任務帰りの日常光景!(3)
白いレースのカーテンから夕暮れの日が射し込み、わずかに奏でられる葉の揺らぐ音だけが反響する、静かな空間。
アンティーク調の家具で統一し、美しくデザインされた部屋には、どこを見渡してもホコリひとつ積もっておらず、きれいに整頓されていた。
生活感はまるで感じない。誰も住んでいないような印象を受けるが、今もなお、その部屋では確かに、鼻歌を交えながら花の水を取り換えている一人の少女がいた。
この完璧な場に佇んでいるのは、無論、華乃だった。
四階建ての女子寮の最上階。生徒会長である華乃は、ただひとりだけその階に暮らしていた。
置型充電器に置かれたスマホが鳴り響く。華乃は花瓶を元の場所に置いてから、スマホを手に取り電話に出た。
「もしもし。……あら。ごきげんよう、お父様」
電話の相手は、父親だった。
「えぇ。ゲハイムニスは偽物でしたわ。おそらく、彼女のコピー品でしょうね……。まったく、何を考えているのかしら。まさかこのタイミングで動き出すなんて、神の使いを狙っているとしか思えませんわね」
華乃はウィンドウベンチに腰を沈め、オレンジ色に輝く海を眺めながら、スマホ越しに父と会話を交わす。
「……え? ああ、失礼。『瞬間移動の少女』のことです。あの子を取られてはなりませんわ。そうすれば、計画はすべて台無しですものね」
華乃は鼻で笑い、「……まあそもそも」と、続ける。
「――あなた方のセキュリティがもう少しちゃんとしていれば、わざわざこんなこと心配しなくてもよかったんですけれど」
華乃あえて、そこで一度言葉を切った。冷たく事実を突きつけながら挑発し、相手の出方を待つ。
怒りを示す父親に対し嘆息し、再び華乃は口を開く。
「……あら、ごめんなさい。そんなに怒らないで。口では否定してますけれど、事実を言われて怒りを示すなんて、肯定しているのと同じですわよ? ……はい。ちゃんと捕らえますわ。今度こそ本物を見つけて、ね。……そうそう、わたくしから、ひとつご報告ですわ」
華乃は相手が落ち着いたのを見計らって、話をつづける。
「『風使い』の異能の低下がはじまったようです。……はい…………わかりました。その場合は転校の処置を取ります。今後、都度こちらからご報告いたしますので、どうかよろしくお願いいたしますわ。――あ、ちょっと、ひとつだけいいかしら?」
電話を切られそうになったか、華乃は少々急ぎ気味に、父を呼び止めた。
「例の薬は……。……そうですか。でしたら、それをいくつかいただけないかしら? 最低でも二つ欲しいわ。……実はわたくし、あることを思いつきまして、ぜひそれを国家の研究チームの力で、実現してほしいことがありますの。……ありがとう。……後ほど詳しくお話しいたしますわ。……はい、ではまた」
電話が終わり、華乃は充電器の上にスマホを置いた。
そのとき、ノック音が響いた。
華乃は「どうぞ」と答えると、ゆっくりと玄関の扉が開く。
扉の向こうから現れたのは、奈子だった。
「失礼します。異能部三年、三山――」
「もう三山さんったら。そんな堅苦しい挨拶なんて不要ですわ。わたくしたち、同い年なんですから――って、前にも似たようなこと、言いましたっけ。とにかく、緊張なさらないで。任務中というわけではないのですから」
華乃はさらに、「そこにいなくてもいいですわ。こちらへ来て、ソファにでもどうぞ。お茶をいれますわ」と、提案した。しかし奈子は、「少しだけ話に来ただけですから」と、やんわりと華乃の誘いを断った。
「ひとつだけ……お願いがありまして。その、ソラビト――ゲハイムニスとの戦闘の件、乃木羽から話を聞きました」
華乃は目を細め、「ああ。結局、ゲハイムニスは偽物でしたけれど。やっぱり都市伝説なのかしら?」と、おどけて言ってみせた。
「そのときの状況を聞いて思ったんですが、もし、また同じような状況があれば、せつなに、そんな無茶な命令を伝えないであげてくれませんか」
「――今回のわたくしの指示は不適切だったと、そう言いに来たのですか?」
「いえ! ……不適切だとは。……ただ、わたしはせつなに……」
「――生きてほしい、でしょうか?」
奈子は口を噤んだ。それは明らかに肯定の意を示していた。
「確かに、あの件はすべてわたくしに落ち度があります。……謝りますわ。もし、せつなさんが目を覚まさなければ、わたくしは今ここで謝罪しようと、土下座をしてみせようと、決して許されないでしょうから」
俯く奈子に、華乃は語りかける。
「今後はあのような無茶をいたしません。大切な妹がいつまでも笑っていてほしいと願う想いは、わたくしもよくわかりますから。それに――わたくしだって、牛義さんのことを忘れたわけではありません」
奈子に動揺が走ったのは、傍から見ていて明らかだった。
「牛義聖子――彼女は国のために尽力し、国のために散った。素晴らしい愛国心を持った、忘れてはならない大切な仲間のひとりですわ」
華乃は、そっと奈子の顎に指をかけ、ゆっくりと顔をあげさせる。
「……ごめんなさい。もう二度とあなたを不安にさせるようなことはしないわ。だから、また笑顔を見せて」
流れるような動作で、顎から頬へ向けて指を這わせ、熱を帯びる頬を手のひらで包み込んだ。
奈子は震えた唇で、「……はい」と、小さく返答した。
しばらく惚けていた奈子だったが、我を取り戻すや、華乃から一歩距離を空け、「……っ! では、わたしはこれで失礼します!」と、華乃の部屋を出ていった。
華乃は奈子が遠くへ行ったのを見計らってから、息を吐いて気を抜いた。
「わたくしも、あのときは少々出しゃばりましたわ……気をつけないと。……まあ、すべてを知られたら知られたで、それでもいいのですけれど」
華乃は身体の向きを変え、カーテンに手をかけながら、海に沈んでいく夕日を見つめた。
「――わたくしの邪魔をするのなら、消えてもらうだけですわ」
華乃はシャッ、と鋭い音を立て、カーテンを締め切った。