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第七章 金色の鳥籠、静寂のデュエット

『インペリアル・スパイア』最上階での生活は、奇妙な静けさに満ちていた。豪華な食事、趣味の良い調度品、窓の外に広がる絶景。物質的には何一つ不自由のない、まさに金色の鳥籠。だが、私の歌は、完全に封じられていた。


「おはよう、ルシィ。よく眠れたかしら?」

朝食のテーブルで、リリアンがいつもと変わらない天使の微笑みを向けてくる。私たちの間には、見えない壁が存在していた。彼女は私を『客人』として丁重に扱うが、決して心の奥底は見せない。そして、私の行動は、常に部屋にいる侍女姿の監視官によって、厳しく制限されていた。


「リリアン。いつまで、私をここに置いておくつもり?」

「さあ?それは、あなたと、あなたの可愛い騎士クンたちの行動次第、かしらね」


彼女は紅茶を一口飲むと、テーブルに置かれた情報端末を私の方へ滑らせた。画面には、帝都のニュースが映し出されている。私が起こした電波ジャック事件は『一部の過激派によるテロ行為』として報道され、街は軍の徹底的な管理下で、表面上の『平穏』を取り戻しつつあった。そして、その平穏の象徴として、リリアン・アンジェールのチャリティ・コンサートが、数日後に開催されると大々的に告知されていた。


「シルヴァンは、躍起になって『アルス・ノヴァ』の残党を探しているわ。特に、あなたの騎士クン……カイトとか言ったかしら。彼を捕らえれば、あなたを完全にコントロールできると思っている」

「……!」

「でも、安心して。今のところ、彼らはうまく地下に潜っているみたい。シルヴァンの猟犬たちも、まだ尻尾を掴めてはいないわ」


リリアンは、全てを知っていた。彼女の情報網は、シルヴァン率いる思想文化統制局と、ある意味で同等か、それ以上のものなのかもしれない。

「あなたは何がしたいの?帝国を変えたいと言ったけど、あなたのやり方は、結局シルヴァンと同じじゃない。民衆を、あなたの歌でコントロールしようとしている」

「違うわ」


リリアンは、初めて強い口調で否定した。

「シルヴァンが見ているのは、チェス盤の上の駒だけ。でも、私はその駒の一つ一つに、心があることを知っている。だから、私のやり方は『支配』じゃない。『導き』よ」

彼女は、窓の外に視線を移した。

「私は、この帝国で生まれ育った。私の歌で、人々が笑顔になるのを見てきた。でも、その笑顔が、帝国に与えられた偽りの幸福の上にあることも、ずっと分かっていた。だから、変えたいの。血を流さずに。憎しみではなく、愛と希望の歌で、この国を本当の意味で一つにしたい」


その瞳は、真剣だった。彼女もまた、自分なりの正義と覚悟をもって、この戦いに臨んでいるのだ。だが、その理想は、あまりにも純粋で、そして危ういように私には思えた。


帝都の地下深く。古代遺跡の一角を改造した『アルス・ノヴァ』の新しいアジトで、カイトは苛立ちを募らせていた。

「くそっ!地上は完全に封鎖されてる!これじゃ、ルシィを助け出すどころか、外の様子をまともに探ることもできねえ!」


通信兵のレオが、苦々しい表情で報告する。

「帝国のサイバー部隊が、地下の通信網にも干渉を始めている。奴ら、本気で俺たちを根絶やしにするつもりだ」


メンバーたちの間に、重苦しい空気が流れる。リーダーを失い、地上から隔離された私たちは、まるで袋のネズミだった。焦りと不安が、少しずつ皆の心を蝕んでいく。

その空気を断ち切ったのは、バートさんだった。彼は、一枚の設計図のようなものをテーブルに広げた。


「地上へのルートは、一つだけではない」

「……どういう意味だ?」

「この遺跡は、かつてクローディア王国が、帝国との有事に備えて築いた秘密の避難経路の一部だ。そして、その経路の一つは、帝都の中枢……『インペリアル・スパイア』の地下動力炉に繋がっている」


その言葉に、全員が息をのんだ。

「本当かよ!?」

「ああ。だが、道中には帝国の最新式の警備システムが張り巡らされている。突破は容易ではない」

バートさんは、険しい顔で続けた。

「リリアン・アンジェールのコンサート当日。帝都の警備が、中央広場に集中する。その隙を突いて、我々は動力炉へ侵入する。目的は、姫様の奪還。そして……」


彼は、もう一枚、別の資料を提示した。それは、リリアンのコンサートが、帝都全域に生中継される際の、放送システムの構造図だった。

「再び、帝国の電波を奪う。そして今度こそ、姫様の歌声を、帝国全土に届けるのだ。リリアンという聖女の仮面を剥がし、帝国の欺瞞を、姫様の歌で暴き出す」


それは、あまりにも無謀な作戦だった。だが、今の私たちには、それしか残された道はなかった。

「……やるしか、ねえな」

カイトの目に、決意の光が戻っていた。

「ルシィを、俺たちの歌姫を、あんな鳥籠から連れ出してやるんだ!」

「「「応!!」」」

闇の中で、仲間たちの心が、再び一つになった。


コンサート前夜。ペントハウスのバルコニーで、私は一人、帝都の夜景を見下ろしていた。眼下の中央広場では、明日のコンサートのためのステージが、煌々と輝いている。


「……眠れないの?」

背後から、リリアンの声がした。彼女は、薄いナイトガウン一枚という、無防備な姿だった。

「あなたの仲間たち、何か企んでいるようね」

「……」

「シルヴァンも、それを待っている。明日のコンサートは、ただの音楽イベントじゃない。全てのプレイヤーが、それぞれの思惑を持って集う、決戦の舞台よ」


彼女は、私の隣に立つと、同じように夜景を見つめた。

「ねえ、ルシィ。もし、全てが終わったら……あなたと私、二人で一緒に歌ってみたいわね」

「え……?」

「この帝都でも、あなたの故郷でもない、どこか静かな場所で。誰のためでもなく、ただ、私たちのために」


それは、彼女が初めて見せた、偽りのない本心のように思えた。帝国の聖女でも、革命の駒でもない、ただの『歌が好きな少女』としての、ささやかな願い。だが、私たちは、もうそんな夢を見ることのできない場所に立ってしまっている。


「……明日のステージ。あなたは何を歌うの?」

私の問いに、リリアンは少しだけ間を置いてから、答えた。

「皇帝陛下が、お作りになった曲よ。『新生帝国のためのアンセム』」


その言葉に、私は戦慄した。皇帝自らが作った歌。それは、帝国の絶対的な正義と栄光を謳い上げる、究極のプロパガンダソングに違いない。それを、リリアンの聖なる歌声で、帝国全土に響かせる。それは、私の歌で目覚めかけた人々の心を、再び深い眠りへと誘う、強力な子守歌となるだろう。


「……あなたも、帝国の駒なのね。結局は」

「そうよ」

リリアンは、自嘲するように笑った。

「私は、皇帝陛下という絶対的なキングを守るための、クイーン。それが、私に与えられた役目。……たとえ、そのキングが、もう壊れかけているのだとしても」


彼女の言葉の意味を、私は測りかねた。ただ、その横顔が、これまで見たどんな時よりも、悲しく、そして美しいと思った。二人の歌姫は、言葉を交わすことなく、ただ静かに、決戦前夜の夜景を見つめていた。それは、束の間の、そして最後の、静寂のデュエットだった。鋼鉄の空の下で、それぞれの譲れない想いを胸に、運命の朝を待っていた。

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