第16話:『至宝』への報いと、深まる『溺愛』
ヴァイス国の王宮は、数百年ぶりに取り戻した「本当の空」の下、歓喜の祝祭ムードに包まれていた。
「古代の呪い」が完全に調和され、国を覆っていた鉛色の瘴気は消え去った。首都の民は、降り注ぐ本物の太陽の光と、清浄な魔力が大地から湧き上がる感覚に、涙を流して喜んだ。
そして今日、その最大の功労者を称えるための式典が、王宮の「大謁見の間」で執り行われようとしていた。
「…………」
エリアナ・ノエルは、控室で自分の姿を鏡に映し、深い深いため息をついていた。
王都で着ていたインク染みの司書官服ではない。
ヴァイス国の王宮が「賢者様のために」と総力を挙げて用意した、最高級のシルクで織られた、深く、知的な青色のドレス。 灰色の髪は丁寧に結い上げられ、地味な眼鏡だけが、かろうじて彼女がエリアナ・ノエルであることの証だった。
(……私なんかが、こんな場所で、こんな服を……)
王都での「偽りの番人」という罵声と、ジュリアン殿下の侮蔑に満ちた視線が、まだ記憶にこびりついている。 あれから、まだ一月も経っていない。
それなのに、ここでは「国の救世主」「叡智の賢者」と呼ばれ、国王陛下直々の叙勲を受けるという。 あまりの落差に、まだ頭がついていかなかった。
「エリアナ様、お時間です」
助手のリタに促され、エリアナは重い足取りで「大謁見の間」へと向かう。
扉が開かれると、眩いほどの光と、数百人もの貴族や魔導師たちの視線が、一斉に彼女に突き刺さった。 だが、その視線には、王都で浴びた「嘲笑」や「侮蔑」は一切含まれていない。
そこにあるのは、純粋な「感謝」と「尊敬」、そして「畏怖」だった。
玉座には、この国の頂点に立つ、セオドアの父――国王アルベリク・ヴァイスが、威厳に満ちた姿で座していた。
「賢者エリアナ・ノエルよ。よくぞ参った」
その声は、セオドアの冷徹さとは違う、大地を震わせるような重い響きを持っていた。
「そなたの叡智と勇気が、この国を数百年の永きにわたる苦痛から解き放った。この功績、いかなる言葉をもってしても足りぬ」
エリアナは、王都で身につけた作法(王太子にすら疎まれていたため、実践する機会はなかったが)に従い、完璧な淑女の礼をとる。
「……もったいなき、お言葉です。陛下」
「うむ」
国王アルベリクは満足げに頷くと、玉座の隣に立つ息子に視線を移した。
「セオドア。そなたが『見出し』、『選び』、そして共に戦った『至宝』だ。叙勲は、そなたの手で行うがよい」
「御意に」
セオドアが、一歩前に進み出た。
彼は、エリアナが地下で見た「天才魔導学者」の興奮した顔でも、呪いから守ってくれた「戦士」の顔でもない。
「氷の王子」としての完璧な礼装に身を包み、その表情は絶対零度の理性に満ちている。
彼は、侍従が持つ盆の上から、ヴァイス国で最高位の栄誉とされる「青き賢者のブローチ」を、その手袋をはめた手で厳かに取り上げた。
そして、エリアナの前に静かに跪く。
「え……っ!?」
エリアナは息を呑んだ。王子が、自分に跪いている。
「エリアナ・ノエル」
セオドアは、戸惑う彼女の目線を、その金色の瞳で射抜くように見つめた。
「ヴァイス国全土の民に代わり、その叡智と献身に、心からの感謝を」
彼は、王都でジュリアンが『古書』を叩き割ったのとは比べ物にならない、丁重で、どこか壊れ物に触れるかのような手つきで、エリアナのドレスの胸元に、その青く輝く勲章を留めた。
(……この人は、また……)
王都で追放された日。 私を「賢者」と呼び、跪いて手を差し伸べてくれた、あの時と同じ。 この人は、私の「価値」を、私自身よりも深く信じてくれている。 エリアナの目頭が、じわりと熱くなった。
◇◇◇
式典は熱狂のうちに幕を閉じ、エリアナはようやく「賢者の塔」の自室に戻ることができた。
「はぁ……」
ドレスからいつもの司書官服(ヴァイス国で新調された、上質で機能的なもの)に着替えると、ようやく呼吸ができる気がした。
(疲れた……)
人前に立つのは、呪いと対峙するのとは別の意味で、精神力を消耗する。
彼女は、ソファに深く沈み込み、目を閉じた。 その時だった。 コンコン、と控えめなノックの後、許可を待たずに扉が開かれた。
「……セオドア様?」
そこに立っていたのは、式典の礼装を脱ぎ捨て、いつもの黒い研究着に着替えた「氷の王子」だった。
「ああ。少し時間があるか」
「は、はい。もちろんです」
エリアナは慌ててソファから立ち上がる。だが、セオドアはそれを手で制した。
「いや、いい。座っていてくれ。……君は、どうやら『疲れ』ているようだ」
「え?」
セオドアは、まるで未知の生物を観察するかのように、エリアナの顔をじっと見つめている。
「先ほどの式典から、今この瞬間に至るまで、君は非常に『効率の悪い』顔をしている。眉間のシワ、目の下のわずかなクマ、血色の悪さ。総合的に判断して、パフォーマンスが三割は低下している」
「も、申し訳ありません……」
王都での癖で、エリアナは咄嗟に謝罪の言葉を口にした。 地味で、暗い。ジュリアン殿下に、いつもそう罵られてきた。
この人にとっても、私は「効率の悪い」存在なのだ。
「いや、責めているのではない」
セオドアは、エリアナの思考を読み取ったかのように、首を振った。
「君は我が国の『至宝』であり、君のパフォーマンス低下は、すなわちヴァイス国の研究効率の低下に直結する。―――これは、早急に解決すべき問題だ」
「は、はぁ……」
(また、合理的な理屈が始まった……)
エリアナが戸惑っていると、セオドアは、まるで「仕方がなく」という風情で、懐から小さなビロードの箱を取り出した。
「これを」
「……?」
エリアナが恐る恐る受け取ると、その中には、息を呑むほどに美しい、銀細工の髪飾りが入っていた。 ヴァイス国の清浄な魔力を象徴するような、小さな青い宝石があしらわれている。
「こ、これは……? あの、勲章は先ほど……」
「勲章は『国』からだ。これは『私』からだ」
「え?」
「いや、違うな」
セオドアは、何かを猛烈に訂正するかのように、わざとらしく咳払いをした。
「合理的に考えて、君のその灰色の髪は、地味すぎる」
「―――っ!」
エリアナの肩が、びくりと震えた。
(地味……!)
やはり、そうだ。王都のジュリアン殿下と同じ。この人も、私の地味な容姿が「王子の隣に立つ者」として、不満なのだ。 胸が、チクリと痛んだ。 だが、セオドアの言葉は、エリアナの予想の斜め上を行くものだった。
「いや、地味なのではなく、『保護色』になっている、と言うべきか」
「……ほごしょく?」
「そうだ。その色は、この『賢者の塔』の書庫の壁や、古い羊皮紙の色と酷似している」
セオドアは、心底不可解だという顔で、続けた。
「昨日も、私が集中して術式を解析している時、君が背後の本棚の前に立っていることに気づかず、危うく魔力インクを君の頭に垂らしそうになった」
「え、そ、そうだったんですか!?」
「ああ。極めて非効率的だ。私が誤って『至宝』を汚損するなど、国家的な損失だ」
彼は、その美しい髪飾りを指差した。
「合理的に考えて、君には『識別可能なマーカー』が必要だと判断した。この髪飾りは、そのためのものだ。……ただ、それだけだ」
「…………」
エリアナは、開いた口が塞がらなかった。
(こ、この人は……)
こんなにも美しい芸術品を、「マーカー(目印)」と言い切った。 しかも、その理由は
「自分がインクを垂らさないため」。 完璧なまでに「合理的」な理屈。 ―――だが、その理屈があまりにも不器用で、回りくどくて、そして優しいことに、エリアナは気づいてしまった。
彼は、「プレゼントだ」と素直に言えないだけなのだ。
エリアナの口元に、王都では決して見せることのなかった、心からの笑みが、ふわりと花開いた。
「……ありがとうございます、セオドア様。とても、嬉しいです。大切にします」
「―――っ!」
その笑顔を見た瞬間、セオドア・アークライト・ヴァイスの「氷の王子」としての仮面が、ピシリ、と音を立てて凍りついた。 いや、フリーズした。
彼の天才的な頭脳が、エリアナの「笑顔」という「非合理的な現象」によって、処理能力の限界を迎えたのだ。
「……あ、いや、だから、これは『投資』だと言っている」
「はい。最高の『投資』ですね」
「そ、そうだ。そ、それと、その髪飾りには、私の魔力で『思考安定化』と『精神疲労軽減』の術式も刻んでおいた! 君のパフォーマンスが向上すれば、私の研究効率も上がる! ギブアンドテイクだ!」
「まあ……! そこまで……!」
「わ、私は、次の研究があるので、これで失礼する!」
セオドアは、エリアナの返事も待たず、まるで魔物に追われているかのように、猛スピードで部屋を退出していった。
バタン! と閉まった扉を見つめながら、エリアナは、くすくすとおかしそうに笑い続けた。
◇◇◇
一人残された部屋で、エリアナは、贈られたばかりの髪飾りを、そっと灰色の髪に挿してみた。
ひんやりとした金属の感触と共に、セオドアの魔力が、温かく彼女の頭を包み込むのが分かる。
(……温かい)
王都では、誰も彼女に贈り物をくれる人などいなかった。 彼女は、窓辺に歩み寄り、完全に調和した「叡智」――「古書」と「石碑」のネットワークに、意識を向けた。 それは今や、この「賢者の塔」の魔力循環システムと完全に同化し、エリアナの思考に、いつでも応えてくれる良き「パートナー」となっていた。
(ありがとう。あなたたちのおかげで、私は今、ここにいます)
エリアナが心の中で語りかけると、すぐに、脳裏にクリアな「声」が響いた。 もはや、王都で聞いていた悲鳴のような「警告」でも、地下で聞いた「嘆き」でもない。
穏やかで、知的で、そしてエリアナを信頼しきった、澄んだ「報告」だった。
『―――叡智ノ調和ヲ感謝スル、解読者。魔力循環ハ、正常ニ復帰。安定稼働ヲ確認』
「本当によかった……。これで、この国も……」
エリアナが、安堵の息をついた、その時。 『声』は、淡々と、しかし重大な事実を続けた。
『ダガ、新タナ課題ヲ検出』
「え?」
エリアナの表情が、安堵から「賢者」のそれへと、瞬時に切り替わる。
『声』は、ヴァイス国の全土をスキャンした結果を、冷静に報告した。
『魔力循環ハ安定。シカシ、大地ソノモノノ栄養(地脈)ガ、過去ノ瘴気汚染ニヨリ枯渇状態ニアル』 『特ニ、北ノ不毛地帯ノ損傷ガ著シイ。要、改善』
「北の不毛地帯……!」
エリアナは、窓の外、首都のはるか北に広がる「死の大地」を思い浮かべた。 瘴気こそ晴れたが、呪いの影響で、草一本生えない場所だ。
「呪い」を解いた今なら、あの土地も、きっと――― エリアナの瞳に、新たな「責務」――王都で負わされていた「枷」としてのそれとは全く違う、「希望」に満ちた「次なる挑戦」への光が宿った。
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