量産型少女――コピー・ガール――(3)
「ひぃぃぃ……ムリムリムリぃ……」
厨房の隅で身体を震わせ怯えているのは歩煎だ。
ほんの数分前のことだ。突然ゲハイムが学園給養部へ現れ、すぐに事態を察知した歩煎はゲハイムニスに気づかれる前に厨房へと逃げ込み、一旦は難を逃れている状況だった。
『――こちら、ソラケン部! 異能部以外の生徒は直ちに体育館へ避難してください! 異能部は速やかにゲハイムニス――ソラビトの駆除をお願いします!』
放送の声はソラビト兼対策司令部である乃木羽のものだと歩煎はすぐ把握した。しかしだからといって、この場からすぐに動けるわけではない。体育館へ行くにはまず厨房を出て、給養部を通って外へ出なければならないのだ。
歩煎は深呼吸をしてから、ゆっくりと扉へと近づき、その小窓から外を覗いた。
ゲハイムニスは獲物を探しているかのように、殺気を立てながらウロウロと彷徨っている。ゲハイムニスがこの場を離れない限り、歩煎は体育館へ避難することは叶わないだろう。
「ど……どうしてこんな目に……そもそも、ゲハイムニスって都市伝説じゃなかったの……」
歩煎は恐怖がピークに達し、今にも零れそうなほどの涙を目に浮かべる。
「と、とにかく気づかれないようにここに隠れてよう……異能部の誰かが来たら、助けてもらえばいい……」
歩煎はそう決め、また厨房の隅へと戻ろうとしたときだった。
「――歩煎! ここにおるか!?」
学園給養部に米来が現れたのだ。
息を切らしているところを見るに、今まで歩煎を探して走り回っていたのだろう。
「歩煎ー! ようわからん銃のソラビトがうろついてるさかい! 早くいっしょに体育館に――」
米来はそこでようやく、目の前に佇むゲハイムニスの存在に気づき、息を呑んだ。
「……あのタコ部長」
小窓から様子を見ていた歩煎は余計なことをしてくれたと思いながら呟いた。
「あ……えと、ここにはおれへんのかもなぁ……。ほな、ウチは退場させてもらいま……ヒッ!」
米来は穏便に逃げようとしたが無駄だった。ゲハイムニスは米来に目をつけ、その銃口を彼女へ向けたのだ。
普段は陽気な米来も、こればっかりは顔が青ざめ、すっかり恐怖で支配されていた。
「タコぶちょ――」
歩煎は助けなければという思いで扉に手をかけるが、一度動きを止めてしまう。
このまま助けに入っても、異能の持たないただの少女は何もできずに、米来とともに無惨に殺されるだけだろう。
米来を見捨てこの場に留まっていれば、まだ自分だけは助かる見込みはある。
「…………」
歩煎の手はそっと扉から離れた――が、近くにあったフライパンを手に取り、歩煎はもう一度力強く扉に手をかけた。
歩煎は目を瞑り、雄叫びを上げながら扉を開き、厨房を飛び出す。
「ああああああああぁぁぁ!」
歩煎はフライパンを振りかざしながら、ゲハイムニスへと突進する。
「――! 歩煎ッ!!」
米来は後輩の存在に気づき、悲鳴を上げた。
ゲハイムニスはすぐさま歩煎へ銃口を向け、発砲した。幸いにも弾は歩煎の頬を掠めただけで、大事には至らなかった。歩煎本人はゲハイムニスに立ち向かうのに無我夢中で、自身が傷ついたことなどどうでもよくなっていた。
ゲハイムニスはもう一発銃弾を放とうとしたか、再度構えを撮るが――そこで動きを止めてしまった。
なぜなら、歩煎の持っているフライパンが中華鍋よりもさらに大きく、通常のサイズではありえないほどの巨大な大きさへ変化していくからだ。
通常ならこんな大きな鉄の塊、歩煎のような細い身体の少女にはとても持てるとは思えないだろう。
もちろん、この状況下で重さを感じている暇がないというわけではなかった。いくら無我夢中にゲハイムニスへ攻撃をしかけたにせよ、質量が変化してしまえば歩煎の身体は重さに耐えられないからだ。
歩煎自身は本当に、最初に握りしめたフライパンの重さしか感じていなかった。だからこそこそ、この変化に気づかない。歩煎自身にあるのは、死ぬ気で立ち向かう勇気だけだった。
「このやろおおおおお!!!」
振り下ろされたフライパンは、ゲハイムニスの脳天に直撃し、床へ叩きつけられた。
フライパンによって頭は潰され、ゲハイムニスはピクリとも動かなくなる。
歩煎はフライパンから手を離し、そのまま二、三歩後ずさりした。
「あ……え……? どういうこと……?」
歩煎はようやくフライパンが巨大化していることに気づき、動揺した。
そしてすぐに、自分自身がゲハイムニスを倒したのだという事実を、ジワジワと実感しはじめる。
「……わ……ボ、ボク……倒せ……た?」
「歩煎ーーー!!」
状況がまだ飲み込みきれてない歩煎に、米来は強く抱きついた。
「ほんまおおきに〜! ウチ、死ぬかと思ったわぁ……!」
「うぅ……くっつかないでほしいッス……」
歩煎はそう言いつつも、内心、胸をなで下ろしていた。
「というか、歩煎、なんやねんあのフライパン! めちゃくちゃデカなったで! 歩煎も異能使いやったんか!?」
歩煎は勢いよく首を横に振って否定した。自分が異能持ちだということなんて、今まで自覚したこともない。歩煎自身も今日初めてこの現象を目の当たりしているのだ。
「危機的状況で異能が開花した〜とか、そんなんなんかなぁ。乃木羽なら詳しく知ってそうやけど……」
「まあ、今はそんなことどうでもいいッス! と、とにかく、早く体育館へ避難しないと!」
「ん、そやな! いつコイツも動き出すかわからへんし……! それに早よ、そのほっぺも手当てしてもらわな!」
「ほっぺ……? ヒッ、ホントだ……ボク……このまま死ぬんだ……」
ようやく自身の怪我に気づいた歩煎は頬を抑え脱力していく。「こんなんで死ぬかいな!」と米来は喝を入れ、優しく歩煎の手を引き、二人は急いで学園給養部を出ていった。
二人が行ってしばらくしてから、頭を潰されたゲハイムニスの身体は砂状に変化し形を崩していき、やがて跡形もなく消え去っていった。
◇
「……ふぅん。今年の生徒はなかなかしぶといのばかりね」
海辺のそばに聳える小さな岩山に腰掛けている、一人の少女はそう呟いた。
少女は黒色のコートを身につけ、フードを深く被っているため表情は見えないが、わずかに見えるその口元は、不敵な笑みを浮かべていた。
そして何よりも目を引くのは、少女の隣に立つ――ゲハイムニスの姿だ。
「……遊びは終わりね。さっさと本丸を狙いましょうか」
少女は立ち上がり、遠くに見える音萌学園をじっと見据えながら言う。
「さぁ、行こうか――尾張せつなの元へ」