ミッション! 林檎先輩の笑顔を取り戻せ!(1)
せつなは身体検査のため、保健部にいた。
保健部より、「楽な格好で来ること」との指示を受けていたため、せつなは学園指定の体操着姿だった。
学園生徒は一年に一度、春に健康診断を行うが、異能部のみは、それに加えて二ヶ月に一度、身体検査が行われるそうだ。
異能部は最前線でソラビトと戦う部隊。常に健康状態を把握しておくための決まりらしい。
せつな以外の三人は検査は終わっており、先に異能部部室へと帰っている。
「は〜い。少しチクッとするから、ちょっとだけガマンしてねぇ〜♡」
針越しに見える癒月の笑顔に、せつなは若干の恐怖を感じながらも腕を差し出す。
「……っ」
採血針が皮膚を通る瞬間、せつなはやや顔を歪めた。
透明な細い管を伝い、血液が抜き取られていく。
必要数まで採り終えると、癒月は手際よくガーゼを被せ、せつなに自身の左手で押さえ止血するよう伝えた。せつなは指示に従い、すべての検査が終わったことにひと安心した。
「お疲れ様です。せつなさん」
検査の終わったタイミングで、くるるが話しかけてきた。
「くるるちゃんもお疲れ様〜。もうっ、どうしてわたしだけ居残りで、採血なんてしなきゃいけないのかな〜」
癒月の前では言えなかったが、同じクラスであるくるるが目の前にいると、ついそんな愚痴が洩れてしまった。
くるるは笑い、「本当ですね」と言う。
「でも、しかたありませんよ。せつなさんは『再生の力』の解明がありますから」
「――そうよっ! あなたには無限の可能性が秘められているわっ!!」
くるるは突然何者かに横槍を入れられ、「ひゃいっ!?」と肩を竦めた。
声の主を見れば、それは乃木羽だった。「い、いつの間に保健部へ……!?」と、くるるは驚きと恐怖の混じった声で呟いていた。
「瞬間移動の異能を持つだけかと思っていたけれど、まさか再生の能力まであるなんて……信じられないわっ! そもそも、今までの異能使いは一人につき一つの異能しか持てなかったのに、なぜあなただけは二つの異能を持ち合わせているのかしら? 興味深い……非常に知的好奇心をくすぐられるわ……!」
乃木羽はヨダレを垂らしながら、せつなに詰め寄り、ジロジロと観察を始めた。
「乃木羽! 一年相手にそんな目で見るんじゃない! 採血後は安静第一なんだから」
見かねた輪香は乃木羽を窘めた。乃木羽はしぶしぶといった具合に引き下がった。
輪香は嘆息を洩らしてから、さらに口を開いた。
「……わたしはせつなの力も気になるけれど、それと同じくらいにゲハイムニスの存在が気にかかるわ」
せつなは「……ゲハイムニス?」と、輪香の口から出たその固有名詞を復唱した。くるるも実態を知らないようで、首を傾げていた。
「せつなさんがあの日戦った、銃を持つソラビトのことですよ。……まあ、あれは偽物だったらしいですけれど」
癒月はそう説明し、続けて輪香が言葉をついだ。
「ゲハイムニス――戦争のために作られた、軍事用人間型自律式兵器。ソラビトが消失するときに残す、『フラウドストーン』を元に作り出した、言わば人工ソラビトよ。国家は極秘にそんなものを作っているらしいって、そんな噂が一時期流れたことがあってね。あくまでこの学園に伝わる都市伝説……だったはずなんだけど、偽物が現れたんじゃあ、本物のゲハイムニスもいるってことだろうって、上級生の間じゃ、今やその話題で持ち切りなのよ」
「戦争」という物騒な単語に、せつなは怖気づいた。
「だけれど、偽物は自国を攻撃していた。戦争を起こすための兵器を国家が作っていたのなら、自国を攻撃するようなマネはしないはず……。他国の刺客の可能性も浮上したけれど、それはすぐ否定された。もうひとつ、より有力な説がでてきたの」
くるるは、「有力な説?」と、興味を示した。
今度は輪香に代わって、乃木羽が説明を始めた。
「――兵器の暴走よ。会長は迷わず生け捕りに――フラウドストーンを取り戻せと言っていたでしょう? 貴重な兵器を手放してはならないと、国家に言われてたんじゃあないかしらって、そういう説が強まっているの」
乃木羽は目を伏せる。
「今はまだ、あの日以来特に何も起こっていないけれど……心構えはしておいたほうがいい。いつ本物のゲハイムニスが現れるかわからない。そのときはせつな……いえ、異能部のみんなには、徹底的に戦ってもらうことになるでしょうね」
せつなは身の引き締まる思いで、乃木羽の言葉を聞き入れていた。
重い空気になってしまったこの場を吹き飛ばすように癒月は、「……ま、そんなことよりも♡」と、明るい調子で話を変える。
「早くこのせつなさんの力の原理が解明されるといいわねぇ。そうすれば、その力を応用して、今まで治せなかった病気も治せるようになるかもしれないもの。ね、乃木羽先輩」
癒月に話を振られた乃木羽は瞬時に興味が異能へと移ったようで、興奮気味にコクコクと首を縦に振った。
「――そうだわ! ……そろそろいいでしょう」
と、癒月は思い出したかのようにせつなの元へ寄り、膝をついた。
「――お疲れ様でした。止血はもう大丈夫よぉ。これで今日はもうおしまいです。最後に絆創膏だけ貼りましょうねぇ♡」
まるで赤子をあやすような物言いの癒月だが、せつなは気にすることもなく、言われるがまま止血していたガーゼを取った。
それを見たせつなは――いや、せつなだけではない。目の前にいた癒月、そして、そばにいた乃木羽、くるる、輪香は目を丸くした。
「傷が――ない!?」
乃木羽の言うとおり、せつなの腕は傷ひとつ残っていなかった。通常なら、針を刺した小さな傷がまだ残っているはずなのだが、せつなの腕にはそれがなかった。
「ウソ……。実はこっちの腕でした、なんてことはないわよね?」
輪香は疑り深く、採血を取ったはずの反対側の腕を確認したが、やはりそこにも、傷痕なんてものはなかった。
「この回復の早さ……普通の人間ではありえません! やはり、せつなさんは『再生の力』を秘めているんですね……!」
『再生の力』と言われても、やはりせつなの中ではあまりピンとこなかった。だが、こうした事象が起きているのは、紛れもない事実だ。
「再生は無意識に行われている……というより、細胞の新陳代謝が通常より早いのかしら? 瞬間移動の異能と関連がある……?」
乃木羽はブツブツと呪文を唱えるように、自身の思考の中に閉じこもってしまった。
くるるはせつなの手首を取ると、「……脈拍は正常……意識もハッキリしてますし、身体に異常はありません」と言い、輪香と癒月に報告した。
「……ふむ。まあせつな自身、特に気分が悪いとかなければ、今回は問題なしってことで大丈夫ね」
「いろいろ気になることだらけだけれど、血液は採れましたし、あとは国家の研究員さんたちに任せましょうかぁ」
二人の検査終了の言葉を受け取り、せつなは席を立った。
「今日はありがとうございました。わたしはこれで失礼します。くるるちゃん、また明日ね!」
せつなは扉の前で一礼し、最後にくるるへ向けて小さく手を振ってから、保健部をあとにした。
異能部へ向かう途中、せつなはもう一度自身の腕を見る。
「……そういえば、瞬間移動が使えるようになってから、怪我した記憶なんてあんまりないかもなぁ」
普段気に留めることもない、当たり前の日常。しかし、せつなはこのとき初めて、日常の些細な異変に気づいたのだった。