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第四章 革命の名はアルス・ノヴァ

思想文化統制局、シルヴァンの執務室。ホログラムモニターに、音の波形を示すいくつものグラフが映し出されていた。それは先日のライブでリュシアが歌った、クローディア王国の国歌を解析したものだ。


「……信じがたい」


シルヴァンは、白い手袋に包まれた指で顎に触れながら、呟いた。解析結果は、彼の怜悧な頭脳をもってしても、容易には理解しがたいものを示していた。

「特定の倍音成分が、聴覚野を介さず、人間の大脳辺縁系……つまり、情動を司る領域に直接干渉している。強制的に闘争本能を抑制し、共感性を増幅させる効果があるとしか考えられない」


まるで魔法だ、と彼は思った。いや、古代に失われた『音響魔法』の類かもしれない。クローディア王国は、表向きは小規模な農耕国家だったが、その王家には古くから伝わる『歌』に纏わる秘密がある、という記録を読んだことがあった。


「危険すぎる」


シルヴァンはモニターを消した。リュシア・エル・クローディア。彼女の存在は、帝国の『秩序』を根幹から破壊しかねない、最優先で排除すべき脅威だ。だが、同時に、彼の知的好奇心を強く刺激する、極上の研究対象でもあった。


「力でねじ伏せるだけでは、信奉者を増やすだけだ。民衆とは愚かで、弾圧される悲劇のヒロインを好むものだからね」

彼は部下を呼び寄せ、冷徹な声で命じた。

「噂を流せ。『地下の歌姫ルシィは、亡国クローディアに伝わる魔女の末裔。その歌は、人心を惑わし、破滅へと導く呪いの歌だ』と」

「はっ」

「同時に、リリアン・アンジェールに、大規模なチャリティ・コンサートの準備をさせろ。テーマは『癒しと救済』だ。帝国の聖女が、魔女の呪いに怯える民衆を救う……実に分かりやすい絵だろう?」


光と闇。聖女と魔女。民衆という単純な観客は、そういう二元論を好む。シルヴァンは、ルシィという劇薬を、リリアンという甘い砂糖菓子で無力化するつもりだった。物理的にではなく、社会的に。彼女が立つステージそのものを、民衆の中から奪い去るために。


『アンダーグラウンド・リベルテ』は、戦いの爪痕が生々しく残っていた。しかし、その光景に悲壮感はなかった。カイトを始めとする、あの夜ライブハウスにいた若者たちが、自主的に集まって修復作業を進めていたからだ。壊れたテーブルを直し、床を磨き、壁の穴を塞ぐ。その額には汗が光り、表情は活気に満ちていた。もはや彼らは、ただのファンではない。同じ目的のために集った『仲間』だった。


店の奥にあるバックヤードで、私とカイト、そして店長のバートさんは、小さなテーブルを囲んでいた。

「……まず、私の口から話しておくべきことがある」

バートさんが、重々しく口を開いた。彼は鋭い目で私をまっすぐに見据える。

「私の本名は、バートラム・シュタイナー。亡国クローディア、国王陛下直属近衛兵団の元副団長だ」

「……!」


息をのむ私に、バートラム――バートさんは、深く頭を下げた。

「あの日、王城が陥落した際、陛下と王妃殿下をお守りできず……リュシア様をお一人で逃してしまったこと、万死に値します。申し訳ありません」

「そんな……顔を上げてください、バートラム。あなたが無事でいてくれただけで、私は……」


彼の口から語られたのは、驚くべき事実だった。父王は、帝国の侵攻を予期しており、敗北を覚悟した上で、信頼できる部下たちを国内外に潜伏させていたという。いつか来る反撃の日のために。そして、私を守るために。


「帝国内には、今も私のように息を潜めている、王国に忠誠を誓う者たちがいます。軍人、技術者、役人の中にも。彼らと連携を取るべきです」

「父様が……そんなことまで……」


知らなかった。私は、たった一人で逃げ延びたのだとばかり思っていた。父と母に繋がる、見えない絆が、まだこの世界に残っていたのだ。


話を聞いていたカイトが、興奮した様子でテーブルに乗り出した。

「すげぇ……!じゃあ、俺たちはもう、ただのファンクラブじゃねえ!本格的にやれるってことか!」

彼は私に向き直り、真剣な目で言った。

「ルシィ。いや、リュシア様。俺たちはもう、あんたに守られてるだけじゃダメなんだ。俺たちが、あんたの剣になり、盾になる。そのための、名前が欲しい。俺たちの組織の名前が!」


カイトの熱意に、バートさんも頷く。私の歌から始まった、この小さな抵抗運動。それは、新しい時代を創るための、新しい芸術。

「……『アルス・ノヴァ』」

私は、静かに呟いた。ラテン語で、『新しい芸術』『新しい技』を意味する言葉。

「私たちの武器は、歌。音楽。それは、剣や銃とは違う、新しい力。私たちの革命の名は、『アルス・ノヴァ』です」


歌姫を象徴とする、小さな革命組織が産声を上げた。その誓いを立てた時、私の心は、王女としての覚悟で満たされていた。


だが、私たちが地下で新たな決意を固めている間にも、帝国の逆襲は静かに、しかし着実に進行していた。パン屋の仕事で街に出た私は、すぐにその異変に気づいた。


「おい、見たか?帝国の広報。地下の歌姫って、本当は魔女なんだって」

「あの歌を聴くと、心が乱されて、暴力的になるらしいぜ」

「こわいこわい……。やっぱり、リリアン様の歌が一番だわ。心が洗われるもの」


街角で交わされる会話。私に向けられる、怯えと侮蔑が入り混じった視線。帝国のプロパガンダは、巧みだった。彼らは私の名前を直接出すことはしない。だが、誰もがそれが『ルシィ』のことだと分かるように、情報を操作していた。


パンの配達先でも、これまで優しかった常連客が、よそよそしい態度を取るようになった。パン屋の女将さんも、心配そうな顔で私に尋ねる。

「ルーシー……あんた、最近変な噂をされてるけど、何か危ないことに関わっちゃいないだろうね。うちは、帝國様に睨まれるようなことはごめんだよ……」


胸が、ずきりと痛んだ。私は、人々を救いたかった。勇気づけたかった。それなのに、私の歌は『呪い』だと言われ、人々から孤立していく。本当に、私のしていることは正しいのだろうか。私の歌が、かえって人々を不幸にしているのではないか……?


重い足取りで『アンダーグラウンド・リベルテ』に戻ると、カイトが血相を変えて駆け寄ってきた。

「ルシィ!落ち込んでる場合じゃねえ!このままじゃ、俺たちは世論に殺されるぞ!」


カイトが指さすモニターには、聖女のような微笑みを浮かべたリリアンが映っていた。彼女は、先のライブでの騒乱で負傷した人々のために、大規模なチャリティ・コンサートを行うと発表していた。帝国の筋書きは完璧だった。暴力を煽る魔女ルシィと、傷ついた人々を癒す聖女リリアン。民衆は、分かりやすい物語に熱狂していた。


「このまま黙ってたら、俺たちはただのテロリストだ。あんたの歌の本当の意味を、帝都の奴ら全員に分からせる必要がある!」

「でも、どうやって……?」


私の問いに、店の奥から現れたバートさんが答えた。

「一つだけ、方法がある」

彼の目は、覚悟を決めた戦士の目をしていた。

「帝国のプロパガンダ放送網を、一時的にハイジャックする」

「電波ジャック!?」

「我々には、元クローディア王国の通信兵だった男がいる。不可能ではない。帝都中のモニターに、お前の姿を映し出し、本物の歌を届けるんだ。帝国の嘘を、お前の声で、歌で、打ち破るんだ」


それは、あまりにも大胆で、危険な作戦だった。帝国の中枢に、真っ向から喧嘩を売る行為だ。成功しても失敗しても、もう二度と、パン屋のルーシーには戻れない。


「……怖いか、姫様」

バートさんが、静かに問う。


私は、俯いた。震える自分の手を見つめる。すると、その手を、カヤの大きな手が、そっと包み込んだ。

「後戻りなんて、最初からする気はねえだろ?」

カイトが、まっすぐな目で私を見る。

「俺たちは、あんたの歌を信じてる。だから、あんたは、俺たちを信じてくれ。あんたは一人じゃない」


カイトの手の温もりが、私に勇気をくれた。顔を上げると、そこには仲間たちの、信頼に満ちた瞳があった。

そうだ、私はもう一人じゃない。私には、信じてくれる仲間がいる。私の歌を待ってくれる人々がいる。


「……やります」

私は、覚悟を決めた。

「歌います。私の、私たちの、本当の声を、この灰色の街に響かせるために」


作戦決行の夜。帝都の巨大モニターに、荘厳な音楽と共に、皇帝ガイウスの肖像が映し出される。いつものプロパガンダ放送の始まりだ。道行く人々は、気にも留めずに通り過ぎていく。


その、瞬間。


ブツン、と映像が途切れ、画面が砂嵐に覆われた。街中の人々が、何事かと足を止め、モニターを見上げる。

ザザ……というノイズの後、画面に映し出されたのは、皇帝の肖像ではなかった。薄暗い地下のライブハウスで、一本のマイクの前に立つ、一人の少女の姿。


思想文化統制局のオフィス。シルヴァンは、目の前のモニターに映るその光景を、面白い玩具を見つけた子供のような目で、静かに見つめていた。


帝都中の視線が、モニターに釘付けになる。私は、カメラのレンズの向こう側にいる、まだ見ぬ数多の民衆を、そして宿敵を、まっすぐに見据えた。息を、吸い込む。

さあ、始めよう。私たちの、本当の革命を。

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