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弱さの代償

出撃はいつも唐突で、容赦がない。

そして今回は、最も苦しい“試練”がトロイに与えられる。

仲間に追いつけない焦り。

助けたいのに助けられない無力感。

――銃を持っていても、守れるとは限らない。

若き兵士の“弱さ”が露わになる夜、戦場はあまりに静かで冷たかった。


ガタン――。


乾いた鉄骨が、鈍い呻きを漏らした。

その微かな揺れにさえ、トロイは気づかなかった。


窓のない狭い車内。

硬い床を、ただ茫然と見つめていた。

思考の沼に沈んだまま、耳に入るすべての音が、どこか遠くに思えた。


――だから気づけなかった。


「……おい、聞いてんのか。……おい、クソトロイ!!」


鋭く割り込んできた怒声に、トロイはビクリと肩を震わせた。

思わず顔を上げる。

焦ったように目を泳がせ、必死に声を絞り出す。


「え、えっと……聞いてます。」


だが、その声に重みはなかった。

曖昧な響きだけが、空気を満たす。


目の前の男――カイルは、深々と溜息を吐く。


その顔は、まるで失望と諦めを塗り固めたようだった。


「どうせ聞いてねぇんだろ。……ったく、レオもよ。どこまでお人好しなんだか。」


(……あんたが押し付けたくせに)


言葉にはしなかった。

ただ、俯いて愛想笑いを浮かべるだけだった。


それがトロイにできる、唯一の自己防衛だった。


「……レオ先輩、大丈夫ですかね。」


思わず、口をついて出た。

カイルは鼻で笑う。


「二、三日くらい連絡がねぇなんて、よくある話だ。……あいつは、お前みたいにドジは踏まねぇ。」


「……はい。」


そう返しても、不安は消えなかった。


(……何も、言わずに出ていった。もう、二日……)


胸の奥に、重くのしかかる影。


レオは、誰にも何も言わずに姿を消した。


(……助けを求めてるかもしれないのに……誰も……探しもしない……)


「……また、聞いてねぇな。」


低く、重たい声。


空気が一瞬、張り詰めた。


その時――


車内ランプが、無機質な青に切り替わる。


トロイは反射的に立ち上がり、カイルを置いて車外へと飛び出した。


冷たい夜気が、頬をなぞる。

辺りを見回す。

――静寂。


「クリア!」


続いて出てきたカイルが、呆れ顔でトロイの頭を小突く。


「クリアじゃねぇっつってんだろ、バカが。」


「レオ先輩に言われたんです……出撃直後は警戒しろって……だから……」


「分かってんなら、ちゃんとやれ。」


カイルの声は、呆れと怒りが混ざったような濁った響きだった。

そして――


銃声が夜を裂く。


バン――。


物陰から、人影が崩れ落ちる。


「……よく見てから言え。でなきゃ、お前が死んでた。」


(……うそ、だろ……?)


確かに、確認したはずだった。

自信もあった。


けれど――

カイルには見えていた。


「……ったく、面倒くせぇ。」


カイルはそう吐き捨て、装甲車をバン、と手のひらで叩き、歩き出す。


その背中に引きずられるように、トロイも歩き出した――

そう、思った矢先だった。


「な、なん――」


「静かにしろ。まだいる。」


パン、パンッ。


鋭く壁を撃ち抜く銃声。

石粉が舞い、トロイの肌に冷たく触れる。


(また……敵が……)


怯えた指先が、無意識に銃を握る。

だが、その震えを、カイルは鼻で笑った。


「……それ、飾りか?」


そう言って、あっさりとトロイを突き飛ばす。


「いいから、黙って隠れてろ。」


カイルは、そうだけ告げると躊躇なく飛び出した。


弾丸の雨の中。

一歩も怯まず、堂々と進んでいく――

その姿に、トロイは言葉を失った。


(……すごい……)


それは憧れではなく、恐れに近かった。


トロイが呆然と見つめる中、カイルは建物へと飛び込み、敵を瞬く間に仕留めていく。


一人目を撃ち抜き、階段を駆け上がり、身を潜める。


気配を殺し、足音を数える。


一人――二人。


通り過ぎるその瞬間、迷いなく足元を撃ち抜く。

振り返った敵の頭を、撃ち抜く。


最後の一人は、傷口に指を突き立てて引きずり寄せた。


「ぐあああああっ!!」


銃を落とし、呻く男の頭を鷲掴みにする。


「……ここには、何人いる。」


「な、何の話だ……!」


ドカッ。


拳が、乾いた音を立てて男の顔面にめり込む。


「……何人だ。」


「お、俺を入れて……四人……!」


男の額に、冷たいナイフが埋まる。


カイルはそれ以上、男に目もくれず二階へと駆け上がった。


(……まだ、いる。)


窓の向こう。

トロイの方へと、また一人、男が向かっていく。


カイルは銃を構え、狙いを定めた。


だが――


引き金にかけた指を、そっと緩める。


(……どうする、トロイ。)


それは、カイルからトロイへの“試練”だった。


けれど、トロイは――


また、逃げ出していた。


(……チッ。)


カイルは、溜息混じりに、男を撃ち抜いた。


呻きながら膝をつくトロイに、カイルはゆっくりと歩み寄る。


「……その銃、壊れてんのか?」


冷たく吐き捨てる。


トロイは何も返せず、ただ、うつむくしかなかった。


カイルは胸ぐらを掴み、怒声を叩きつける。


「一人じゃ、何もできねぇのか。……みっともねぇ。」


トロイは、歯を食いしばった。

唇が震える。

こみ上げる情けなさに、胸が苦しかった。


「……今回の任務、言ってみろ。」


「……!」


「聞こえねぇ。……言えっ!」


「このエリアの……ハイエナの、殲滅……です!」


「そのザマで、できんのか!」


「……やります!!」


震える声で、そう叫んだ瞬間――


カイルは、トロイを突き飛ばす。

振り向きざま、二発撃った。


倒れる二つの影。


「……課題だ。一人でいい、自分で殺してみろ。

 ……できなきゃ、V.Pを辞めろ。」


「……え……?」


「返事!」


「……はいっ!」


返事は、震えていた。

それでも、絞り出した。


カイルは何も言わず、背を向けて歩き出す。


トロイは、拳を強く握りしめた。

悔しさに、目頭が熱くなる。


――でも、泣くわけにはいかなかった。


(……俺に、何ができる……?)


トロイは、黙ってカイルの背中を追いかけた。

カイルは、迷いなく歩いていた。


この街の真ん中を、堂々と、恐れもなく。


トロイには、それが信じられなかった。

いや、理解できなかった。


(……どうして、あんなふうに歩けるんだ……)


自分にはできない。

足がすくんで、呼吸さえ浅くなる。

もし、また敵に見つかったら――

今度こそ、誰も助けてくれないかもしれない。


カイルは振り返らない。

待ってもくれない。


トロイは、物陰から物陰へ、這うように後を追った。


やがてカイルが立ち止まり、手を挙げる。


「……屋上に上がるぞ。」


言われるがまま、トロイも後を追い、二人は廃ビルの屋上へと足を踏み入れた。


カイルはすぐに双眼鏡を取り出し、目の前の建物を見下ろす。


「……あれだ。」


指先が、薄暗い建物を指し示す。


思っていたよりも、近い。

もう、目と鼻の先まで来ていた。


(……ここが……)


トロイは、ゴクリと唾を飲み込んだ。


何をすればいいか分からず、カイルの隣に座ろうと腰を浮かせたその時――

カイルが振り返り、低く呟いた。


「……バカ。出口を見張っとけ。」


叱責ではなく、ため息混じりの声だった。


(……また、やっちまった……)


トロイは肩をすくめ、言われた通りに出口に目を向ける。

気まずさを紛らわすように、手すりにもたれかかった――その瞬間だった。


カランッ。


鈍い金属音。

ボルトが一つ、外れて転がり落ちていく。


(……やば……)


トロイは慌ててカイルの方を見る。

幸い、気づいていないようだった。

下からも、何の反応もない。


胸を撫で下ろし、そっと息を吐く。


その時――


「……ふん。」


カイルが双眼鏡を外し、舌打ちを零した。


(……やっぱ、多いな……)


小さく呟き、無線を取り出そうとした、まさにその時――


「……カイル先輩……! 足音が!」


トロイの焦り混じりの声が響く。

カイルは眉間に皺を寄せ、すぐにトロイを壁の影へ押し込んだ。


確かに、足音が近づいている。

数人……いや、三人はいる。


カイルは周囲を見渡し、ハシゴを指さす。


「……上だ。行くぞ。」


トロイの腕を掴み、音を立てぬよう素早く駆け上がる。

二人はさらに高い足場へと身を隠した。


下から、男たちの声が聞こえてくる。


「誰もいないじゃねぇか……」


「いや、上からボルトが落ちてきた。間違いねぇ。」


(……やっぱり……)


トロイは、隣で固まっていた。

肩が、微かに震えている。


カイルは、ちらりと横目で見た。

ため息を飲み込む。


「……けど、いねぇな。」


「……待て。」


男の声が、低くなる。


「砂に……足跡が残ってる。」


ハシゴを見つけた男たちは、銃を構え、ゆっくりとこちらに向かってきた。


カイルは、トロイだけに届くよう、無線を繋ぐ。


『……動くな。何もするな。』


低く、静かな声。


カイルは、そっと息を吐いた。


そして――


立ち上がった。


「……降参だ。撃つなよ。」


両手を上げ、ゆっくりとハシゴを降りていく。

男たちは、銃を構えたまま睨みつけてくる。


「お前、ひとりか?」


「ああ。相棒は別のルートを回ってる。……今は、俺だけだ。」


カイルが足を地面に降ろした瞬間――


ドスッ。


銃の柄が、腹に叩き込まれた。


「てめぇ……仲間を殺しやがって……!」


「……どいつのことか、知らねぇな。」


「ふざけやがって……!」


怒りに震える男の肩を、もう一人が押さえる。


「待て。……こいつ、V.Pだ。連れて帰って、吐かせるだけ吐かせてから、殺せばいい。」


「……チッ。」


カイルは、武器を取り上げられ、両手を縛られた。


その様子を、トロイはただ、物陰から見ていることしかできなかった。


(……どうすれば……どうすればいい……!)


震える手で、無線機を握りしめる。


「……こちら、V.Pトロイ・ガント……救援を求む……! 座標を送る……!」


『……ロイ……た……っ……』


ザザ……ザザ……ッ。


雑音に埋もれる声。

必死に調整しようと、つまみに手を伸ばした、その時――


パンッ!!


壁に銃弾が突き刺さった。


「くっ……!」


トロイは、咄嗟に頭を伏せる。


(……なんで、バレた……!?)


――そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走る。


(……まさか……無線、傍受……!?)


「くそっ……!」


トロイは、這うようにその場を離れ、出口へ向かって走り出す。

だが、焦りで視界が歪み、耳が鈍る。


足音すら、聞こえなかった。


ドンッ。


「……ッ!?」


突如、背後から腕が伸び、口を塞がれ、暗闇へと引きずり込まれる。


トロイの声は、闇に飲まれ、消えた。

狭く、暗い部屋だった。

窓はなく、光もない。

息をするたび、埃っぽい空気が肺を満たしていく。


カイルは、縛られた両手を無造作に投げ出し、床に寝転がっていた。


「……ったく、茶くらい出してくれりゃいいのによ。」


誰に向けるでもなく、独り言を零す。


「喉がカラッカラで、死んじまいそうだ……」


天井は見えない。

壁も、床も、何もかも、闇に沈んでいる。


(……ま、驚きもしねぇけどな。)


この手の牢は、何度も味わった。

捕まって、縛られて、口を割らせようと殴られる。


慣れたもんだ――

そう、思っていた。


だが、今回は少しだけ違う。


(……トロイのやつ、今頃、どこまでやらかしてんだか……)


くしゃ、と小さく笑う。


あいつは、どうせ一人じゃ何もできやしない。

この状況だって、アイツの手に負えるはずがない。


わかってる。

それでも、思ってしまう。


(……あのバカ、帰るわけねぇよな。)


カイルは、天井を見上げるように目を細めた。

見えるはずもない闇の奥に、何かを探すように。


「……さて。」


独り言のように呟く。


この手も、足も、縛られて、動きようもない。

敵は多い。

味方は、いない。


何も、できることは――


「……ま、今できるのは、一つだけか。」


カイルは、静かに目を閉じた。


闇の中、微かに口角を上げる。


「……少し、寝るか。」


そうして、深く、深く、沈んでいった。



銃を手にしても、人はすぐには変われない。

けれど、それでもなお歩き続けるしかない。

振り返ってはくれない誰かの背中を、這ってでも追いかける。

今夜、トロイは初めて知る。

戦場で生き残ることが、どれほど“痛み”を伴うかを。


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