赤い終奏
赤い夕焼けが、戦場を静かに照らしていた。
この国最強の傭兵が現れたとき、戦場は芸術のように沈黙と恐怖に包まれた――。
第5話では、“力の正義”を問う壮絶な戦場と、レオ、トロイ、それぞれの心の揺らぎを描きます
赤く燃える夕暮れ。
まるでオーケストラの最後の伴奏のように、激しい銃声が戦場に鳴り響いていた。
その中で、ダンテは一歩、また一歩と後ずさりながら、目の前に揺らめく赤い光から目を逸らさずにいた。
もう、この場にいるレネゲイズたち全員が助かる道などない。
ならば、残された道は――ただ一つ。
銃声は止まない。
砂埃の奥から、一閃の閃光が走る。
その瞬間、戦場にいた者たちは皆、本能で何かを悟った。
直後、凄まじい衝撃波があたり一帯を襲った。
レネゲイズの兵士たちの身体、銃器、装甲兵器――すべてが風船のように宙を舞い、無残に弾き飛ばされた。
「……」
やがて砂塵が晴れ、その中心に立っていたものの姿が露わになる。
全身を鋼の装甲に覆われた、二メートルを超える巨体の男。
その瞳は何の感情も宿していない。
ただ黙って周囲を見渡すと、両腕を前へと突き出し、手首に内蔵された銃火器を構えた。
もはや、ほとんどのレネゲイズが戦意を失っていた。
だが――彼には関係なかった。
銃口から火花が弾け、一斉に銃弾が放たれる。
悲鳴が、血が、肉が、舞う。
「ミサイルだ! あいつに放てっ!!」
指揮官らしき男が叫び、ミサイルが発射された。
だが、男はそれすら片手で容易く弾き飛ばす。
攻撃の手を止めることもなく、ただ粛々と殺戮は続けられていった。
「……助けに行った方が……?」
「いや……ここにいろ。巻き込まれる。」
物陰からその様子を見ていたのは、レオたちだった。
噂では何度も耳にしていた存在。だが、間近で見るのはこれが初めてだった。
その男の名は――《デモリッシャー》。
この国、いや世界最強と名高い傭兵。
数百、数千の兵を前にしても傷一つ負わず、どんな兵器をも無力化する。
彼の名を知らぬ者など、この世界には存在しない。
「……」
デモリッシャーの出現により、戦場の様相は一変した。
戦意を失った者たちはただ逃げ惑い、命乞いをするしかなかった。
たった一人で、戦場の秩序すら書き換えてしまう――そんな圧倒的な力を、彼は持っていた。
レオはその姿に、憧れに似た感情を抱いていた。
「……すごい……圧倒的だ」
「でも……やりすぎっすよ。あんなの……ただの殺戮じゃないですか」
「この世界を変えるには、あれほどの力が必要なんだ。彼こそが救世主だよ」
「救世主……? あんなの、ただの殺人鬼だ。あいつは常人では到底扱えない数の戦闘支援装置群を身体に組み込んでいる。普通なら死んでるんだよ。それでもあいつは生きてる。……化け物だよ、あんなの」
「命を削ってでも改良を重ね、この世界のために戦ってくれているんだ。もっと敬意を払うべきだ」
レオが睨みつけても、カーテルは涼しい顔で腕を組み、デモリッシャーに心酔する彼を見て呆れていた。
その光景を見たトロイもまた、レオにはどうしても賛同できなかった。
「……銃声、止みました。終わったみたいです」
銃撃という名の交響曲は終幕を迎え、沈黙が戦場に戻った。
物陰を抜け、大通りへと足を踏み出す。
トロイは、広がる光景に思わず目を背けた。
辺りには、赤く濡れた肉塊が転がり、人々が倒れていた。
血が溜まり、水たまりのように地面を染めている。
ここは、まさしく地獄だった。
奥のほうで、まだ意識のある兵士の頭を、デモリッシャーは無造作に踏み潰した。
濁った音が辺りに響き、レオたちの方へと歩を進める。
カーテルは咄嗟にレオの背後に隠れ、その袖を掴んで震えていた。
彼女の目には恐怖が色濃く浮かび、決して目を合わせようとはしなかった。
そのとき、空から唸りを上げて降下してくるヘリが一機。
地面すれすれに着陸し、ハッチが開く。
デモリッシャーは振り向きもせず、無言のままヘリに乗り込む。
そして一度だけ立ち止まり、背を向けたまま言った。
「中央部へと案内しよう」
それは、カーテルへの招待だった。
カーテルは目を伏せ、震えながらレオを見た。
「……俺たちの任務はここまでだ」
レオが言うと、カーテルはなおも手を離さなかった。
だが、レオはその手をそっと振り払うと、踵を返してトロイのもとへと向かう。
「……いいんですか、このまま俺たちが送り届けた方が……」
トロイが問う。
だが、レオは首を横に振った。
「彼のそばにいた方が、カーテルは安全だ」
そう言ってトロイの肩に手を置き、二人はその場を後にした。
しかし、トロイの胸には、カーテルの不安げな表情が深く残り、苦い感情が広がっていた。
* * *
二人は近くのV.P拠点へと向かい、その夜を過ごした。
翌朝、レオは新たな報せを耳にする。
彼らを輸送していた装甲車が、ダンテ率いるレネゲイズによって鹵獲されたという。
幸いにも運転手のジャグラスは無事で、現在は拠点内の診療所で治療を受けているとのことだった。
病室を訪れると、ベッドに横たわるジャグラスが、やつれた顔でレオを見つめた。
「……無事か?」
「ああ。死に損なったよ。悪かったな……待っててやれなくて」
「構わない。無事で何よりだ」
「装甲車は奪われちまったけどな……はあ、帰るのが怖いよ。クビになるかもな」
ジャグラスは苦笑しながら、悔しげに拳を握る。
「エリックに伝えておく。何とかしてくれるさ」
「期待はしないでおくよ。……お前ら、先に戻るんだろ?」
「ああ。トロイと一緒に。報告がある」
「……任務が果たせて、ほんとによかったな」
ベッドを後にしたレオは、診療所の外に腰掛けているトロイを見つける。
ベンチに座り、空を見上げる彼の隣に腰を下ろす。
「昨日は眠れたか?」
トロイは首を横に振った。
昨日の光景が、今も頭から離れないでいた。
「考えちまったんです、いろいろと」
「何をだ?」
「……正義って、なんなんすかね」
その言葉が、レオの胸にずしりと重くのしかかる。
「この世界を良くするために……俺たちは戦ってる。だからこそ――」
「『だからこそ、どんなことでもやる』……ですか?」
レオは、言葉に詰まった。
「命乞いする相手を、あんなふうに殺すのが……本当に正しいことなんすか?
俺……あんなの、正義だとは思えない。今後、ああいう命令があっても、俺には……できないっす」
「だがあの方が助けてくれなければ、今頃俺たちは死んでいた。……否定できるか?」
トロイは黙ったまま、目を伏せた。
否定は、できなかった。
「この世界はもう、かつての平和な時代とは違う。
生き残るのは、強い者だけ。……弱ければ、死ぬ。
それが現実だ。お前がV.Pに残るなら……いつか、受け入れなければならない」
その言葉に、トロイは何も答えなかった。
だが――心の中で、静かに決意していた。
力ではなく、別の何かでこの世界を変える。
そのために、自分は――まだ、ここにいる。
* * *
任務を報告した後、レオはエリックの部屋を出ようと扉を開けた。
そこに立っていたのは、トロイだった。
しかし彼は視線を合わせることなく、無言で部屋の中へと入っていった。
レオはその足で、自室へ戻る途中、ふと足を止める。
そして、人の立ち入りを禁じるホログラムを素通りし、廃ビルへと入った。
埃にまみれた床、朽ち果てた家具、枯れた植物。
誰もいない、時間の止まった空間。
階段を上り、屋上へと出る。
そこからは、崩壊した市街地の全貌が見えた。
活気の欠片もない、灰色の街。
レオはぼんやりと、その光景を見下ろす。
――殺戮。
それでも、自分たちの行いは正しいはずだった。
そう言い聞かせようとした、そのとき。
「へぇ……ここからだと、よく見えるのね」
女の声に、レオは即座に銃を抜き、声の主を睨んだ。
そこにいたのは、例の女――ルナだった。
レオは銃口を向けながら、低く問う。
「……なぜ、ここに?」
「偶然、かな?」
ルナは悪びれる様子もなく微笑んでいた。
「ここは立入禁止区域だ。許可なしに入ることは――」
「誰の許可が必要なの?」
「……V.Pのものだ」
「じゃあ、あなたが許可してくれた。それなら問題ないでしょ?」
そう言ってルナは勝手にレオの隣へと歩き、無造作に地面へと腰を下ろす。
「……お前は」
「ルナ。それが私の名前」
「ルナ……なぜ俺に付きまとう?」
ふいに沈黙が訪れた。
その静寂を破るように、ルナが急に吹き出して笑い出す。
「付きまとうって……たった三度会っただけでしょ? ……思い上がりも甚だしいね。」
からかうような口調に、レオは思わず顔をそむけた。
言い返す言葉が見つからない。
「それで……悩んでるの?」
「別に」
「……また、少女を?」
「違う。今回は……違う」
(なぜ、こんな女に言いかけてしまう?)
「それとも……あれかな。西部であったっていう、大規模な殺戮。……あれに関係してるの?」
ルナの言葉に、レオは一瞬だけ目を伏せる。
「……あれは正しい行いだ。ああでもしなければ、この世界では生きられない」
「生きるために強くなる……それで、何を変えるの?」
「この世界を、正しい形へ」
「暴力で?」
ルナの声は、静かだった。
「暴力で世界を変えようとする限り、誰も本当には従わない。従う人たちは、また暴力で押さえつけられる。それを望む世界が……あなたの言う“正しさ”?」
「……少しでも良くなれば、それでいい」
「それ、本気で思ってる?」
ルナの瞳が、まっすぐにレオを射抜く。
「……無理してるんだね、本当は」
「無理なんて――」
「ねぇ……あの時、私が言った言葉、覚えてる?」
レオは返事をしなかった。
ルナは構わず、ゆっくりと続ける。
「――“私とこの世界から逃げない?”」
その一言が、胸に深く刺さった。
レオの顔がほんの一瞬だけ曇る。
だが――彼は、ゆっくりと首を横に振った。
「……そっか。じゃあ、また今度誘う。」
「また……?」
「私、しつこいの。諦めが悪いから」
「厄介な相手だな」
そう言いながらも、不思議とレオの表情は少しだけ和らいでいた。
こんなふうに誰かと話すのは、いつ以来だろうか。
「ねぇ、その銃……貸してくれない?」
「は? ダメだ」
「別に、あなたを撃とうなんて思ってないよ。」
ぐっと顔を近づけてくるルナに、レオはたじろぎ、一歩後ずさった。
だが背中は塀にぶつかり、逃げ場がない。
「……わかった。だから下がれ」
しぶしぶ銃を差し出すと、ルナは受け取り、興味深げに見つめた。
「……軽い」
「引き金を引いてみろ」
ルナはおそるおそる指をかけ――引いた。
カシュッ。
乾いた音が鳴っただけで、何も発射されなかった。
「……なにこれ?」
「ただのおもちゃの銃だ。元々は、シャボン玉を撃ち出すためのな」
沈黙。
そして――ルナは吹き出して笑い出す。
「ふふっ……こんなものを構えて、私を威嚇してたの?」
彼女は銃を振り回し、何度も引き金を引いては楽しげに笑った。
まるで、子どもだ。
「ねぇ……これ、私にくれない?」
「何に使う」
「身を守るため。私だって狙われることがあるんだから」
レオは少し考え、やがて頷いた。
「……好きにしろ」
「ありがと。今度来るときは石鹸水も持ってくる。シャボン玉、飛ばしまくるんだから」
「……勝手にしろ」
気づけば、胸を締めつけていた重苦しさは、どこかへ消えていた。
肩の力が抜け、レオの顔に、わずかな柔らかさが戻る。
それを見て、ルナはほっとしたように微笑んだ。
(優しい目……その方が、あなたには似合ってる。……なんて言ったら、はぐらかされるかな)
二人はそのまま、日が暮れるまで語り合った。
穏やかな時間が、戦火の中の小さな休息のように、静かに流れていった。
物語の中で初めて、トロイが“正義”という言葉に疑問を抱きます。
レオにとっての憧れでありながら、トロイにとっては“ただの殺人鬼”にしか映らない《デモリッシャー》の姿。
あなたなら、どちらの視点に立つでしょうか?
一方、ラストではレオとルナの会話に小さな光が差し込むような、温もりを感じていただければ嬉しいです。