文学少女の菊池さんを夏祭りに誘ったら……
今年の夏祭りに誘いたいひとがいる。
同じ文芸部の菊池踊子さん。
部の活動では既に「トーコさん」「優弥くん」で呼び合う仲になっている。
でも、まだ二人でデートしたことはないし、僕の気持ちを伝えてさえいない。
ムードたっぷりのお祭りの中で、ぜひ、彼女と特別な関係へ進展したいんだ!
「夏祭り?」
とっても興味のかけらもなさそうな表情で、トーコさんが言った。
「そんなもの、子供を連れて親が行くものでしょう? 汗水垂らして義務のように」
黒ぶちメガネにはまった冷たそうなレンズが今日もピカピカに光ってる。
毛づくろいを欠かさない直毛のネコみたいな肩までの黒髪が今日も綺麗だ。
「だ……、ダメかな?」
しまった二人きりとか言わずに大勢で行くことにしとけばよかったと僕が思っていると──
「優弥くんと二人だけなのよね?」
トーコさんの頬が少し赤らんだように見えた。
「いいわ。一人じゃ絶対に行かないようなところだもの、面白そう。大勢ならなおさら行かないし」
いつも薄暗い文芸部室の蛍光灯が、ぱあっと明るくなった気がした。
きっと浴衣で姿を現してくれると期待していると、神社の入口にやって来た彼女はいつもの白いブラウスにグレーのスカート姿だった。つまりは学校の制服だ。
「待った? 優弥くん」
「あ……、いえ。今、来たところです」
ほんとうは楽しみすぎて1時間も前に来ていた。彼女は時間ぴったりだ。
楽しみにしてたのは僕だけだったのかな……。いや、まあ、制服姿も時間を正確に守るのも彼女らしい。気にしないことにしよう。
「それで? 教えて? オトナは二人でこういうところへ来て、何をするものなのかしら?」
なんかその言い方がそこはかとなくエロかったのでたじろいだけど、僕はトーコさんが気に入るだろうセリフを用意していた。
「解放感の中で、羽根を伸ばすんです。日常の束縛から身を解き放ち、Carnivalを楽しむんですよ」
「15点ね」
気に入ってもらえなかった。
「この犇めく人混みの中のどこに解放感があるのよ? 日常もいいところだわ。Carnivalとは謝肉祭──肉への感謝を捧げるお祭り、つまりは死と近い位置にあるものよ。この呑気な家族サービスのための空間のどこにCarnivalがあるというの?」
しびれる。
こういう小難しいことをサラッと、涼しい目をして唇に乗せる彼女が、僕の大好きなトーコさんだった。
でも、それは一面にすぎない。
もうひとつの、僕の大好きな、彼女の顔がある。
このデートで見せてくれるかな?
彼女の中に隠れてる『菊地さん』を──
「やきそば食べよう」と僕が言うと、「やきそばぐらい、いつでも食べれるじゃない?」とトーコさんが不思議がる。
そして屋台の前に立つと、大声を出した。
「やきそばが……600円!?」
高い、と言いたげだ。
「お祭りの時のやきそばは特別なんですよ。この雰囲気の中でしか食べられない、特別なやきそばなんです」
「そ……、そうなんだ?」
「僕がおごりますよ。だから食べてみて?」
千二百円を払って2パック買い、木陰で向かい合って食べた。
「どう?」と僕が聞くと、「ふつう」と答えた。
「綿菓子、買いましょう」と僕が言うと、「なんか楽しそうね、童心に戻れる感じ」と、キャラクターの描かれたカラフルな袋を遠目に見ながらトーコさんが無表情に答えてくれた。ちなみにここまで一度も笑ってない。
そして屋台の前に立つと、絶叫した。
「綿菓子が……500円!?」
また僕のおごりで2袋買った。
僕はお面ライダーで彼女はポリキュアだ。
「これ、材料はザラメ糖よ? しかも熱を加えてふわふわに膨らませるから、材料ほんのちょっと。……それが、500円て……。優弥くん! もうお金を使わなくていいわ! だってもったいない!」
「もったいなくなんかないですよ。これも今、この時にしか食べられない綿菓子ですから」
本心だった。この時がずっと続くならリンゴ飴に一万円出しても構わなかった。
僕は綿菓子を口で千切りながら、とても楽しかった。
彼女も楽しませたいな……。
笑ってほしい。
「……じゃ、しばらくお金を使わずに、色々と見て歩きましょうか。お祭りって、ただ歩いてるだけで楽しいものですよ」
ちょっと嘘だな、と自分で言っといて思った。
ただ歩いてるだけじゃ楽しくない。
好きなひとと歩くから楽しいんだ。
夜も更けて辺りが暗くなると、さらに人は増え、人波に押し流されそうなほどになってきた。
「ちょっ……!」
トーコさんが溺れかけてる。
「優弥くんっ! 迷子に……、私、迷子になっちゃうっ!」
チャンス到来!
僕は言った。
「はぐれないように、手を繋ぎませんか?」
僕が差し出した手を見て、彼女の表情が変わった。
嬉しそうに、うっすらと笑ったのだ。そしてその手をそっと伸ばしてきた。
その時、人波が物凄い勢いで彼女を押し流し、さらっていった。
「優弥くん! 優弥くん!」
「トーコさんっ!」
はぐれてしまった。
でも……
これは……菊池さんに会えるぞ!
トーコさんはスマホを持ってない。
必死になって探した。溢れ返る人波の中──ではなく、はぐれているはずだ。人の海から外れたところに、一人でぽつんと。
見つけた。
鳥居の脇、人気のないところに、迷子のように、石段にぽつんと座っている彼女がいた。
べそをかいていた。
僕は近づくと、声をかけた。
「菊池さん」
小さな女の子がはぐれたお父さんを見つけたように、彼女が急いで顔をあげた。
「優弥くんっ!」
泣き顔で僕の胸に飛び込んできた。
「怖かったぁっ!」
久しぶりに『菊池さん』に会えた。
彼女は入学当初はこんなふうに、オドオドしてて怖がりな女の子だった。
文芸部に入って、その読解力と執筆能力を見せつけるようになってから、いつの間にかツンツン系の文学少女になったけれど、元々はこんな『守ってあげたい系』の女の子だったのだ。
「大丈夫、大丈夫だよ、菊池さん」
僕は彼女の頭をぽんぽんと優しく撫でると、安心させたくて、笑顔を見せてあげた。
「さぁ、はぐれないよう、手を繋ごう」
心から僕を信頼するように、菊池さんがにっこりと、満面の笑顔を見せてくれた。