第14話:セオドアの『盾』とエリアナの『解』
『ワレラト……ヒトツニ……ナレ……!』
怨嗟の「声」と共に、玉座の足元から放たれた数十本の「黒い触手」が、生き物のように空間を裂き、エリアナへと襲いかかる。
それは、瘴気という気体ではない。数百年の憎悪が凝縮し、物理的な質量を持った「呪い」そのものだった。
「あ……っ!」
エリアナは、金縛りにあったかのように動けない。
王都で向けられた、ジュリアンの嘲笑や民衆の侮蔑とは比較にならない、純粋で絶対的な「悪意」。魂ごと取り込まれ、「新しい生贄」にされるという本能的な恐怖が、彼女の思考を麻痺させた。
―――その、瞬間。
エリアナの視界が、眩いほどの「氷」の色に染まった。
「――― "Alk-etor・Slidus" !!(絶対凍土・固定結界)」
セオドア・アークライト・ヴァイス。
彼がいつ動いたのか、エリアナには認識できなかった。
気づいた時には、セオドアはエリアナの真正面に立ち、片手を触手の群れへと突き出していた。 彼の詠唱に応え、ヴァイス国最強の魔導学の粋が、純粋な「防御障壁」として顕現する。
それは、リリアナの「光」のようなまやかしではない。この世のあらゆる物理法則を「固定」し、拒絶する、青白い魔力の氷壁だった。
ゴガガガガガガガッッ!!
黒い触手の先端が、セオドアが展開した「絶対凍土」の結界に激突し、甲高い断末魔のような音を立てて弾かれる。 凄まじい衝撃波が、地下空間全体を揺るがした。
「……っ」
エリアナは、自分の背中がセオドアの胸に守られる形で、かろうじて立っていた。
すぐ間近にある彼の背中は、氷の魔術を行使しているとは思えないほど、熱く、岩のように揺るぎなかった。
「エリアナ」
セオドアの声は、背後にあるエリアナに向けられたものだというのに、相変わらず冷静で、冷徹ですらあった。
「君という『至宝』をここで失うのは、我が国にとって最大の損失だ」
彼は、触手の猛攻を防ぎきりながら、淡々とそう告げる。
その言葉は、いつもの彼が口にする「合理性」や「投資効率」の話と、何ら変わらない響きを持っていた。
だが、エリアナには分かった。
彼女の前に立つ、セオドアの横顔。 その金色の瞳は、いつもの冷静な「氷の王子」のものではなかった。
自らが「至宝」と定めた存在を、「新しい器」などという不条理な理由で奪おうとする「呪いの核心(怨念の塊)」に対し、明確な「怒り」と「守護」の意志を宿して、獰猛なまでにギラついていた。
この男は、「合理的」という仮面の下で、今、猛烈に怒っている。
(……私を、守ってくれて、いる……)
王都では、誰も彼女を守ってはくれなかった。
「聖約」という名の「枷」はあっても、ジュリアンが彼女の前に立つことは一度もなかった。 だが、今、目の前の男は、「契約」に基づいていると言いながら、その身を挺して、彼女を「呪い」の物理攻撃から守り抜いている。
◇◇◇
「セオドア様……」
エリアナは、彼の背中に守られたまま、恐怖で麻痺していた思考を、必死で再起動させた。
(違う……! 違う!)
セオドアの障壁に阻まれた「呪いの触手」は、破壊されるとすぐに新たな瘴気を集めて再生し、さらに激しく結界を叩き始めた。 怨念の核となっている『初代番人』の絶望が、攻撃されるたびに増幅しているのだ。
セオドアは、それを予測していたかのように、防御障壁を展開したまま、空いている左手で、カウンターとなる「攻撃術式」を空間に描き始めた。
おそらく、先日の「表層クリーニング」で使った、『ルクス・ヴァーテ(禁忌の反転魔術)』の、さらに強力なものだろう。
だが、エリアナは、それが「最悪の選択」であることに気づいていた。
(ダメだ……!)
彼女は、セオドアの魔力に守られた安全地帯から、再び「声」に意識を集中させた。
耳を澄ます。 怨念の核が上げる、おぞましい絶叫。 『石碑』が発する、同胞を失った「嘆き」。
胸元の『古書』が震える、「友」を止められなかった「後悔」。
それらは、セオドアの攻撃術式に反応し、恐怖と憎悪をさらに強めている。
「攻撃」ではない。 これは、数百年間、誰にも届かなかった「助けて」という悲鳴なのだ。 力ずくで「破壊」しようとすれば、この「嘆き」はさらに暴走し、それこそ玉座の怨念ごと、この地下空間全体を崩壊させかねない。
セオドアの「魔導学(知性)」は、目の前の脅威を「破壊」する方向に向いている。 だが、エリアナの「叡智(声)」は、この悲劇の「本質」を理解していた。
「セオドア様、違います……!」
エリアナは、攻撃術式を完成させようとしていたセオドアのローブの裾を、強く掴んだ。
「この呪いは『破壊』できません!」
「……何?」
セオドアは、エリアナの言葉に、わずかに眉をひそめた。だが、術式を発動させる手は止めない。
障壁の向こう側で、触手の攻撃がさらに激しさを増している。
「合理的な判断をしろ、エリアナ。あれはもはや『嘆き』ではない。我々を排除しようとする『敵性存在』だ」
「違います!」
エリアナは叫んだ。
「あれは『嘆き』です! 数百年前に初代国王に裏切られ、この『石碑』と引き裂かれ、生贄にされた『初代番人』の、絶望の叫びなんです!」
◇◇◇
その言葉に、セオドアの左手が、ピタリと止まった。
彼が描き上げた、完成寸前の攻撃術式が、発動されることなく空間に留まる。
「……どういうことだ?」
彼は、障壁を維持したまま、エリアナに説明を求めた。 エリアナは、セオドアの絶対的な防御に守られていることを信じ、恐怖を振り払い、彼の障壁越しに、苦しみ続ける「呪いの核心」をまっすぐに見据えた。
「必要なのは、力でねじ伏せる『浄化』ではありません。初代国王が『永遠の繁栄』という欲望のために、相棒を裏切った結果が、あれなんです!」
エリアナは、胸元の『古書』の破片と、目の前の「石碑」を交互に指差す。
「あの『石碑』も、私の持つ『古書』も、元は一つの『完全な叡智』でした。それを王が引き裂き、片方の番人を『生贄』にした……!」
セオドアの金色の瞳が、驚愕に見開かれる。彼もまた、その「真実」の重さに息を呑んだ。
「だから、必要なのは『破壊』じゃない……!」
エリアナは、セオドアに向き直った。
その瞳には、もう恐怖の色はない。 この国を、そしてこの悲劇に囚われた魂たちを救うという、「賢者」としての強い決意だけが宿っていた。
「必要なのは、二つに引き裂かれた『叡智』を、私たちが、今ここで再び繋ぐこと!」
「そして、あの人の魂を、数百年の苦しみから解放する、『調和』の聖句です!」
エリアナは、セオドアのローブを掴んでいた手を離し、彼に向かって、自らの両手を差し出した。
「私に……力を貸してください!」
セオドアの青白い魔力障壁が、触手の猛攻で軋み始めている。 だが、エリアナは構わず叫んだ。
「あなたの『魔導学』と、私の『声』で、この悲劇を終わらせます!」
お読みいただき、ありがとうございます!
面白い、続きが気になる、と思っていただけましたら、 ぜひブックマークや、↓の【★★★★★】を押して評価ポイントをいただけますと、 執筆の励みになります!
(※明日の更新も20:00です)




