震える手の先
敵に包囲された建物の中、トロイたちは決死の抵抗を続けていた。
無謀な突撃を見せるカイル、冷静に作戦を進めるゲルニカ、そして戦場で震えるトロイ――。
極限の状況下で下される決断と引き金は、誰のためのものだったのか。
爆薬を手に、彼らは脱出の一手を探る。だがその過程で、トロイは“初めての現実”に直面する。
命を奪うということ。その重さが、彼の精神を深く抉っていく。
パンッ、パパッ、パパパッ――。
止むことのない銃声が空気を裂き、破片のように神経を削る。
トロイは一人、倒れた死体の傍らで銃を握ったまま、その震える手をどう動かすべきかも分からず立ち尽くしていた。
目の前ではカイルとゲルニカが壁際に張りつき、怒号と共に弾丸を廊下へと撃ち込んでいる。
「くそっ、数が減らないっ!!このままじゃ弾が尽きるぞ!」
「弾薬が欲しいんだな!? だったら援護しろよっ!!ー」
そう叫ぶなり、カイルはまるで自殺行為を選ぶかのように部屋を飛び出した。
「な、何で外にっ。」
呆然と呟くトロイ。その視界の端を、小型ドローン――ハミングバードが飛び抜けていく。
彼の暴走を止められぬまま、せめて守るようにと、ゲルニカは無言で操作を送った。
「ちっ、邪魔だっての!」
カイルは自分を庇おうとしたドローンを鬱陶しげに払いのけ、真正面から敵兵の群れへと飛び込んでいった。
「嘘だろ……援護しろって言ったのに!」
ゲルニカは舌打ちを漏らしつつ、ひたすらに迫り来る敵を排除することに集中した。
その数瞬後――カイルは両腕いっぱいに銃と手榴弾を抱えて、平然と戻ってきた。
「ほらよ、これだけありゃ足りるだろ」
「君は……本当に狂ってるね」
「言われ慣れてるよ。」
再び銃を構え、弾を吐き出す。壁を穿ち、敵を屠るその音が、やがて静けさへと変わっていく。
「……動きが止まったな」
「思考を始めたってことさ。すぐまた何か仕掛けてくる」
「じゃ、こっちから迎え撃ってやるか」
「……冗談だろ。もう好きにすればいいさ」
ゲルニカは諦めたように肩をすくめる。彼にカイルの暴走を止める力など、とうに残っていなかった。
そのとき、ふと視線を後ろに向けると、壁にもたれて震えるトロイの姿があった。
「……トロイ、大丈夫かい?」
「そんな奴、放っておけよ。足手まといなんだから」
「君を助けに来たんだ。少しは認めてやったらどうだい?」
「戦ったのはお前だけだろ。あいつにゃ何もできねぇよ」
「まったく、ひどい物言いだな……彼にも、やれることはあるさ」
そう言ってゲルニカはトロイに歩み寄ると、銃を下ろさせてそっと目を合わせた。
「戦いは、まだ終わってない。……やれるか?」
その問いに、トロイの瞳がわずかに揺れ、そして小さく頷いた。
「よし、ならさっさとここから脱出しよう」
だが状況は厳しい。銃声が止んだ今も、周囲にはまだ兵士たちの気配がある。
長引くほど敵は増え、包囲は強まる。今すぐにでも打開策が必要だった。
「この後、どうする気だい? まさか本当に自ら迎え撃つ気かい?」
「それも悪くはねぇが……武器が足りねぇ。それでさ、一つ考えてたことがある」
「何を?」
「この建物を爆破すんだよ、悪い考えじゃねぇだろ。奴らの拠点を潰せるんだからよ。それに元々、俺らはこいつらを殲滅することが任務だったんだからな。」
「きみは……本当に破天荒だよ」
「ってわけで、俺は装備を取り戻しに行ってくる。お前らは陽動、頼むわ」
「ちょっ、待っ――」
呼び止める暇もなく、カイルはあっさりと出て行ってしまった。
残されたゲルニカは深く息を吐き、気持ちを立て直す。
「君も大変だね」
「……ははっ」
乾いた笑いが漏れる。その間にも、どこかで再び銃声が鳴り響いていた。
きっとカイルが暴れているのだろう。
「……僕らは僕らの役目を果たそう」
「……はい」
出る前に、ゲルニカは柱に何かを貼りつけていた。
「それは……?」
「彼の爆薬とやらが信用ならないからね。これは僕の“チューマイン”ってやつさ」
それは卓球球ほどの大きさで、見た目に反して異常な重さと柔らかさを併せ持っていた。
「壁に押し当てるだけで、ガムみたいに変形してくっつくよ」
トロイが試しに壁に貼ると、本当にぴたりと張り付いた。
「あっ……無駄にしちゃったね。」
「あっ。すぐに外しますっ。」
「ダメだよ、無理に剥がしたら爆発するから!」
冷や汗をかくトロイに、ゲルニカは肩を叩いて微笑んだ。
「謝らなくてもいい。さあ、行こうか」
彼の焦りは、傍目にも痛いほど伝わってきた。
それでもゲルニカは一緒に爆薬を設置し、任務を進めていった。
やがて階段に差し掛かると、兵士たちが上階へ駆け上がってくる。
壁に張りついてやり過ごそうとしたその時、一人の兵士が彼らに気づいてしまう。
視線が交錯し――刹那、ゲルニカはその口を押さえ、ナイフを突き立てた。
「ここにも仲間がいるぞ!」
声が響き、戦闘が始まった。
ゲルニカは格闘で応戦し、トロイは見ていることしかできなかった。
しかし一人の兵士が銃を構え、ゲルニカを狙う。
――危ない!
発砲された弾は味方に当たり、それでも兵士は構わず撃ち続けようとする。
パンッ!
鳴り響いた銃声は、トロイのものだった。
「……トロイ」
彼は震える手で引き金を引き続け、弾が尽きるまで撃ち続けた。
「うぉおおおおおっ!!」
弾切れの隙を突かれ、体当たりされ、床に倒される。
拳が、容赦なく降り注いだ。
バキッ、ドカッ!!
耐えきれず、トロイはナイフを取り出し、脇腹に突き刺す。
そして何度も、何度も、肉を貫く。
「うわぁあああああっ!!」
それは悲鳴でも怒声でもない。
絶望が喉から漏れ出た、ただの“叫び”だった。
止めるべきだと分かっていても、トロイには今は近づけない。
ゲルニカを包囲する敵が、まだ残っているからだ。
「ったく……ロイヤルナイツも名ばかりかよ」
その声が、背後から届いた。
カイルが戻ってきた。
その瞬間、敵は次々と撃ち抜かれ、脅威は音もなく消え去っていった。
だが、カイルの目に映ったのは――なおも一心不乱に死体を刺し続けるトロイの姿だった。
「……」
無言のまま近づくと、髪を掴み、壁に押しつける。
「よくやった。……もう、充分だ」
それでもナイフを握る手は離れなかった。
「ナイフから、手を離せ」
ようやく現実に戻ったトロイは、死体を見下ろし、込み上げる嗚咽を堪えきれず泣き出した。
「俺はっ……俺は……!!」
「仕方ねぇとか、そんな言葉はかけてやれねぇよ。これが仕事だ。人を殺すってのが、俺達の現実なんだ」
「……っ」
「軽い気持ちじゃ続けられねぇ。罪も、感触も、全部、背負って生きるしかねぇんだ」
ナイフから手を離したトロイの身体を、カイルは無理やり立たせた。
「下向いてうずくまってんじゃねぇ。……前を見て立て、どんな時でもだ」
「……はい」
涙を拭い、震える足で立ち上がる。
その背に、カイルの言葉は確かに残った。
「――ったく、のんきに説教してる場合?」
「悪い、忘れてた。上には爆薬を仕掛けた。……あとは、下だけだ」
「なら急ごう。敵の手が止まった今が、チャンスだよ」
足元には死体が転がっている。
ロイヤルナイツ――その名に違わぬ強さがあった。
「さて……あとは、パパッと終わらせて帰るか」
カイルはトロイの肩を叩くと、先に進んでいった。
ゲルニカも軽く肩をすくめてその後に続く。
トロイは、落ちていた自分の銃を拾い上げ、静かに弾倉を入れ替えた。
そして――その背を追って、再び歩き出した。
戦場に立つということは、ただ銃を握るだけではない。
それは、殺し、悔い、叫び、血に染まりながらも前を向く覚悟を問われることだ。
初めて人を殺めたトロイにとって、それは通過儀礼などではなく、「人であること」の痛烈な喪失だったのかもしれない。
次の一歩が、彼を何者に変えていくのか――それは、まだ誰にも分からない。