アインアイ(2)
結局、わかったのは『リオン、二十歳。』ということだけで、あとのことは要領を得ない。スマホで録音したが、婦警にはやっぱり異国語で、聞き取れなかった。リオンの日本語が通じるのは村正だけらしい。
仕方なく、村正自身が書き起こしたが、水多課長に却下されて、後日、再聴取になってしまった。
陽が傾く。
リオンは、あのあと留置場に入れられた。
当番弁護士が来たが、言葉が通じなくて帰っていった。
(サイアク…)
天井を見上げて溜息をつく。
「帰っていいぞ、村正。」
彼の横を通り過ぎた水多課長が肩を叩いた。
「うぇっ。」
肋骨に響く。
「わざとかよ。」呟く。
水多が微笑む。
「どうも、お優しいことで。」
終礼が鳴る前に席を立った。いつもの黒いコートを羽織る。
捜査課のある二階の階段でふと上を見上げた。
三階の留置場には彼女がいる。
村正は、ゆっくりと階段を上り始めた。
留置係の婦警に頭を下げてリオンの部屋の前に立つ。
鉄柵の隙間から中を覗き込んだ。
真横で留置係の婦警が不機嫌そうに見ている。
リオンが顔を上げた。
驚いた顔をしたが、立ち上がって村正の前に来た。
「ここは、何だ!?
牢屋かっ!」
格子を握ったリオンの剣幕に少しのけぞる。
「牢屋って… ちょっと違うかなぁ。
ここは留置場、今日はここでお泊りだ。
ちゃんと正直に言えば、うちに帰れるぞ。」
「私は正直だ。
本当のことを言ったのに聞いてないのはお前たちだ。」
「ん…。」村正が頭を掻いた。
「ここには『月』はあるのか。」
リオンが格子を握った手から少し力を抜く。
「月? お月さん? 1個ならあるけどな、空に。」
「『満月』なのか?」
「んー。 わからん。」
「気を付けろ。
『アインアイ』は満月の夜に最強になる。月が欠け始めると力を失うが『満月』の前後はまだ強力だ。」
「そのバケモン、何をする?」
「人を食う。」
「…。」
「退治しなければならぬ。」
「はぁ。」
「お前がやれ。」
「へ?」
「私の『オリハルコン』を『アインアイ』の中心に突き立てれば倒せる。」
リオンは真顔だ。
「…。」
返事が出来ない。
リオンが俯いた。
「お前しか言葉が通じない…。」
「やっぱ、アンタ、病院へ行け。
明日、手続きしてやっから。」
村正がまた頭をかいた。天パに指が引っ掛かる。
「見に来て、損したなぁ…。」
◇◇◇
事件が起こったのは隣の所轄だった。
夜中の河原でホームレスが引き裂かれたバラバラの死体で見つかった。
目撃者は錯乱状態で事情聴取どころではない。「目玉、目玉」としかしゃべっていない。
所轄に手に負えるはずもなく、村正らの県警本部の扱いになる。
会議室の捜査本部にはり出された写真は、目を背けてしまうくらいグロい。
「本当に食われた痕みたいだな。」
ファストフードのハンバーガーを咥えながら、水多課長が写真を眺めていた。
この神経には頭が下がる。
「課長、彼女に見てもらっていいっスか?」
相変わらず、けだるいしゃべり方で村正が言う。
「ん?」
「『目玉のバケモンが人を食う』って言ってました。」
水多が村正を見上げた。
「これって、バケモン以外のなにモンでもないスよねぇ。」
村正が天パに指を突っ込んだ。
「人間のしわざって、思いたくはないな。」
水多が最後の一口を放り込んで、コーヒーで口を空っぽにした。
「許可する。」
村正が足早に部屋を出た。
◇◇◇
婦警に連れられてきたリオンは、番号の書かれたジャージの上下を着せられていた。手を身体の前で組み、縄付きの手錠をかけられている。
紫色のまっすぐな髪は、額や頬に張り付いて乱れたままだ。
水多課長が頷いて、村正が手錠を外す。
リオンは、交互に手首をさすった。
「私は、咎人ではない。」
彼女は不満そうに村正にそう言った。村正はそれを無視する。
「これ、」
村正が写真を示す。
リオンが写真を見上げて、口を開けた。
「すごい…、すごい絵師がいる!」
指をさして村正に訴える。
「絵師?」
「本物のようだ! お前が描いたのか!?」
「?」
「こんなに細かく、どう描いたんだ? どんな筆を使った!」
「写真なんだけど…」村正が口ごもる。
リオンが目を輝かせて眺めている。
指でなぞろうと手をかざす。
「で、これって、アンタのいう『アインアイ』とかいうやつがやったのか?」
リオンの目から輝きが消える。写真を見渡して、村正のほうを向いた。
「そうだ。この食い痕は『アインアイ』のだ。随分と食べたな…」
「村正、何て言っている?」
水多が口をはさんだ。相変わらず、リオンの言葉は他人にはわからないらしい。
「この前の化け物、『アインアイ』だそうです。」
「『アインアイ』?」
「名前です、バケモンの。」
「面倒くさいな。」水多が眉を顰める。
「お巡りさんですからね。
人間だけでなく、生き物ぜーんぶ、ウチに振ってくる。」
村正の声もやるせない。
「…。」
「自衛隊、呼びます?」
「できるのは、知事だ。」
「お前たち、何を言っているのかわからないが、『アインアイ』を倒さねばもっと人が食われる。
それでいいのか!」
リオンが村正に食ってかかった。その手が村正のコートの襟を掴む。
クールビズでネクタイもしなくなったというのに、村正は黒のコートを着たままだ。
薄手とはいえ、暑苦しい。だが、水多は知らん顔をしている。
「良くないけど…」村正がぼそりという。
「どうすればいい?」
水多がリオンにいった。
リオンは水多の顔をじっと見ている。
言葉は通じていないだろうが…
「この人も、『アインアイ』を倒したいのか?」
「…倒したいっていうか、お巡りさんなんでね、街の平和を守りたいんだよ。」
「街の平和…、守備隊長か!?」
「ん?」
「お前より、偉そうだ!」
「どうも。」
リオンが水多のほうを向いた。
「『アインアイ』は私の『オリハルコン』を突き立てれば倒せる。」
水多が不思議そうにリオンを見ている。
「お前、かの御仁にわかるように言葉にしてくれ。」
「へ?」
「私の言ったことをそのまま伝えればよいだろう。」
仕方なく村正はリオンの言葉をそのまま復唱した。
「『オリハルコン』?」
水多が呟く。
「彼女から押収した金属棒ですよ。鑑識曰く、ただの真鍮。」
「?」
「『アインアイ』は、昼間は出ない。日の光がまぶしくて嫌がっている。
夜になってからだ。」
「明るいのが嫌なのに、月はいいのか?」
村正が皮肉っぽくリオンに言う。
「月の灯りがないと獲物を探せない。」
「ご都合主義だな。」
水多が微笑う。
「どこに出るのかわかるのか?」
水多が問う。村正が通訳を続ける。
「分からない。
だが、罠を仕掛けることはできる。」
「罠?」
「餌を置いておけば、向こうからやってくる。」
「餌って?」
「私だ。」
リオンが不敵に笑った。
◇◇◇
「『証拠不十分』ねぇ…?」
村正がため息をつく。
留置所係がたんたんとリオンの持ち物を机の上に置いた。
発見当時に来ていた服。へそ丸出しのコスプレ衣装だ。
「着替えていいか?」
リオンは村正にそういうといきなり、ジャージの上を脱いだ。ブラもしてない姿だ。
「ばか! ここで脱ぐな!」
酷く慌てた村正の声にリオンが動きを止める。
「こっち! 着替えるならトイレいけ!」
村正が荷物とリオンを女子トイレに押し込んだ。トイレわきの壁に背中をつけてため息をつく。前を通りかかった婦警に笑われた。
「ちっ。」
舌打ちも出る。コートのポケットからサングラスを出してかけた。少しは情けない顔も隠せるか。
「着替えたぞ、これはどうする?」
ジャージを両手にリオンがトイレから出てきた。
村正がジャージを取り上げて留置場係の机に返す。
で、リオンを見るとコスプレ、ビキニ姿だ。これでは…。コートを脱いで、リオンに着せた。
「腕を通せ。」
「なんだ!?」
「着てろ。そんな恰好でいられたら困る。」
「私は困らないぞ。」
「『私』以外が困るんだ。」
リオンが渋々、コートを着た。袖が長いのか指先まで隠れている。裾はくるぶし近くまである。足元は、編み上げのサンダルだ。
「動きづらい。」
「文句、言うな。」
リオンの腕を取って、捜査課のフロアに入った。奥の会議ブースまで引っぱっていく。
「課長!」
コートの襟首を掴んで、リオンを水多の前に立たせた。
机の上に70センチばかりの金属棒が置いてある。
「お返しする。
だが、この長さでは凶器と思われても仕方がない。
何かで包んでおくように。」
水多課長の言葉を村正が通訳する。
「長いのはダメだから、包んでおけって。」
「長いのがダメ? じゃぁ、短くしておけばいいのか。」
リオンは、金属棒を取ると首の後ろにまわした。
棒の先を両手で胸元に向けた。硬い金属棒が飴のように柔らかく、リオンの首に巻き付いた。
その姿に、水多も村正も声をなくす。
「これでよいか。」
リオンが満足そうに笑った。
「『アインアイ』をおびき出すのは、人の少ないところがよいだろう。
広いところが欲しい。魔法陣を画かねばならぬ。」
「魔法陣…?」
村正の通訳に水多が不思議そうに呟く。
「んなとこ、あるかい…」
村正も呟く。水多が考えこんでいる。
「前に『アインアイ』が出てきたところはどうだ?
あそこは高い山だろ。」
リオンが言う。
「?」
水多と村正が顔を見合わせる。
「山じゃねぇし。」
村正が頭を掻く。
「わかった。」水多が頷いた。
「課長、『わかった』って!?」
「わけのわからん化け物はさっさと始末せんとな。」
「課長!」
「許可はとってやる。」
水多が笑顔を見せる。
「水多課長! 本気ですか! こんなのを信じるんですか!」
「準備をしろ、村正。」
「えー!」
「何を言っているかわからんが、お前の守備隊長は勇ましいのを。」
リオンが笑った。
◇◇◇
夕陽が傾いてもビルの屋上は暑い気がした。真夏でもないのに周りの空調からの熱が中空を漂う。
「なんだ、ここより高い山がいっぱいあるな。」
リオンが四方のビルを見上げて言った。
彼女は村正のコートを着たまま、腰に手を当てている。
屋上出入り口のドアを背に村正がしゃがみ込んでいる。村正はSATのセミライフルを抱えている。
『場合によって』の発砲の許可も受けている。セミライフルの弾倉は満タンで、予備も持たされている。ワイシャツの上はSATの防弾ベストだけだ。肩の自由が奪われるので、これ以上の装備は階段の踊り場に置いてきた。お巡りさんの装備じゃないし…。
屋上にいるのは、リオンと村正だけだ。かえって邪魔になるだろうと水多課長たちは下で待機している。というか、まあ、逃げられた…?
水多課長は、村正に一任だといった。
『元SAT狙撃手の村正以上に適任者はいないでしょう。』
県警本部長に言い放っていた。
(あーあ、そんなに買いかぶられてもなー)
リオンが首に巻いていた金属棒を外した。彼女の手の中でまっすぐになる。
頬杖を付きながら、村正はそれを眺めていた。
(マジ、ワケ、わかんねぇ…)
(流行りのマンガの世界か!?)
(おっさんには、理解不能だな…)
リオンが金属棒でコンクリに線を書き始めた。ガリガリと音がするが?
「おかしい!」
リオンが声を荒げた。
「線が描けぬ!」
(うるさい娘だな。)
「おい、ここの地面はどうしてこんなに固いんだ!」
(うわぁ~)
嫌な叫び顔をおくびにも出さず、村正が答える。
「コンクリートだからな。」
ぼそっと言う。
「コ、コン?」
リオンが不思議そうな表情を浮かべて、そして表情が暗くなる。
「描けないと困る。描くものはないのか!?」
村正が自分の体中を触りまくる。ポケットに何か入っていないか!
セミライフルの袋も触りまくる。外ポケットに固いものがあった。ポケットから、それを取り出す。
村正が溜息をついて立ち上がった。リオンに近づくとしゃがみ込んだ。ライフルを小脇に抱え、コンクリの上にチョークを並べた。ピンクと白と黄色、現場に印をつけるのに使う。
「これなら描ける。」
村正がリオンに言う。
リオンが迷わずピンクのチョークを取り上げた。
「これは、キレイな色だ!」
リオンが破顔した。
初めてみる娘らしい笑顔だ。
何か、照れてしまう。思わず、村正が目をそらした。
リオンがチョークを手に、屋上に円形の線を引き始めた。
◇◇◇
リオンが『魔法陣』を書き終えたのはかなり夜になってからだった。天上には満月、に近いまあるい月。
ピンクのチョークで書き始めた『魔法陣』は、白も黄色のチョークをも使いきっていた。
複雑な模様が屋上に拡がる。
月より、まわりのビルの方が明るい。
「こんなに明るくて、バケモノをおびき出せるのか?」
「心配ない。
もう少ししたら、月が頭上にくる。
そうしたら、結界を張る。」
「はぁ?」
リオンが微笑んだ。
「貴殿には、迷惑をかけたみたいだな。」
「ん?」
(『お前』呼ばわりから、『貴殿』か?)
「ここは、私の世界ではない。この世界を、貴殿らを巻き込んで悪かった。
『アインアイ』を倒せば…」
(帰れるのかな。)
リオンが月を見上げた。首筋が白い。リオンの語尾は聞き取れなかったが、何となく、村正は呟いた。
「…だといいな。」