ソラビト(8)
「此乃、何を考えてるの……。今すぐ、それを返しなさい」
手を構えながら話す華乃。此乃の手に渡るくらいなら試験管を破壊しようと考えているのだろうが……的が小さく、試験管を破壊しようとすれば、それを持つ此乃の手も巻き添えを食らってしまうだろう。
華乃は慎重に、ジリジリと此乃との距離を詰めながら、語りかけていく。
「ね、此乃。お姉ちゃんにそれを渡して。それは危険なものなんだから」
「――お姉ちゃんは、ここで止めなきゃダメなんであります」
此乃は華乃の言葉を無視し、こう続ける。
「みんなと過ごす楽園も、きっと素敵であります。でもね、お姉ちゃんはそれだけじゃ留まらない。……今、ここで止めないと。だってお姉ちゃんは、楽園を創っただけじゃ終わらない……そうでありますよね?」
華乃は眉を顰めた。
「お姉ちゃんは、今まで好き勝手に異能使いを利用しきた国を許さない、学園の本当の事情を知っていたにも関わらず、金に目が眩んで自分の子供を送り込んだ親たちを絶対に許さない、そんな現実を知らず、ただ呑気に守られている大人たちを許さない――お姉ちゃんは、そう思ってるでありますね?」
「……」
「お姉ちゃんのその憎悪は、楽園を創りあげただけでは留まらないであります。もっともっと――お姉ちゃんは楽園を広げていくであります。此乃は、そんなお姉ちゃん見たくないでありますよ」
「……。……でもね、此乃……」
「お姉ちゃん、今ならまだ間に合うから。この小さな島で、全部終わらせるであります」
此乃は今度は、蹲るせつなに向かって声を掛けた。
せつなはその声に反応し、やつれ切った顔を上げ、此乃を見つめる。
「せつな! せつなならできるであります! みんなの未来――預けたでありますからね!」
此乃はそう言って、その手にある試験管――『活性化進行薬』を口に近づける。
「……っ! ダメよ、此乃!」
華乃は急いで此乃の元へ走り、薬を叩いて捨てるが――そのときは時すでに遅く、此乃は薬をすべて飲み切ってしまっていた。
「ダメ……ダメよ! すぐに吐き出しなさい、此乃!」
華乃は慌てて此乃に近づき、必死に背中を叩き薬を吐き出させようとしたが、その甲斐虚しく、みるみる顔を青くさせ苦しみ出す此乃。
「……っ! 此乃! なんてバカなこと! ダメよ、此乃、待って……」
「お、お姉ちゃん……」
此乃は華乃の手を掴み、微笑みかけた。
「せつななら、なんとかしてくれるでありますから。いっしょに、異能のない世界へ行くであります」
此乃は静かに笑い、次の瞬間、身体の内側から爆発を起こす。
瞬く閃光、伴って発生する高熱、圧力――離れていたせつな、くるる――そして茉莉も、気絶しているヨヨもひとたまりもなく、爆風に押され数メートル先を転がっていく。
やがて勢いが収まったところで、せつなは爆心地を確認すると、そこには、三メートルほどある大きな毛玉のような生物が蠢めいていた。
「こ……此乃……先輩?」
そのとき、せつなの足元に何かが転がってきた。
それは、白いフラウドストーンだった。
せつなはすぐに理解した――これは華乃なのだと。
これで、せつなの手元に残ったのは青と白の二つのフラウドストーン。
そして、目の前にはかつて此乃だった存在。
せつなは横を見ると、くるるも目の前のソラビトを見て口元を抑えていた。
「本当に現実……なんでしょうか」
くるるの呟きに、せつなも何も言えず俯くばかりだった。
しかし、此乃――いや、ソラビトはそんな彼女らのことを慮ってくれるはずもない。ソラビトはせつなたちに向かって突進を始めたのだ。
せつなはくるるの手を掴み、咄嗟に瞬間移動で避けそうとするが、 くるるといっしょとなると、思うようにすぐに異能が使えなかった。
「……っ!」
このまま避けきれずに終わってしまうのか――と、思った矢先だった。
「――此乃先輩からのお願い、ちゃんと守りますから」
素早く茉莉はせつなたちの前に立ち、その右手をソラビトに突き立てた。
たちまち身体を失っていくソラビト――その身体は消え去り、最後に紫色のフラウドストーンだけが遺った。