第五章 鋼鉄の空に響くレジスタンス
静寂。帝都の時間が、止まったかのようだった。
道行く人々は足を止め、広場で談笑していた若者は言葉を忘れ、建物の中から窓の外を眺めていた者たちは身を乗り出す。全ての視線が、街中に設置された巨大モニターに注がれていた。皇帝の顔が映るはずのそこにいるのは、見慣れない一人の少女。地下アイドル『ルシィ』。今は『魔女』と囁かれる存在。
『アンダーグラウンド・リベルテ』のバックヤード。私たちの間に合わせの司令部では、緊張が極限まで高まっていた。
「やったぞ!電波ジャック成功だ!」
ヘッドセットをつけた通信兵――元クローディア王国の技術士官であるレオが、拳を握りしめる。彼の額には、びっしりと汗が浮かんでいた。
「だが、長くはもたん!帝国のサイバー部隊が、もうこちらの位置を特定しようと動き出している!残された時間は、もって数分だ!」
「十分だ」
隣でライフルを構えたバートさんが、短く答える。
「リュシア様。お覚悟は、よろしいか」
「……はい」
私は頷き、モニターに映る自分自身の姿を見つめた。今、この瞬間、帝都中の何十万、何百万という人々が、私を見ている。これから私が発する言葉、紡ぎ出す歌が、この革命の行方を、そして多くの人々の運命を左右する。
「ルシィ」
カイトが、私の肩にそっと手を置いた。
「いつも通り、あんたの歌を、あんたの心を、ぶつけてやればいい。俺たちが、後ろにいる」
彼の言葉に、仲間たちが力強く頷く。そうだ。私は、カメラの向こうにいる顔も知らない大衆のためだけに歌うのではない。目の前にいる、このかけがえのない仲間たちのために。彼らが信じてくれた、私の歌を。
私はマイクを握りしめ、息を吸った。そして、静かに語り始めた。アカペラで歌う前に、私の言葉を、私の意志を、直接届けたかった。
「帝都の皆さん。私の名前は、ルシィ」
私の声が、帝都中に響き渡る。人々は、戸惑い、あるいは訝しむように、その声に耳を傾けていた。
「帝国は、私の歌を『呪いだ』と言います。私の歌が、皆さんの心を乱し、平和を脅かすのだと」
「……でも、考えてみてください。今のこの街に、本当の平和がありますか?本当の心がありますか?」
私は、カメラを通して、人々の瞳に語りかけるように続けた。
「帝国が与える『秩序』とは、心を殺して生きることではありませんか?言いたいことも言えず、見たいものも見えず、ただ灰色の毎日を繰り返す。それは、生きていると言えるのでしょうか」
街のあちこちで、人々が息をのむ気配がした。誰もが心の奥底で感じていた、しかし口にはできなかった言葉。それを私が代弁したからだ。
「私は、皆さんの心を乱したいわけじゃない。ただ、思い出してほしいだけです。皆さんの心の中に眠っている、本当の色を。本当の声を。喜び、怒り、悲しむ……人間らしい、その心を」
「だから、歌います。これは呪いの歌じゃない。皆さんの心を解き放つための、歌です!」
その言葉を合図に、バンドの演奏が爆音と共に始まった。選んだ曲は、この日のために書き下ろした新曲。タイトルは、『レジスタンス』。
思想文化統制局。シルヴァンは、肘掛け椅子に深く身を沈め、モニターに映るリュシアの姿を、冷たい瞳で見つめていた。
「……愚かなことを」
彼の隣で、部下が狼狽したように報告する。
「閣下!ただちに放送を遮断しますか!?」
「いや、いい」
「しかし!」
「泳がせろ、と言ったはずだ。彼女が何を歌い、民衆がどう反応するのか……実に興味深い。それに」
シルヴァンは、口元に酷薄な笑みを浮かべた。
「彼女たちが巣食うネズミの巣の場所は、もう特定できている。いつでも、踏み潰せる」
彼は、別のモニターに視線を移した。そこには、リリアン・アンジェールが、チャリティ・コンサートのステージ袖で出番を待っている姿が映っていた。彼女の顔は、不安そうに強張っている。
「リリアンには、予定通り歌わせろ。民衆に、どちらの歌が『本物』か、選ばせてやろうじゃないか」
シルヴァンの頭の中では、すでにこの騒乱の結末が描かれていた。リュシアの歌で一時的に昂ぶった民衆は、その過激さにやがて恐怖を覚える。そこに、聖女リリアンの癒しの歌声が響けば、彼らは安寧を求めてそちらに靡くだろう。そして、思想を扇動したテロリスト『ルシィ』とその一派は、民衆の支持を失ったところで、帝国正義の鉄槌によって裁かれるのだ。完璧な筋書き。そう、彼の計算通りならば。
帝都に響き渡る、私の歌声。それは、これまでの嘆きや祈りの歌とは全く違う、激しいロックサウンドだった。帝国の圧政に対する、明確な『否』。奪われた自由を取り戻すための、力強い『闘争宣言』。
――鋼鉄の空 鎖に繋がれ
――飼い慣らされた カナリアは鳴かない
――『幸福』という名の 甘い毒を飲まされ
――翼の存在さえも 忘却の彼方
街角で、一人の若い労働者が、握りしめた拳を天に突き上げた。アパートの窓から、老婆が涙を拭いながら、小さく手拍子を打っている。私の歌は、人々の心に眠っていた抵抗の炎に、油を注いでいた。
――だけど聴こえるだろう!? 魂の鼓動が!
――心の奥底で 錆びついた扉を叩く音が!
――立ち上がれ! 今こそ鎖を断ち切る時だ!
――俺たちの空を 俺たちの手で取り戻すんだ!
サビのシャウトと共に、帝都の空気が震えた。それは、ただの音楽ではなかった。私の声に宿る『力』が、電波を通して増幅され、聴く者全ての闘争本能を、勇気を、極限まで引き出していたのだ。
「うおおおおおお!」
誰かが叫んだ。それを皮切りに、街のあちこちで、歓声と雄叫びが上がり始めた。人々は、モニターに向かって拳を突き上げ、私の歌に合わせて叫んでいる。それはもう、熱狂ではなかった。紛れもない、蜂起の始まりだった。
「……いかん」
シルヴァンの眉が、初めて動いた。彼の計算を、リュシアの歌が、そして民衆の熱が、大きく超え始めていた。民衆は、癒しや安寧を求めていなかったのだ。彼らが本当に求めていたのは、この理不尽な世界に対する『怒り』を、正当化してくれる誰かの声だった。
「ゾルバ隊を突入させろ!今すぐだ!」
シルヴァンが叫ぶ。
その頃、『アンダーグラウンド・リベルテ』の周辺では、すでに戦闘が始まっていた。電波ジャックの発信源を特定した治安維持部隊が、ライブハウスに殺到していたのだ。
「第一防衛ライン、突破されました!」「敵の数、多すぎます!」
バートさんの指揮の下、仲間たちが必死に応戦するが、帝国の物量の前には、多勢に無勢だった。
「レオ!放送はまだ続けられるか!」「もう限界だ!あと30秒で回線が断たれる!」
バックヤードまで、銃声と怒号が響いてくる。もう、時間がない。私は、最後の力を振り絞って、カメラの向こうの民衆に叫んだ。
「私の歌は、ここで終わるかもしれない!でも、皆さんの心に灯った炎は、決して消さないで!」
「戦ってください!自分の心のために!未来のために!」
「私たちの革命の名は!『アルス・ノヴァ』だ!」
その言葉を最後に、帝都中のモニターから私の姿が消え、再び皇帝の肖像が映し出された。だが、もう遅かった。火は、すでに帝都中に放たれていた。あちこちで、人々がバリケードを築き始め、治安維持部隊と衝突する。プロパガンダ放送を流すスピーカーが、次々と破壊されていく。帝都は、内戦の様相を呈し始めていた。
「……ここまでだ、姫様」
背後から、銃口を突きつけられる。バックヤードのドアは破られ、ゾルバ率いる治安維持部隊がなだれ込んできていた。カイトもバートさんも、武器を持った兵士たちに取り押さえられている。
「魔女め。帝都をここまで混乱させるとはな」
ゾルバが、憎々しげに私を睨む。
「だが、お前の歌も、ここまでだ」
私は、静かに目を閉じた。負けた。でも、後悔はない。私の歌は、確かに届いたのだから。
その時だった。
「待ちなさい」
凛とした声が、場に響いた。兵士たちが割れ、その間から一人の人物が歩み出てくる。純白のドレスに身を包んだ、天使のような少女。
「リリアン・アンジェール……!」
帝国のトップアイドルが、なぜ、こんな場所に?彼女は、私の前に立つと、その大きな瞳で、まっすぐに私を見つめて言った。
「あなたの歌、聴かせてもらったわ」
「……」
「一つ、聞かせて。あなたは何のために、歌うの?」
その問いに、私は、静かに、しかしはっきりと答えた。
「全てを奪われた人々のために。そして、私自身の、誇りのために」
私の答えを聞いたリリアンは、ふっと微笑んだ。それは、モニターの中で見せる作られた笑顔ではなく、どこか寂しげで、人間らしい微笑みだった。そして彼女は、周囲の兵士たち、そして私でさえも、予想だにしなかった行動に出た。リリアンは、私の隣に立つと、ゾルバに向かって毅然と言い放ったのだ。
「この人は、私が預かります。皇帝陛下の、ご命令です」




