第五話 雪解けの朝日
「アルブス、朝だぞ」
暖かな日光に白髪が照らされ、柔らかなクリーム色に反射している。頭に生えた獣の耳が反応して揺れると、狼の人型──“アルブス”は目を覚ました。
彼を起こしにきたアリスに負けず劣らず、アルブスの瞳は欠伸に誘われた水に膜をはられ金色に輝いている。
雪山の件が片付いてまだ五日程しか経っていないが、もう随分と万年雪の影響から立ち直っている。昨日もアリスとアセリアは山を見回って来たが、特に異常は見られなかった。
ただ、スアブ鉱石にマナが見られなくなっら。恐らくは、万年雪が原因で過剰にマナを摂取しすぎたり、放出しすぎたりしていたのだろう。探掘家に鉱石の採取を許可し、アルブスの名前を考え、アセロラの療養──等々、村に残る理由は、昨日の内にすべてやり遂げた。
「……もう、朝?」
アルブスは腕を大きく上に伸ばし、もう一度欠伸をして飛び起きる。
「今日の仕事は?」
元々聖獣という知能の高い生物であったからか、アルブスは殆どの言葉を理解し、話すことができる。しかし人型としての生活は徐々に覚えていった。
「今日は……そうだな。俺を途中まで送る、だな」
「みんなも来るぞ」と言い残し、アリスは扉を開けて下へ降りていった。
やがて足音が聞こえなくなると、アルブスは寝台からおりて真っ直ぐにクローゼットに向かい、普段の軽装に着替える。だぼっとした袖と、対象的にキュッと締まる薄いミント色の服に手を通して、襟を正す。それから長い紺色のズボン──というより、制服のスカートに近いものを履く。
腰辺りまで伸びている白髪を上手く後ろで結って、帽子を被れば完成だ。
「送る……とは、一体」
生まれ直した狼の少年は、弱々しく映る自分に問いかける。
しかし、外に出れば嫌でもその理由が、状況が分かった。まるで、誕生日にそれを知らぬ主役の前へケーキを置くのと同じように。
「アリス……行ってしまうのか」
「まあ、ね。メリーベルが俺を呼んでるからな」
「それは、君の……」
アルブスが言いたいことが分かったのか、アリスは珍しく優しい笑みを見せて、
「そうだ。“大切”だよ。復讐に燃える俺の、たった一人の光なんだ」
と、彼の頭を撫ぜた。
「落ち着いたら連絡してね。今度は私の方から、そっちに行くから」
冗談交じりにアセリアがそう言うと、アリスは肩をすくめる。
「そりゃできねえよ。百八十度違う存在とはいえ、魔女の暴れた跡を……かさぶたばっかの世界を、見せたくないしな」
「さ、行くぞ」
周りと同じ場所で離れるとばかり思っていたアルブスが目を丸める。そして、今朝言われたばかりの言葉の意味に改めて気づき、強く頷いた。
※ ※ ※ ※ ※
「アリス、今更なんだが……」
森を歩きながら、アルブスが口を開く。「ん」と軽く返事をする彼女の背を見つつ、彼はおもむろに続けた。
「僕を生き返らせたのは、アリスなんだろ? それって、どんな魔法よりも──」
と、突然アリスが振り向く。
「────ちげぇ」
「違ぇよ。魔法なんかじゃない。これは呪いの影響だ。生き返らしてるわけでもねぇ……」
「じゃっ、じゃあ僕は────!」
血相を変え、眉間に皺を寄せて、アリスが叫ぶ。
「──君はただの狼だったろ? じゃあ、なんで人型になってるんだろうな? 命の石まで持って、その上魔法に使うためのマナはからっきしだ、なんでだと思う?」
悲痛な叫びが、鼓膜をつんざく。
「俺は命を再生するんじゃない! 魂を無理やり戻すだけであって、死体がなきゃ無理だ! 運良く息を吹き替えそうが、そいつには代償が伴うんだよ! 君のマナだってそうさ。よく言うだろ? “テセウスの船”って」
呆然としたまま、凍りついたように動かないアルブスの胸ぐらをアリスはつかみ、
「俺は……この力は、そんな嬉しがるもんじゃねえ。……私────俺はっ、何度も見てきたさ。ああそうだ。俺は何人もの人にこの力を使い、ほとんどが失敗に終わるんだ」
「……アリス」
かすれたアリスの口から出た“私”を、本音を、彼は聞きのがす筈もない。
「アリス」
「あぁ……っ?!」
「僕はアリスにその力を使ってもらえたから、今ここに居る。僕の魂をその呪いで呼んでくれたから、僕は人の姿で、こうして生きてるよ」
言葉足らず。そう言おうとしたアリスの口を、今度はアルブスが遮った。
「なんで、アセリアは君を呼んで、僕を助けるようお願いしたのさ!?」
「……それは」
アリスが怯み、表情を歪ませた。
「君の力を、呪いでなく魔法として見てるからだ! アセリアもアセロラも、魔法は“人を助ける”ものだって……それが魔法の定義なんだって、言ってたんだよ」
涙ながらに、耳をペタリと下げてアルブスはアリスを睨む。
「呪いが原因でその力が生まれたとしても、これは立派な君の力、でしょ……!」
「…………ご、めん」
しゃくり上げそうになったのか、アリスはうつむいて、静かにそう謝罪する。アルブスは力の抜けた彼女の手を胸元から離すと微笑み、肩を軽く叩いた。
「ほら、扉」
アルブスが指をさした方をみやると、そこには確かに扉があった。
場違いな白さと、神秘的な装飾のほどこされた扉は、少しだけその内を覗かせている。────最も、“枯花之道”と呼ばれるそれには、花は一輪も下げられていなかったが。
「……アルブス」
「うん?」
「これ、やるよ」
アリスはぶっきらぼうに彼の手にそれを握らせる。そうしてかた、彼女は静かに、扉の先へと消えていった。
※ ※ ※ ※ ※
【図鑑】
“テセウスの船”
例えば、二つの物体がそこにあるとしよう。片方はごく普通のもので、もう片方は、その物体を解体してすべてを別のものでつくった同じ形の物体。そして、その物体を二つ差し出して、一人が言うんだ。
「この物体は、同じといえますか」と。
物が壊れたとき、別のもので代用し同じものを作ったとき、それは前の物体と同じであると言えるか。つまり、同一性を問う話だ。