ソラビト(5)
保健部にて、ひとりの焦りの声が聞こえていた。
「部長! 副部長! ……ダメです、全然起きてくれません……」
くるるは輪香と癒月の背中を揺すったが、二人が目を覚ます気配はない。
くるるは次に、二人の背中に耳を当てる。
「バイタルは正常……ただ眠っているだけみたいですけど……」
くるるは、さきほどまでのことを思い出していた。
癒月が歩煎から新作クッキーをもらってきたというので、みんなで食べることになったのだが、そのときくるるだけヨヨに呼ばれ、席を外していたのだ。そして、戻ってきたときにはこの状況になっていた。
結局、ヨヨがくるるを読んだ理由はなにもなかった。ただ、こっちへ来てとのことだけ。
「……ヨヨさん、何か知ってたんですか?」
くるるは、そばでその様子を見ていたヨヨに聞くと、ヨヨは頷いた。
「そのクッキー、ねむる、です。歩煎、もらったのは違う。歩煎のコピー操る、かいちょーです」
「……つまり、会長さんがクッキーに眠り薬を仕込んだ……ってことですか?」
「うん。みんなねむらせて、そのあいだに、おわらせようとした……と思う」
くるるは、「終わらせるって、何をですか?」と続けて質問したが、「それはアタシが説明するわ」と、会話に入ってきたのは茉莉だった。
「全部話す。だからくるる、あなたも協力して」
くるるは事態に追いつけないながらも、茉莉の話をすべて聞いた。
異能使いとソラビトの関係を。
会長の計画のことを。
これから起ころうとしていることを。
「それ……全部本当の話なんですか?」
「アタシがこんなつまらないゴミみたいな冗談言うと思う?」
くるるは首を横に振る。
「ヨヨ……さんも、元々知ってたんですか?」
「……ヨヨは、元々ムノウのじっけんたい、だったから」
くるるは不意に今まで何も知らなかったことに不甲斐なさを感じ、目を伏せる。
「くるるがそんな落ち込むことはないわ。何も知らなかったんだから。それに……あなたはまだ、異能使いじゃない」
「……まだ?」
「異能は、なにかのきっかけだったり、ピンチなときに、めざめる、です。でも、かくじつせい、はない、から……えらいひとは、これを作った」
ヨヨが服のポケットから取り出したのは、棘のついた丸いバッチ。
「……園からにげる、とき、一個盗んで、きました」
「……異能を強制的に呼び覚ますものらしいわ。国はそれを使って、まだ異能の目覚めていない子供たちに使って、異能使いを作り出していたみたい」
ヨヨからバッチを受け取るくるる。それからヨヨは、服を捲って自分のお腹を見せた。へその位置には、赤いバッチがひとつ刺さっていた。
「ヨヨも、ここつけられた、です。それから、ヨヨ、異能使いに、なりました」
「……でも、全員が必ず異能使いになるとは限らない……そうなんでしょ?」
「はい。目覚めないのは、てきせーなし、で、別の場所、連れてかれます」
「……クソね」
茉莉は吐き捨てるように呟いてから、くるるを見た。
「くるる。 急で無理なお願いだとは思うけど、あなたにはこれを使ってほしいの」
「……え」と、不安になるくるる。
「ごめんなさい。こんな話をしたあと、異能使いになってなんてひどい話だと思う。でも、くるるにも協力してもらわなきゃならないのよ」
「……でも、そもそもわたしに適正があるかどうかなんて……」
「……それはあるわ。元々この学園は才能ある優秀な人材を集めているでしょう――優秀な人材であるほど、異能使いになれる可能性を秘めているからよ」
「……」
くるるはバッチに目を落とす。
――異能使いになれば、確実に少女のうちに死ぬ。
――だが、異能使いにならない選択を取ったところで、明るい将来は約束されていないことは確かで。
――それはわかっていても、今自分の大切なせつなを救わない選択肢なんて、選べるはずもない。
「……わたしの力がどれだけ貢献できるかはわかりませんが、せつなさんのためなら、なんだってやります」
茉莉は「……ありがとう」と礼を告げた。
くるるはバッチをつける前に、「ところで」と、ある疑問を口にする。
「どうして、茉莉さんとヨヨさんのこと、会長は自由にしてくれたんでしょうね……」
茉莉はしばらく考えたあと、こう答える。
「……たぶん会長も、心の底では少しだけ、違う可能性に賭けてるんだと思う」
「違う可能性?」
「それは……わからないけど、会長が徹底的にやらずに、あえてアタシたちだけを野放しにしたのは、それが理由だと思う。絶対に楽園を創りたいのなら、あの人は簡単にできてしまうはずだから」
茉莉は一度目を伏せ、それから決意めいた瞳をくるるに向けた。
「アタシは会長のことは好きじゃない……けど、会長がくれたこの機は全力で使わせてもらう」
くるるは頷く。
「わかりました。わたしも、お役に立てるよう頑張ります」
シャツを捲りあげたくるるは、「ごめんなさい、やっぱり誰かやってくれませんか」と、頼り、ヨヨはその役目を引き受けた。
「……ごめん、なさい、くるる」
「いえ、ヨヨさんったら、そんなに謝らないでくださいよ。だってこの事態を作ったのはヨヨさんってわけじゃないんですから」
「……ううん」
ヨヨはなぜか首を横に振った。くるるはその反応の意図がわからず、茉莉に目配せする。
茉莉自身も申し訳なさそうに眉を下げつつ、こう説明してくれた。
「ごめんなさい。くるるに判断を委ねるような形で話したけれど、本当はくるるは絶対にこの示談を飲み込んでくれるとわかっていたのよ。此乃の『予知夢』の話を聞いていたから」
「『予知夢』……ですか?」
「……ヨヨ、たちが、誘わらなければ、そもそもいい、話です。でも、かいちょー、そし、のためには……やっぱり、くるるに頼る、だけで」
自分自身の行動は『予知夢』の上――これも、ある意味異能によるものなのか、とくるるは思ったが、そんなこと大した問題ではないと、すぐに自分の中で片がついた。
「『予知夢』だろうが関係ありません――これは、わたしの『意志』ですから」
そう告げるくるるの『意志』に嘘はない。二人にもそれが伝わったのだろう、真剣な眼差しで頷きを返していた。
「茉莉、くるる、二人が最後の、キボウ、です。どうか、かいちょーを止めて、ください」
「ええ、もちろんよ」と茉莉は言い、続ける。
「『予知夢』である程度の結果は見えている――でも、その先は誰にもわからない。最後の未来を決めるのは、すべてせつなにかかってる。だから、わたしたちは――」
「どんな未来でも、せつなさんを受け入れます」
茉莉の言葉を引き継ぎ、そう答えたくるるに、茉莉はそのとおりと言わんばかりに頷いた。
「じゃあ行くわよ。せつかを迎えに行きましょう」
「了解です!」
「りょーかい、です」
三人は眠る輪香と癒月を最後に一瞥してから、保健室をあとにした。