サッカーへの決意
シュンとレイカがサッカーを始めて、空を見ると輝く一番星が見え始めた。
夕日が沈むのもあとわずか、すぐに夜となるであろう。ヴィルカーナ家の家も、そして庭も明かりが灯り始める。
明かりがついたのを見たシュンはふと空を見上げて、もう夜も近い時間になったのだと理解する。サッカーをしていると時間がたつのが早い。
「はあ……はあ……やっぱやるねえ」
「ふー……あなたもね」
二人は息を整える。
サッカーを始めて休憩することなくぶっ続けで一騎打ちをし続けた。両者の実力はほぼ互角で勝率も五分。得意のドリブルでも勝率は七割と、シュンにとって得意分野である魔法なしの勝負でここまで勝ちをのばせなかったのは初めてであった。
「レイカ、前から思ってたが、あのエルドラド魔導祭でサッカーをした時よりうまくなってるよ。サッカーずっとしてたんじゃないか?」
「……ええ、ずっとしていたわ」
やはりそうか。
でなければ前の選抜戦であんなにいい動きができないわけがない。
レイカはずっとサッカーをしていた。それでもサッカー部に入ることを断る、その理由は、
「……君の家の事情について知ったよ」
「っ! 自分で調べたの?」
「いや、おつきの人に聞いたよ」
「そう、ばあやから。あなたいつの間に」
「放課後、おつきの人が君の迎えに行く途中に、俺の練習を見ていてね。そこから話して、色々と聞いた。その……君の兄弟のことを、さ」
「……そう」
シュンがヴィルカ―ナ家の事情を知っている。
なら素直に話しても問題ないか、そう思ったレイカは、
「私のお兄ちゃんはね、それはもう自慢にできるお兄ちゃんだったわ」
自分の兄のことを話すことを決めた。
「魔法の腕もすごかったけど、私がサッカーをし始めたころ、周りの同級生は誰も私相手に本気でしてくれる人がいなくて。あなたに出会うまではお兄ちゃんが一緒にサッカーをしてくれたのよ」
「へえ、そうなんか」
「学院で勉学に忙しい時でも私のサッカーに付き合ってくれたの。あのときはただボールを追いかけたり、シュートを打ち合ったり……二人でボールを蹴る、それだけだったけど、楽しかったわ」
それはレイカの兄との思い出。
レイカがシュンと出会うまでサッカーを楽しみながら続けることができたのは兄のおかげだ。
(俺も、村とみんなでするサッカーが楽しかったな。あのときはボールを蹴るだけなのに、それが嬉しくて……)
試合も楽しいが、他のことを考えずただひたすらボールを蹴ることだけに熱中して自由にサッカーをする。それもまた楽しいものだ。
「成績が優秀とか、魔法の扱う腕がいいとかよりも、私の我儘に付き合ってくれるその優しさが好きなの。私のお兄ちゃんは」
だけど、
「……あんなことになるなんて思いもしなかったわ……」
悲しげに空を見上げた。
あんなこと、すなわちあの事件のこと。
(フィニス海沈没事件のことか)
突如起きた大津波によって船が沈んでしまった沈没事件。
そしてその大型船にオロスは乗っていた。
津波の災害に巻き込まれてしまったのだ。
レイカは黙ってしまう。自分の兄の事件についてあまり話したくないのだろう。思い出すだけで辛そうにしているのだ、それは当然の考えである。
シュンは流石にマズイか、そう思ってこの話を切り上げようとした。
「……実はね、この家にお兄ちゃんの墓はまだないのよ」
が、その前にレイカが口を開く。
墓をまだ作っていない。
なぜかと思ったが、シュンはある考えを思いつき、
「……それは、まだ生きていると信じているからかい?」
「ええ、たぶん生きている……はずよ」
なんとかひねり出すように兄の生存を祈る言葉を告げる。
本当はもうこの世にいないかもしれない、でもまだ生きていると、生きているはずだと願っているのだ。
「お兄ちゃんはヴィルカーナ家の当主になるはずだった。その実力も、人を引きつける魅力もあった。家のことも大事に思っていた。なのに……」
でも、今この場所に兄はいない。
それは目を背けることができない現実である。
だからこそ、
「私の兄弟はお兄ちゃん以外いない。そして当主の座は血のつながった子だけに譲られる。だから……私はヴィルカ―ナ家の当主になることに決めたのよ。私が頑張らないといけないの」
家族のために、その家の当主の座を継ぐ。
これが貴族として生まれたものの務めなのだろう。
(レイカ……強い決意だな)
村で生まれ育ったシュンでもレイカのその真剣なまなざしからこの家の歴史を守りたい意思が伝わってくる。
貴族にとって己の家の歴史を守ることは、家族と従者を守ることであるのだから。
「そうか。でもよ、レイカ。その思いを同じぐらいサッカーに重い情熱を持っているって、俺はさっきの勝負で理解しているぜ。じゃなければあんな機敏で力強いプレイングはできん」
「……それは、もう否定しないわ。私はサッカーが好き。でも、それ以上に家族やこの家のために働いている従者たちのために――」
「俺、聞いたんだ。おつきの人がさ、レイカがサッカーグラウンドで立っている姿を一度でもいいから見てみたかったって」
「え?」
シュンの言葉に驚くレイカ。
初耳であった。
「ばあやがそんなことを思っていたなんて……」
「思うんだけどよ。そう思っているのはおつきの人だけじゃあない。レイカの家族や、ここで働いている従者さんたちも思っているんじゃないかな。だって、大好きなサッカーをするレイカを毎日見ていたんだからよ」
なんとなく思ったことではあるが、レイカは当主の座を継ぐのは家族のため、家に関わっている者たちのためになのではないか。
だがおつきの人の言葉を聞く限り、レイカに親しいものはレイカのサッカーを見たい、そう思っていると思ったのだ。
「で、でも……みんなは、私がこの家の当主の座を引き継ぐことを望んでいるわよ。私しか継げないから」
「それも思っているだろうよ。何も一つだけじゃあないってことさ」
そうだ、どちらか一つだけを望んでいるわけじゃあない。
「立派な当主になることも、サッカープレイヤーとして活躍してくれることも、みんな望んでいると思う。ほら見ろよ、グラウンドの外で俺たちのサッカーを見ている人たちもいるぜ」
サッカーフィールドの外に指さすと、その方向の先にこの庭の手入れをしている従者がこっそりとこちら側を見ている。
シュンとレイカのサッカーを観戦していたみたいだ。
「……さぼりね、ばあやに言っておいてあげるわ」
「おや、手厳しい」
えっ、そんな戸惑いの声が聞こえるもレイカは無視。仕事せずに観戦しているのだから仕方ない。
「でも……」
(家の当主を継ぐことをサッカーをすること……どちらもか)
それはそれで大変なことだ。
ヴィルカーナ家の仕事である、魔導薬学の製造はそう簡単に見つけれるものではない。
それにヴィルカ―ナ家として恥ずかしくない振る舞いも身につけなければならない。
でも、サッカーがしていいと、言うのなら……
「……」
「俺はレイカと一緒にサッカーがしたい。だから今日ここに来たわけなんだが」
「シュン、頑固ね」
「それは君もだろ」
軽口言い合って笑う二人。
サッカーをする前の悪い雰囲気はいつの間にか消えている。
「……そういえば、シュン。そのシューズ」
「ん?」
シュンが履いているシューズを見て懐かしむような表情を浮かべた。
「ああ、あの時君に買ってもらったあのシューズだよ。今も大事に使っているぜ。さすがに一足目はサイズが合わなくなっちまったから使えなくなったけど……この二足目は大事に使っているぜ」
昔、エルドラド魔導祭でサッカー製品専門店によってもらってプレゼントされたサッカーシューズ。その時、大きくなってサイズが合わなくなったとき用にサイズが大きめのシューズももらったのだ。
今はそれを履いている。
レイカはそのシューズをじっと見つめる。
そして目をつぶって、
「……少し一人で考えさせて。明日、答えるから」
シュンの勧誘にレイカは待ってほしいと頼んだ。
その言葉にシュンも頷いて返す。彼女にとって大事な問題だ。ゆっくりと考える時間は必要だろう。
「そうか。じゃあ待っているよ」
「じゃあね、シュン。ばあや、シュンを門まで案内してあげて」
「かしこまりました」
「レイカ! またサッカーをしような!」
そう別れを告げて、おつきの人についていくシュン。
レイカはシュンの姿が消えるまで見守って、自分の部屋に戻る。
「今も大切に使っているのね。あんなにボロボロになっても」
穏やかな笑みで自室に飾ってあるサッカーボールを見つめる。
それはシュンと初めて出会ったあの日、別れの時にもらったメッセージ付きのサッカーボールだ。あの時の思い出として今も大事に飾っている。
そしてシュンが履いているシューズはこのボールのお返しとしてプレゼントしたもの。
今も大事そうに使っている。
それが嬉しい。
「変わらないな……あの時から」
サッカーが好きで、サッカーを誰よりも楽しむサッカー少年。
そんな彼に出会って、サッカーが大好きになった。
彼を出会わなければ当主の座とサッカーをどちらを選ぶか、こんなに悩むことはない。でもシュンと一緒にサッカーをしていなければ、ここまで悩むほどサッカーを好きになってはいない。
そんな自分の本心を裏切ることができるのか。
「……いいかしら、ねえお兄ちゃん」
メッセージ付きのサッカーボールを手に取る。
あの時の情熱が再び心にたきつけてくるような、そんな気がした。
鐘の音が響いて教室が騒ぎ始める。
放課後のチャイムが鳴った。
「よし、部活だ! エスバー先に行ってるぜ!」
「……あっ、まって」
シュンはすぐさま部室に向かう。早くグラウンドに出てサッカーがしたいからだ。
「レイカ、朝練来なかったな……」
今日は朝練にレイカの姿はなかった。代わりにおつきの人がやってきて、レイカが来れないことを伝えに来てくれた。
「真面目なヤツだからな。まだ考えているんだろうな」
今も悩んでいるかもしれない。答えがまだ見つかっていないからシュンから離れて考え込んでいる可能性もある。
なら待とう。
明日の日が昇るまで。
自然と不安はなかった。サッカー部に入るかどうか、そのことは絶対に答えてくれるという確信があったからだ。
そんなことを考えながら歩いていると、部室が見える。
今日も一番乗りだ。
「よし、今日もボールを蹴りに――」
「こんにちは」
扉を開けた瞬間、聞き覚えのある声がした。
「……レイカ?」
「あら、シュン。やっぱりあなたが一番に来ると思ったわ」
部室でレイカがいたのであった。