ソラビト(3)
――ソラビト対策兼司令部。
そこでは、まだ湯気の立つマグカップを置いたまま、静かに寝息を立てる三人の部員の姿があった。
「……」
――否、正確には二人だ。そのうちのひとりである此乃はゆっくりと目を開け、周辺に気を張りながら身体を起こした。
「給養部のフリして、眠り薬入りのお茶を飲ませるなんて……お姉ちゃん、やりすぎであります」
此乃はそっと部室を出る。
「たぶんお姉ちゃんはもう此乃に意識は向けてない、はず……その間に、此乃は急がないと」
此乃は少しずつ走るペースを上げ、ある場所を目指す。
校舎を出て向かう先は学園給養部。此乃の目的はそこにあった。
「やけに静か……。もしかしてお姉ちゃん、誰の邪魔を入らせないように、みんなを眠らせてる……?」
推測を口にしながら、此乃は給養部の中へ。さらにその奥の厨房へ、足を踏み入れた瞬間だった。
「ひいぃい! だっ、誰だ!?」
フライパンを構え叫ぶ歩煎がそこにいた。
「おっ、落ち着くであります! 此乃は此乃でありまーす!」
相手が此乃だと思った歩煎はホッとしたようでフライパンを下げた。
よく見れば、歩煎の後ろにはスヤスヤと眠る米来の姿が。
その光景は、まるで歩煎が眠る米来を守っていたかのようにも思える。
「……歩煎、米来先輩はどうしたでありますか?」
「……実は、林檎が『前せつなにもらったクッキーを作ってみたから食べてみて』って来て……米来先輩が喜んでそれを食べたら、ね、眠っちゃって……」
「……! 歩煎は食べなかったでありますか?」
身を乗り出して問う此乃に、歩煎は震えた眼差しで頷く。
「なんかそんなことするの林檎らしくないなって……だからボクは食べたフリだけして、あとは関わらないように寝たフリしてて……タコ部長がホントに眠っちゃったときはマジで焦って……!」
「歩煎の無駄な警戒心が、今回救いになったってことでありますか」
「『無駄な』ってなんだよ――いや、今はいい、今どういう状況か、教えてほしいッス」
此乃は現状起こっていることを話した――林檎は姉である華乃の異能が創り出したコピーであること。姉はほかの人たちもおそらく似たような手口で眠らせていること。
「なんでそんなこと」
「――『楽園』のため」
歩煎は「……楽園?」と、眉を顰めた。
「お姉ちゃんは、『予知夢』の中でその言葉を繰り返していた……であります。永遠に少女のまま生きていく世界を創りあげるって」
「……どういうことッス? だってみんな、いずれ歳は取るし……」
「此乃たちは歳は取れないでありますよ。歳を取る前に、死んでしまうから」
「……は?」
此乃は拳に力を込める。
「あくまで『予知夢』で知った出来事……でも、此乃の『予知夢』は外れない。あれは全部事実であります」
「……」
「『異能使いは少女までしか使えない』――それは、少女までしか生きられないから。お姉ちゃんはそれに抗うために、せつなの異能を奪おうとしているであります」
「……え、待って。ってことは、異能部のみんなは……いや、生徒会のメンバーも使えるんだよね? 此乃だってそうだし……ってか、ぼ、ボクも……! みんな、近いうちに死ぬってこと?」
みるみる顔を青くする歩煎に、「……そう、でありますね」と、事実を認めたと同時に、こうも告げる。
「だからお姉ちゃんは、『楽園』という永遠の時間を創り出すために、『時間を操る異能』を奪おうと動き出している――お姉ちゃんは『他人の異能のを奪う』異能を持っているでありますから」
「せつなの異能……を?」
此乃は悔しげに目を伏せる。
「そう。それは阻止しなくちゃいけないであります」
「で……でも、会長に勝てる気しないし、せつなが異能を奪われてもさ、異能使いじゃなくなったせつなは長生きできるようになるんじゃない?」
「歩煎はいつからそんな察しが悪くなったでありますか! そんな平和的に終わるわけないであります! それだったら、此乃だってこんな焦ってないでありますよ! いいでありますか、異能を奪うってことは、つまり――」
「……わかってるよ」
歩煎は声を震わせた。
「……でも、そしたら会長は……ま、茉莉のお姉ちゃんも殺したことになる……」
此乃は俯き、下唇を噛んだ。重苦しい空気がしばらく続いたが、此乃は自らを奮い立たせ沈黙を打ち破る。
「だから、お姉ちゃんを止めるであります」
「……うん。でも、此乃わかってるッス? たぶんそしたらボクたちは……」
「そんなの百も承知であります。それよりも、せつなを失くして助かるなんて、国を守る音萌学園生徒に泥を塗る行為でありますよ」
「……だよね」
二人の間には、確かな覚悟めいた空気が渦巻いた。
此乃は一度ホッとひと息つき、「それにしても」と続ける。
「歩煎が目を覚ましているのは好都合であります。歩煎の異能も、もしかしたら使えるときがくるかもしれないでありますし」
「ぼ……ボク、は、正直事が終わるまでここでずっと隠れてたいんだけど、ね……。そういえば、そもそも此乃は何しにここへ来たンスか?」
歩煎の問いに、此乃は罰が悪そうに目を逸らした。そのとき、厨房の扉が何者かによって開かれた。
二人は恐る恐る扉のほうへ目をやる。そこにいたのは、テディベアとともに構えるきんぎょだった。
「ダメだよ、こののん。『予知夢』を見たなら報告しないと。何か起きてからじゃ遅いっしょ?」
半歩退く此乃。きんぎょは二人を追い詰めるように前へ踏み出す。
「話はこっそり聞かせてもらったけど……」
きんぎょの瞳は、すでに敵意の色に変わっていた。
「――はなのんの邪魔はさせない、みたいな」