第七話 手品は奇跡の幻
「姉ちゃん、姉ちゃん! 見てくれって!」
「はいはい……今日はどんなの練習してきたのかな?」
暖かな日々。木漏れ日の下、日を差す間を仰ぎ、手を伸ばせば届くその距離に、守るべき相手が居る頃の恐怖は、はかりしれない。
「ここに取り出したりますは、一輪のお花です」
「ほお、綺麗だね。それで弟くん、これをどうするのかな?」
「目を瞑って、三秒数えて!」
了承して瞑目し、声に出して数える。
目を開くと、彼の手には花は無く、ただしたり顔でそこに立っていた。
「あらら、お花はどこへ行ったの?」
そう聞くと、待ってました、と言わんばかりに手を上げ、指でさしたのは私の少し上あたり。おそらく頭だろうか、手で軽く頭を撫ぜるようにして確かめてみると、そこには────
「花冠……?」
「そ、今日姉ちゃんの誕生日だろ? だから、プレゼント」
「……ありがとう」
「それと、安心しなよ? この花は僕の奇跡で、枯れないんだぜ! ずっと大切にしてくれよな!」
ブツリ、目の前が暗転する。目の前に映し出されたのは、私の足を掴む九個の手。
「…………あ」
暗闇の地面から、ぬるりと瞳が浮き出て来る。血濡れの魔女は私を睨んで、口々にこういった。
「────仲間を焼いた不届き者め、お前など──」
※ ※ ※ ※ ※
「──────っ」
冷や汗が流れ、息が荒くなる。どうやら夢だったようだ。私はゆっくりと身を起こし、隣のソファで寝ているアルブスに目をやる。彼には昨夜、ベットで寝るよう促したものの、かたくなにここで寝ると言って聞かなかった。
窓の外を見れば、まだ朝日は登っていないようだ。仕方が無いので、二度寝をする前に下で何か温かいものでも飲んでから寝よう。
階段を下ってリビングの前まで来ると、扉から光が漏れ出している。弟はまだ起きているようだ。
「こんばんは、寝れなかったの?」
「姉ちゃんこそ。……ココア、飲むか?」
「うん」
短く言葉でない返事を返すと、私の弟────“シャローム”は、立ち上がって、湯を沸かしに行く。
「……なぁ姉ちゃん、雪山の件、解決したか?」
「きっちり、ね。後はアセロラにまかせておけば心配いらないわ」
「そっか」と、少し寂しげにこぼし、シャロームはコップとココアの粉を用意している。
「シャルは? 手品の方はどう? ……楽しめてる?」
「うん。姉ちゃんにも後で見せたげようか。そうだ、あと何日ここに居れる? 一人知らないやつも居たけど」
ポットから湯気が出るのを待ちつつ、彼は振り返って指を鳴らし、微笑を浮かべた。それからカウンターに肘をつき、私を愛おしそうに見つめている。
正直に「五日」と答えても、彼は表情を崩すことなく、
「じゃあ、十分だ」
「それと、あの子はアルブス。仲良くしてあげてね……聖獣の生まれ変わりだけど、魔法は使えないから。……そうせなら、戦い方も身につけてくれると嬉しいかな」
「はぁ? 聖獣だって……?」
こくり、と頷くと、呆然とする。
「…………まぁ、いいよ。姉ちゃんの頼みだしな。アルブス、か。ん……アルブス?」
「先代の北の魔女の名前ね。アセロラがそれが良いと言ったの。多分、雪山の聖獣だし、かつて北の魔女と親しかった筈だから……名の恩恵を授けたかったんだと思うわ」
「道理で、聞いたことあるなぁと。……明日からきっちり教えこんでやるから、安心してよ」
思わずふっと吹き出して、それから湧いたポットを指差す。彼ははっとしてコップにお湯を注ぐと、テーブルにおいてくれた。
「あ、そうだ。……シャル君、戦闘技術を教える為に前提として知っておくべきことは何かな?」
思い出したように、私はいたずらっぽく笑みを浮かべて、聞いてみた。
シャルは顎に手を添え、自分の飲み物を啜ると、あっ、と声を出してコップを持っている手を前に突き出した。
「────その人に合う武器と、適正を知ること……だね」
「正解。…………ふふっ」
※ ※ ※ ※ ※
朝の日差しに打たれて、僕は目を覚ました。体を起こして周りを見ると、アセリアが居ないことに気づく。もうすぐ夏が来るというのに、変に涼しい空気に欠伸をすることで挨拶をして、立ち上がった。
「…………下、かなぁ」
とこぼすと、扉の先からノックする音が聞こえたので、ビックリして耳が下がった。
「入ってもいい?」
「あっ、えと……はい、大丈夫です」
一拍置いて、その人は部屋に入ってきた。その姿に、また驚かされる。
アセリアとよく似た顔立ちに、同じくすんだ空色の髪と夜空の目。一瞬で分かる、血の繋がりに、思わず叫んだ。
「弟さんですか!?」
「…………えぇ……う、うん。僕、シャローム。よろしくね、アルブス」
「しかも僕の名前知ってる!?」
自分で思っているよりも声が出てしまったのか、彼は怯んでいるように見えたので、僕は慌てて謝った。
「えぇっと、……僕姉ちゃんに言われたから、君に戦い方、教えようと思ってるんだ。どうかな」
「……教えてくれるんですか?」
「うん」と頷きつつ返答してくれるシャローム。僕は踵を返してソファの側に置いておいた着替えを取り、腕に掛けて彼を見た。彼は何かを察して一歩下がると、
「えと、そうだね。先ずは着替えてからかな。じゃあ、下のリビングで待ってるから」
「はい、わかりました」
扉が閉められてから数秒経って、不意に我に帰って一層恥ずかしくなった。アセリアに僕のことを聞いたと言うなら、僕が聖獣であることも知られているのだろう。しかし、実際にはこんな子供みたいな反応をするやつなのだと思われてしまったかもしれない……。
「うっ、考えるだけで僕の矜持が……。でも、威厳ある立ち振舞なんて、分かんないし……それに、僕は聖獣であって、聖獣でないんだから……あまり気にしてもしょうがない、よね」
深い溜息を吐いて、手早く着替えを済ませる。そしてリビングに向かうと、宣言通り彼は椅子に座って出迎えてくれた。
「僕の隣、座りなよ」
シャロームは軽く椅子の板を叩き手招きした。僕はお言葉に甘えて、そこに座る。アセリアがパンを焼いて持ってくると、それぞれの前にそれを並べて、それからジャムやバターも置いた。
椅子に座ると、二人は揃って手を合わせたので、僕もせかせかと同じように手を動かし、
「いただきます」
※ ※ ※ ※ ※
「おいしかったろ、朝ごはん」
「うん」
外に出ると、温かい日が全身を照らしてくれる。彼を見やると、木の剣を携えている。僕の武器は、と聞くと、
「これから、君に合う武器を探す。ざっと種類は……片手剣、両手剣、短刀、弓、長柄武器、槍…………これくらいかな」
「ひぇ……多いですね…………」
「…………」
僕をまじまじと覗き込むシャロームは、何か言いたげにこちらを見る。が、その口から何か発せられるわけでもなく、彼は指を鳴らした。
「……ほれ、下見てみ?」
「え……」
言われるがままに下の草原を覗く。と、さっき彼が言っていた武器(木製)が、その場に転がっているのだ。魔法なのだろうか? しかし、それらしい反応や気配は感じられなかった。興味心むき出しでしゃがみこみ、それらを手にとって確認していると、彼はくすくすと笑った。
頭を上げると、彼は僕の目の前で剣を鞘から抜くと、
「僕のこれは“奇跡”さ。手品師やってるって話、聞かなかったか?」
「あぁ……聞いたかも」
確かに、アセリアは「手品師の弟に店を任せている」と言っていた。
「さ、なんでもいいから、一個持ってみ」
※ ※ ※ ※ ※
【図鑑】
“シャローム・アタナシア”
奇跡と呼ばれる手品を扱う手品師。アセリアの弟であるが、魔女と同じ種族では無い。元々長寿種の姉弟として生まれた彼らは、変わりゆく環境に目を輝かせながら生きていたが、それは姉の魔女としての人生の始まりから削れていった。
姉想いの優しい少年であり、年齢は約五百九十歳。