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咬爪症の女  作者: 武田コウ
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誰もが

「アイザワさん・・・・・・なんでここに?」


 驚いた様子のカナエに、僕は肩をすくめてみせた。


 彼女は驚きながらも逃げるような事はせず、僕の元に歩み寄ってくる。


「・・・・・・私が家出したってことは聞いてるの?」


「そうだね、加奈子さんから聞いてる」


「そっか・・・・・・お母さんが」


 何か複雑な顔をしながら、カナエは僕の隣に腰掛けた。


 無言の時間が訪れる。僕たちは何も言わずに、ただ神社のベンチに腰掛けていた。


 やがて、ポツリポツリとカナエが話を始めた。


「私ね……ちょっと疲れちゃったんだ。別にお母さんが嫌いなわけじゃないけど……ただ、少し距離を置きたかったの」


 僕は無言で頷く。


「前にね、少し年上の友達がいるって話したでしょ? その友達の家に泊めて貰ってたの……だから、危ないところとか行ってないし、ご飯もちゃんと食べてたから大丈夫……」


 僕はまた頷いた。


 カナエの声は震えている。今にも泣き出しそうだった。


「お母さんがね、アイザワさんに酷いことしたって聞いたとき……私、なんだか酷く疲れちゃって……ごめんねアイザワさん。本当は怒らないといけないのに……友達であるアイザワさんのために、私が怒らないといけなかったのに……全部どうでもよくなっちゃったの」


 ポロポロと、彼女の目から大粒の涙が流れて落ちる。


 それでもカナエは俯くこと無く、空を見上げた。


 強い娘だ。そして優しい娘だ。


 僕は鞄から原稿用紙の束を取り出すと、カナエに差し出した。


「君のことを書いてみたんだ……読んでくれるかな?」


 僕は物書きだ。


 ならば、言葉はいらない。


 全部作品で語るべきだろう。


 少し驚いた顔をしているカナエに、僕はそっと笑いかけた。













 太陽がゆっくりと沈んでいくのを眺めていた。


 僕の隣には、先程小説を読み終えたカナエが座っている。


 小説を読み終えた彼女は、しばらくボーッと放心していた。僕は何も言わず、彼女の隣で座っている。


 やがて、太陽が完全に沈みきった後、カナエが静かに口をひらいた。


「アイザワさんからは、私とお母さんのこと、こんな風に見えていたんだね」


 僕は頷く。


 カナエは小さな声で「そう」と呟くと、また口を閉じた。


 どれだけの時がたっただろうか? やがてカナエは立ち上がると、僕の目の前に立ち真っ直ぐな瞳で僕の目を見つめた。


「ありがとうアイザワさん。もう……大丈夫だから……だから、お母さんを呼んでくれる」


 僕は頷いて立ち上がる。


 スマホをとりだして遠山加奈子に連絡すると、彼女は慌てた声ですぐに向かうと言って電話を切った。


 その様子を見ていたカナエは小さく笑うと、僕にこう言ってきた。


「アイザワさん。私はアナタのこと、ずっとカムパネルラだと思ってた。友達だけど、一緒には歩めない存在なんだって……でも違った。アナタはきっと私にとってのブルカニロ博士なのね」


「カナエちゃん。きっと僕は君にとってのブルカニロ博士であり、そして同時にカムパネルラなんだ。そして僕は僕の人生においてはジョバンニでもある。きっと、誰もが誰かにとってのカムパネルラで、ジョバンニで、ブルカニロ博士なんだ。だから、供に歩めない人なんてどこにもいないんだよ」


 カナエは笑った。


 僕は笑った。


 そう、僕たちは生きている。


 ならば僕たちは、みんな一枚の切符を持っている筈だ。


 それはほんとうの天上にいける切符。


 どこへでも行ける、そんな切符。


 空を見上げる。


 星の見えないあの空にも、きっと銀河鉄道はもうすぐ走るだろう。




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