ソラビト(7)
此乃の手には包丁が握られていた。しかもそれは、華乃の背中を深く刺していて。
「……痛いことするなんて、此乃ったら、ひどいじゃない」
華乃はそんな状況でも微笑んでいた――が、その身体は砂状に変わり崩れ、目の前から姿を消した。
「……っ、コピー……!?」
此乃はこれに驚き、慌てて周りを見渡した。
「ひどいわ、此乃」
此乃の後ろから、耳元で囁くは華乃だ。
華乃は静かに此乃の死角から背後にピッタリと回り込んでいた。
「お姉ちゃん、此乃のこと信じていたのに」
此乃の握る包丁が、原型を失うほど潰れる。すっかり使い物にならなくなった包丁を地面に落とした此乃は、震える瞳で華乃を見つめた。
「そう……此乃ったら、『予知夢』ですべてを知ってしまったのね」
此乃が語らずとも、すでに推察を立ててしまう華乃に対し、此乃はすっかり萎縮してしまっていた。
「でも、だったらわかるでしょう? どうしてお姉ちゃんに刃を突き立てたの? お姉ちゃんはあなたに生きていてほしいと思っていますのよ」
「……わかっているであります。お姉ちゃんのその気持ちだって、うれしいでありますよ。……でも、せつなたちの犠牲の上で受ける生なんて――」
此乃は不意に華乃に抱き着いた。突然の行動に目を丸くする華乃。此乃はその一瞬で華乃のスカートのポケットから一本の試験管――『活性化進行薬』を盗み取った。
「――嫌であります!」
此乃は薬を遠くへ投げた。その先にいるのは――茉莉だ。
「……っ! その手に渡らせてやりませんわ!」
華乃は茉莉に狙い定めたが、その後ろから顔を見せたヨヨに気づき、手を止める――ヨヨは目隠しをはずし、こちらを見ていたからだ。
――ヨヨは、『三秒間見つめた相手を死に至らしめる異能』を持つ。
華乃は咄嗟に砂を蹴り上げ、砂の壁を作り視界を阻んだ。そのあいだに『千里眼』を使い、壁の向こうの茉莉を捉える。
「しばらく、その場で寝ていてもらいます」
華乃が手のひらを閉じようとしたとき、背後で此乃がその場を離れていることに気づいた。
「此乃は……! ……いえ、それよりも」
臨時で作った砂の壁は数秒も持つはずがない。華乃は開けた視界に危機を察知し、すぐさま砂を掬いとると、その砂はみるみる形を変え、銃へと変化した。
「ゲハイムニスの力、お借りしますわよ」
華乃は両手に銃を構えると、交互に発砲した。地面に着弾するたび、激しく砂埃が舞い上がり、周囲の視界は奪われていく。
「ヨヨさんから視界を奪ってしまえば、その異能も怖くない」
砂埃を起こしきると、華乃は銃を捨てた。
「ごめんなさい、ヨヨさん。あとですぐに治してあげますからね」
次の瞬間、華乃は両手を合わせた。
「いあああっッ!!」
目を押えて倒れるヨヨ。その手の隙間からは、血が流れていた。
「ヨヨ!」
茉莉はヨヨを支える。その隙に、華乃は薬を取り戻してしまっていた。
「……目を潰すなんて、やることが外道よ!」
視界が晴れていく中、茉莉は徐々に浮き上がっていく華乃の姿を睨みつけながら叫んだ。
ヨヨは痛みで気絶し、意識を失っている。
茉莉はヨヨをそっとその場に寝かしてから、華乃へ向かって走った。
華乃が繰り出す攻撃を避けながら、その薬を奪おうと距離を詰めていく。
「残念ですわ。わたくしに賛同してくれないなんて」
「できるわけ……ないじゃない!」
茉莉は華乃の動きを止めるため、腕を振り上げた。
「アンタには悪いけど、その手、消させてもらうわよ!」
華乃は「あら、わたくしの攻撃の手を無理矢理止めるおつもりですか」と、口にしながら不敵に笑い、指を鳴らした。
華乃の前の砂浜が盛り上がる。茉莉は構わず目の前の対象を消そうとすると、砂の中から現れたのは――微笑みを浮かべる明莉だった。
「おねえ……っ!」
反射的に手を引っこめる茉莉。その隙を華乃は逃さない。
「――ぎっ!」
茉莉は攻撃を察し咄嗟に手を引いたが、右手の指先は形を失ってしまうことになる。
抉れた指先は痛々しく、茉莉は額に脂汗を浮かべていたが、それでも華乃への戦意を失うことはなかった。
茉莉はもう一度華乃に飛びかかるが、華乃は素早く自分の前に明莉のコピーを作り出し対抗する。そんな弱みに漬け込む戦法で、茉莉が一瞬動きを止めた瞬間に華乃は攻撃をしかけていく。
「っ、そう何度も同じ手に乗らないわよ!」
茉莉は口ではそういうが、華乃の攻撃を辛うじて避けるばかりで、華乃へ踏み込むことはできない。コピーといえどもどうしても、自身の姉には手を出せない。
「強がらなくていいんですのよ。あなたも大人しく、楽園で暮らしましょう」
いよいよ華乃は明莉のコピーを駆使し、茉莉を攻めに入った。明莉の体術による攻撃と、『重力を操る』華乃の異能の遠隔攻撃による同時攻撃によって、茉莉はどんどん追い詰められていく。
「確かに、みんなと仲良く永遠に暮らせたら楽しいでしょうね……!」
茉莉は必死に華乃に向かって叫ぶ。
「でも、やっぱりアタシはそんな狭い鳥籠の中にずっと暮らしていくのはごめんよ! 学園のみんなが嫌いだとか、そんなんじゃないけど、でもきっと、そんな状況に永遠にアタシたちは置かれたら、たぶん……絶対幸せになれない!」
コピーの明莉は茉莉の首元に回し蹴りを食らわすが、茉莉はすんでのところで腕でガードし、すぐさま後ろへ退いた。
「それに、アタシは――!」
直後、目の前で歪む空間。あのまま退かなければ、確実に茉莉の腕は持っていかれていた。
茉莉は体勢を取り直しながら、華乃へ咆哮を繰り返す。
「――アタシは! せつなとくるるとおしゃれして、東京に遊びに行くのよ!」
華乃は呆れたように深くため息をついた。
「あなたはわたくしの目的にどうやら反対なようですけれども、どうしてそんなに必死なのかしら……わたくしが尾張さんの異能を手に入れられなければ、あなたも、ほかのみなさまも長く生きられずにあんな化け物になってしまうのに……」
華乃はやれやれと頭を抱えつつも、明莉のコピーを茉莉の背後へ回し、後ろから羽交い締めにし、動きを封じた。
「――さて、薬は取り返させていただきました。今からこれで尾張さんをソラビト化させます。……大丈夫ですわ、一瞬で片はつけますから。みなさまは離れていてくださいまし」
華乃はゆっくりとした足取りでせつなに近づいていく。
「せつな!」と茉莉は叫ぶが、せつなは、未だ奈子を失ったショックから抜け出せずにいた。
華乃はせつなと同じ目線の高さに合わせる。
「尾張さん、あなたの力は十分わかりました」
せつなは力なく華乃を見つめた。
「あとはわたくしが異能を引き継ぎ、すべての時間を管理してみせます。だから、これを飲みなさい。痛いのも苦しいのも、一瞬で終わらせてあげますから」
「……」
返答をしないせつな。だが華乃は構わず、その薬をせつなの口元へ流し込もうとして――華乃は異変に気づき、目を見開く。
持っていたはずの試験管は形を変え、水の入ったコップになっていたのだ。
「……これは。わたくしは、確かに……!」
「――わたしの異能です」
たじろぐ華乃の前に現れたのは、くるるだった。
くるるはせつなの横につきながら、華乃にこう続ける。
「モノを作り変える異能……です。初めてで、長く持つか不安でしたが……なんとかここまで持たすことができました」
「なら、本物は……!?」
華乃が問いただそうとしたとき、彼女の後ろから「――お姉ちゃん」と声がかかった。
華乃が振り向けば、その先にいたのは本物の試験管を持った此乃だった。