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最終章 君と歌う、夜明けのアルス・ノヴァ

『プロトコル・ゼロ』。

それは、帝国創生期に、万が一システムが暴走した際に備えて、初代皇帝が極秘に組み込んだ最終安全装置フェイルセーフ。帝国の全ての軍事・統制システムを強制的にシャットダウンさせるための、禁断のコマンドだった。そして、その起動キーは、代々皇帝とその血族のみに伝えられる、特殊な声紋認証を伴う『歌』。


「……あり得ない……」

シルヴァンは、信じられないものを見る目でリリアンを見つめていた。

「皇帝陛下に、世継ぎはいなかったはずだ……!お前は一体、何者だ!?」

「私は、リリアン・アンジェール。皇帝ガイウスが、その座に就く前に、平民の女性との間に儲けた、隠し子よ」


リリアンの告白は、その場にいる全ての人々を驚愕させた。帝国の聖女が、皇帝の娘。そして、帝国のシステムを破壊する鍵を握っていた。なんという皮肉。


「父は……皇帝は、あなたを恐れていた、シルヴァン。あなたの才能と、その底なしの支配欲を。いつかあなたが、帝国そのものを乗っ取るであろうことを見抜いていた。だから、私を遠ざけ、ただのアイドルとして生きることを望んだ。だが、最後の最後に、私にこの国を託したの……あなたを止めるための『切り札』として」


リリアンの歌声が続くにつれ、シルヴァン配下の特殊部隊の戦闘スーツは完全に機能を停止し、ただの鉄の塊と化した。ペントハウスの外からも、帝都全域の治安維持部隊が混乱に陥っているという報告が次々と舞い込んでくる。シルヴァンの築き上げた、完璧な支配システムが、足元から崩れ落ちていく。


「……あ……あぁ……」

全てを失ったシルヴァンは、チェスの駒を失ったキングのように、その場に膝から崩れ落ちた。

「僕の、帝国が……僕の、完璧な世界が……」

もはや、彼の瞳には狂気の光さえなく、ただ虚無だけが広がっていた。


システムが停止した混乱に乗じて、グスタフ将軍とバートさん率いる部隊は、インペリアル・スパイアの管制室を完全に制圧した。帝国の頭脳は、機能を停止した。


ペントハウスに残されたのは、私とカイト、そして立ち尽くすリリアンと、抜け殻のようになったシルヴァンだけだった。

「……終わったのね」

リリアンが、ぽつりと呟いた。彼女の顔に、聖女の微笑みはなかった。ただ、重い責務を果たし終えた、一人の少女の疲労と悲しみが浮かんでいる。


私は、彼女に歩み寄った。敵だったはずの少女。私と同じように、歌を武器に、それぞれの正義のために戦ってきた、もう一人の歌姫。

「……ありがとう、リリアン」

私の言葉に、彼女は驚いたように顔を上げた。

「お礼を言われる筋合いなんてないわ。私は、あなたを利用しようとしただけ」

「それでも、あなたは帝国を止めた。多くの血が流れるのを、あなたの歌で防いだ。……それは、私にはできなかったこと」


私たちは、互いの瞳を見つめ合った。黒の革命の歌姫と、白の鎮魂の歌姫。二つの対極の道は、巡り巡って、今ここで一つに交わったのだ。


その時だった。崩れ落ちていたシルヴァンが、最後の力を振り絞るように、隠し持っていた拳銃を拾い上げた。その銃口は、憎悪に歪んだ瞳で、リリアンに向けられていた。

「僕の世界を……僕の芸術を、壊したお前だけは……!!」

引き金が引かれる。誰もが、息をのんだ。


だが、銃弾がリリアンに届くことはなかった。私の前に立ちはだかったカイトが、シルヴァンに飛びかかり、その腕を掴んでいたのだ。もみ合いになり、銃声が響く。

「カイト!!」


私の悲鳴が、部屋に響いた。シルヴァンを突き飛ばしたカイトの肩から、赤い血が滲んでいた。

「……へへ、かすり傷だ」

彼は、痛みをこらえて笑ってみせる。

「言ったろ?俺が、あんたの盾になるって」

その言葉に、私の目から、涙が溢れ出した。もう、一人では戦えない。この人のいない未来なんて、考えられない。


帝国は、崩壊した。絶対的な指導者と統制システムを失った巨大な国家は、しかし、すぐには変わらなかった。旧帝国の残党、新たな権力を狙う者、そして解放の熱狂に浮かされる民衆。帝都は、新たな混沌の時代を迎えようとしていた。


その混乱を収拾したのは、二人の歌姫の、最後の歌だった。

私、リュシア・エル・クローディアと、リリアン・アンジェールは、帝都中央広場のステージに並んで立った。グスタフ将軍やバートさん、そして傷の癒えたカイトたち『アルス・ノヴァ』の仲間が見守る中、私たちは、新しい時代の始まりを告げるための歌を、帝都中に届けたのだ。


それは、革命の歌でも、鎮魂の歌でもない。破壊の後の、再生を願う祈りの歌。異なる過去を持つ者たちが、手を取り合い、新しい未来を築いていくための、希望のデュエット。


――灰色の空に 夜明けが訪れ

――瓦礫の中に 小さな花が咲く

――流した涙は 大地を潤して

――新しい種は きっと芽吹くから


私たちの歌声は、人々の心に残る傷を優しく癒し、憎しみの連鎖を断ち切り、そして、これから自分たちの手で国を作っていくのだという、静かな勇気を与えた。人々は、武器を置き、互いに顔を見合わせ、そして、共に歌い始めた。それは、誰かに与えられた歌ではない。彼ら自身の、心の歌だった。


それから、一年後。

帝都は、その名を『自由都市クローディア・ノヴァ』と改めていた。そこは、かつての帝国でも、復活した王国でもない。様々な出身の人々が、対等な立場で手を取り合う、新しい共同体だ。その道のりは、決して平坦ではなかった。しかし、人々は歌うことをやめなかった。困難にぶつかるたび、広場に集い、あの日の歌を歌って、心を一つにしてきた。


私は、もう『地下アイドル』でも『亡国の王女』でもない。ただの、歌うことが好きな少女、リュシアとして生きていた。時々、小さなライブハウスのステージに立っては、人々と共に歌う。それが、今の私の、何よりの幸せだった。


リリアンは、新しい政府の文化大使として、各地を飛び回っている。彼女は、その類まれなカリスマと政治的手腕で、都市の復興に尽力していた。私たちは、今ではかけがえのない親友だ。

そして、私の隣には、いつも彼がいた。


「……おい、いつまで見てるんだよ」

ライブハウスの楽屋で、カイトが少し照れくさそうに、私の顔を覗き込む。彼は、新しい都市の治安を守る警備隊の隊長になっていた。けれど、私のライブの日は、必ずこうして駆けつけてくれる。

「別に。今日のカイトも、かっこいいなって思ってただけ」

「ばっ……!からかうなよ!」


赤くなる彼の顔が、愛おしい。私たちは、多くのものを失い、傷つき、遠回りをして、ようやくここに辿り着いた。


「さあ、行こうか。みんな、待ってる」

カイトが、私の手を引く。ステージの向こう側からは、割れんばかりの歓声と、私の名前を呼ぶ声が聞こえる。

光の中へ、一歩踏み出す。スポットライトが、私を照らす。でも、もう私は一人じゃない。


マイクを握りしめ、私は歌い始める。

新しい時代の、新しい歌を。

私の隣で、はにかみながらも、まっすぐな瞳で私を見守ってくれる、たった一人の騎士のために。

そして、この世界に生きる、全ての人々のために。


私の歌は、革命の炎だった。

そして今、それは、未来を照らす、温かい光となった。

音楽が剣よりも強い力を持つことを証明する物語は、今、始まったばかりなのだから。

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