第13話:呪いの『核心』と『古書』の嘆き
「賢者の塔」の最上階。
エリアナに与えられた光あふれる執務室は、彼女が王都で過ごした地下書庫の陰鬱さとは無縁の、穏やかな空気に満ちていた。
丸一日、深い眠りに落ちていたエリアナは、助手のリタが用意した滋養に富む温かなスープをゆっくりと味わっていた。
極度の集中と情報奔流による消耗は、セオドアが手配した万全の医療体制と休息によって、完全に回復していた。
「……体調は、万全です」
エリアナは、傍らで分厚い魔導書を検めていたセオドアに向き直り、きっぱりと告げた。
ずれた眼鏡を押し上げるその仕草は王都にいた頃と同じだが、その瞳に宿る光は、もはや「おどおどとした司書官」のものではなかった。
自らの「声」の価値を知り、それを必要としてくれる唯一無二のパートナー(セオドア)を得た、「賢者」の瞳だった。
「そうか」
セオドアは、魔導書から顔を上げた。
「では、行くぞ。エリアナ」
彼の金色の瞳は、広場の民衆に向けられていた「冷徹な王子」のものでも、エリアナを介抱していた「合理的な庇護者」のものでもない。
この国の、数百年にわたる「病巣」との最終対決を前にした、「天才魔導学者」としての極限の集中を宿していた。
「貴女の『叡智』が、我が国の『核心』に触れる。……油断はするな」
「はい」
二人は、助手のリタの心配そうな見送りを背に、再び「中央魔力循環炉」の最下層へと向かった。
◇◇◇
「……空気が、違う」
循環炉のメンテナンス用階段を降りていくにつれ、エリアナは眉をひそめた。
先日の、あのすさまじかった瘴気は、嘘のように薄れている。二人が行った「表層クリーニング」によって、循環炉の表面を覆っていたおぞましい呪詛のタールは剥がれ落ち、機械は本来の(それでもまだ不気味な)重低音を取り戻していた。
だが、最下層。
あの巨大な「石碑」が眠る空間に足を踏み入れた瞬間、エリアナは息を呑んだ。
瘴気そのものは薄れている。だが、その代わりに、空気がまるで鉛のように重く、濃密な「何か」で満たされていた。
それは、魔力汚染という物理的な現象ではない。 純粋な「悪意」と、出口のない「嘆き」。
「……表層の『ノイズ』が消えたことで、大元の『音源』がハッキリと聞こえるようになった、ということか」
セオドアが、冷静に分析する。 彼は、エリアナの前に立ち、自らの魔力で「浄化」とは異なる、純粋な「物理防護結界」を展開した。先日の瘴気とは、明らかに「質」が違うと判断したからだ。
二人は、空間の最奥部へと進む。
そこは、循環炉が建造される遥か以前、この国の始まりの場所。 ヴァイス国の初代国王が、建国を宣言したとされる、古の「玉座」が置かれていた場所だった。
風化した巨大な石造りの玉座。
そして、その玉座の「背後」に、まるで背もたれのように聳え立っているのが、あの巨大な「力の石碑」だった。
先日の浄化作業で、表面の呪詛は剥がれ落ちている。だが、石碑そのものが、まるで泣いているかのように、黒く、湿ったオーラを放っていた。
「セオドア様……あれは……」
エリアナの視線は、玉座そのものに釘付けになった。 玉座は、空ではなかった。
そこには、数百年の時を経て、もはや人としての原型を留めていない、「何か」が座っていた。
黒い瘴気を放つ、まるでミイラ化した怨念のような「塊」。
「……ヴァイス建国史には、こう記されている」
セオドアが、忌々(いまいま)しげに、その「塊」を睨みつけた。
「『初代国王アルトリウスは、この地にて "力の石碑" を発見し、玉座を据え、永遠の繁栄を誓った』……と」
「永遠の、繁栄……」
エリアナは、その言葉に、胸元の『古書』の破片が、冷たく、悲しく脈打つのを感じた。 彼女は、何かに導かれるように、セオドアの結界から一歩踏み出し、その玉座に近づいた。
「エリアナ、待て!」
セオドアの制止は、届かない。 彼女は、王都から持ってきた『古書』の石版を、玉座の背後にある巨大な「石碑」に、そっと触れさせた。
◇◇◇
カチリ、と。 再び、二つの「叡智」が接続される。
だが、流れ込んできたのは、術式ではなかった。 それは、「記憶」だった。
『古書』と「石碑」。 二つに引き裂かれた「片割れ」が、数百年ぶりに再会し、エリアナという「通訳者」を通して、互いの悲劇を語り始めたのだ。
『…………アア……』
脳裏に響いたのは、「石碑」の「声」。
それは、先日のような苦痛の悲鳴ではない。 同胞を失った、底なしの「嘆き」だった。
『……ヤクソクシタノニ』
『エイエンノ、ハンエイヲ……。ダガ、ソノ "カギ" ハ……』
その「声」に呼応するように、エリアナの胸元の『古書』が、激しい「後悔」の念を発した。
『…………ワタシノ、セイダ』
『ワタシガ……"カレ" ヲ……トメラレナカッタ……』
(え……?)
エリアナの脳裏に、鮮明な「過去の映像」が流れ込んでくる。
―――それは、数百年前の、この場所。
玉座には、野心に燃える若き「初代国王アルトリウス」が座っていた。
そして、その傍らには、二人の「相棒」がいた。 一人は、巨大な「力の石碑」に手を当て、国の魔力を制御する、屈強な男。ヴァイス国の『初代・石碑の番人』。
もう一人は、『建国の叡智の書』(=エリアナの『古書』の完全な姿)を抱え、未来の厄災を読み解く、賢者の女。アルビオン王国の『初代・古書の番人』。 彼らは、王と共に、この国を築いた「仲間」だった。
だが、王は「永遠」を求めた。
「石碑」の力と、「古書」の叡智。
その二つを組み合わせれば、「永遠に繁栄する国」を「人為的」に作れるのではないか、と。 彼は、「古書」が警告した『禁術』のページを盗み見た。
『―――国そのものを一つの生命体とし、永遠の魔力を循環させる禁術。
ただし、起動には "同質の叡智" を持つ、生きた "魂" を "楔" として捧げ、魔力炉の「核」とする必要がある―――』
王は、決断した。
彼は、自らの相棒であった『初代・石碑の番人』を、欺いた。
「永遠の繁栄のためだ」と。
「この玉座こそが、お前の力を最大限に発揮できる場所だ」と。
そして、何も知らずに玉座に座った『石碑の番人』を、そのまま「禁術」の生贄として、玉座ごと「力の石碑」に縫い付けたのだ。
『アアアアアアアアアアアッッ!!』
「石碑」の「声」が、当時の絶望を追体験するように、エリアナの脳を焼く。
相棒であった『石碑の番人』は、玉座の上で絶叫しながら、その魂ごと魔力循環炉の「核」へと変えられた。
「力の石碑」は、自らの片割れとも呼べる「番人」が、目の前で、自分自身の力によって「呪い」の核に変えられていくのを、ただ見ていることしかできなかった。
そして、『古書の番人』(賢者の女)は。 彼女は、王の凶行を止めようとした。だが、王は彼女から『古書』を奪い取り、その強大な力で二つに引き裂いた。
「お前の『警告』はもう要らん」
王は、未来を記す『警告の書(=古書)』を、遠い地(=のちの王都アルビオン)へ追放した。 そして、力を司る『制御の石(=石碑)』だけを、このヴァイス国に残した。
禁術は、暴走した。
生贄にされた『石碑の番人』の魂は、「嘆き」と「怨嗟」によって、国王アルトリウスが望んだ「永遠の繁栄」ではなく、「永遠の苦痛を撒き散らす呪い」の発生源となった。
それが、この『中央魔力循環炉』の、そして玉座に座る「ミイラ化した怨念」の正体だった。
『……ワタシノ、セイ』
『古書』の「声」が、後悔に震える。
『ワタシガ、トメラレナカッタ……。ダカラ、ワタシハ "ケイコク" シツヅケルシカナイ……』
(だから、王都の『古書』は、警告だけを……)
『……カエセ』
「石碑」の「声」が、憎悪に染まる。
『ワタシノ "ドウホウ(トモ)" ヲ……。コノクニニ、"エイエンノノロイ" ヲ……!』
(だから、ヴァイス国の『石碑』は、苦痛の瘴気を……)
どちらも、元は国を守るための「叡智」だった。 それが、王のたった一つの「欲望」によって引き裂かれ、片方は「後悔」に、もう片方は「嘆き」に、数百年も苛まれ続けていたのだ。
◇◇◇
「……そう、だった、の……」
エリアナの目から、涙がこぼれ落ちた。 王都の「聖約」も、ヴァイス国の「呪い」も、すべては人間の身勝手な欲望が、偉大な「叡智」とその「番人」たちを踏みにじった結果だったのだ。
「エリアナ、下がるんだ! それ以上は危険だ!」
エリアナの様子が尋常でないことに気づいたセオドアが、結界を最大にしながら叫ぶ。 だが、遅かった。
エリアナが「真実」に到達し、涙を流した、その瞬間。 玉座に座っていた、あの黒い「塊」―――生贄にされた『初代・石碑の番人』の、怨念の集合体が、ピクリと動いた。
『…………ミツケタ』
それは、『古書』の「声」でも、『石碑』の「声」でもない。 瘴気の奥底から響く、数百年分の怨嗟が凝縮した、禍々(まがまが)しい「呪い」そのものの「声」だった。
『…………アタラシイ……』
黒い塊が、ゆっくりと「顔」を上げる。 その視線は、セオドアを通り抜け、まっすぐにエリアナだけを捉えていた。
『……アタラシイ…… "ウツワ" ……』
(え……?)
エリアナは、金縛りにあったように動けなかった。
「呪い」は、エリアナが『古書』の力を宿す、初代の番人たちと「同質」の魂であることに気づいたのだ。 この数百年の苦しみから解放されるための、新しい「生贄」として。
「まずい!」
セオドアが、エリアナの体を強引に引き戻そうと手を伸ばす。 だが、それよりも早く。
ゴボォッッ!! 玉座の足元、黒く淀んでいた濃密な瘴気が、まるで生き物のように一斉に立ち昇った。
それは、怨念の集合体が物理的な形を取った、無数の「黒い触手」だった。
「エリアナッ!!」
セオドアの絶叫が響く中、数十本もの「呪いの触手」が、エリアナの体を「新しい器」として取り込むべく、猛烈な勢いで襲いかかった。
『ワレラト……ヒトツニ……ナレ……!』
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