱいにすることは……」
「うるさい!」
ジュリアンは、彼女の言い訳を怒鳴りつけた。
「お前は『本物』の聖女だろうが! 聖女が『できない』などと言うな! あの不吉な『偽りの番人』を追い出したのは、お前という『本物』がいたからだぞ!」
「ひっ……!」
「いいから、やるんだ! お前の光で、民衆の『飢え』を消し去れ!」
ジュリアンは、リリアナの背中を強引に押し、王宮のバルコニーへと引きずり出した。
眼下には、飢えた数千の民衆。 リリアナは、半泣きになりながら、震える手で、彼女が持つ最大の「奇跡」を放った。
「み、皆様……! どうか、お心を安らかに……! 【歓喜の光】!!」
まばゆい黄金の光が、広場全体に降り注ぐ。 王都にいた頃の、エリアナの地味な功績とは比べ物にならない、派手で、美しい「奇跡」。 一瞬、民衆は、その「幻惑」の光に目を奪われ、高揚感に包まれた。
「おお……!」
「リリアナ様だ……!」
だが、その「高揚感」は、わずか数十秒しか持たなかった。 彼らの胃袋は、相変わらず空っぽだったからだ。
「……あれ?」
広場の最前列にいた、三人の子を抱えた母親が、我に返ったように呟いた。
「……光は、綺麗だけど……」
「……腹は、膨れないな」
隣にいた、日雇い労働者の男が、ゴクリと喉を鳴らして応えた。 その一言が、引き金だった。 高揚感(幻惑)から覚めた民衆の飢餓感は、反動で、より強烈な「怒り」へと変わった。
「そうだ! 腹が膨れるわけでもないのに!」
「光なんか見せられたって、腹の足しになるか!」
「俺たちはパンが欲しいんだ!」
「もしかして、あの聖女様……ただ『光る』だけなんじゃないのか?」
「あの『偽りの番人』様は、少なくとも、用水路を直して穀物を守ってくれたぞ……!」
「そうだ! 今年の小麦がダメになったのは、あの『番人』様を追い出したからじゃないのか!?」
「光よりパンをよこせ!」
「パンを! パンを!」
「幻惑」は、生命の危機(飢え)の前では、あまりにも無力だった。 リリアナの「光」は、民衆の怒りを鎮めるどころか、むしろ「火に油を注ぐ」最悪の結果を招いてしまった。
「な……なんで……」
リリアナは、バルコニーの上で、憎悪の視線を向けてくる民衆を見下ろし、ガタガタと震え始めた。
「ジュリアン様……! 効きません……!」
「馬鹿な! なぜだ! お前は『本物』の聖女だろうが!」
ジュリアンが、現実を受け入れられずに絶叫する。 二人が、自ら招いた「本物の厄災」の前で、狼狽し、立ち尽くしている、まさにその時だった。
◇◇◇
ドンッ!!
玉座の間の扉が、先ほどの宰相とは比べ物にならない勢いで、荒々しく開かれた。 血相を変えた、王宮騎士団の隊長が、鎧を鳴らしながら転がり込んでくる。
「も、申し上げます! 殿下!」
「今度は何だ! 私は今、忙しい!」 ジュリアンが、八つ当たり気味に怒鳴り返す。 だが、隊長がもたらした報告は、パンの価格高騰(内政)など霞んでしまうほどの、「外患」の始まりだった。
「東の国境結界が……! 結界が、破られました!」
「な……に……?」
ジュリアンの血の気が、引く。 東の国境結界。 それは、王都の防衛ラインの中で、最も古く、最も魔力消費が激しい、厄介な結界だった。
―――そして、エリアナ・ノエルが、「番人」として、毎月欠かさず、「匿名の報告書」という形で、魔力供給の調整と、補強箇所の「警告」を出し続けていた、最重要拠点でもあった。
「なぜだ! 維持管理はどうなっていた!」
「そ、それが……ここ一月ほど、司書官室からの、あの不可解な『補強勧告書』が、パタリと途絶えており……」
隊長は、まさかあの「地味な報告書」が、国の生命線だったとは夢にも思わず、ただ「手順通り」に魔力供給を続けていただけだった。 だが、「番人」の調整を失った結界は、魔力循環のズレに耐えきれず、ついに限界を迎えたのだ。
「―――結界に、巨大な『ヒビ』が入り、そこから、低級魔物の群れが、王都領内へ……!」
「……な……」
「すでに、東の開拓村が三つ、襲撃を受け、壊滅状態との報告が……!」
「飢え」に続き、「魔物の侵入」。 国を支えていた二本の柱――「食糧」と「安全」――が、エリアナという「叡智の番人」を失ったことで、同時に、そして致命的に、崩壊し始めた瞬間だった。
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