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咬爪症の女  作者: 武田コウ
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その時はあっけなく



 いつものように神社のベンチに腰掛け、持参した温かなお茶を飲みながら朝日が昇っていくのを眺める。


 こうして毎朝このベンチで朝日を眺めているが、ゆっくりと日が水平線から顔を出す様は、何度見ても荘厳で、何か神聖なものを感じられた。


 僕は何をするでも無く日の出をのんびりと眺め、やがて完全に日が昇りきり、街全体を柔らかな日光が照らし出したタイミングで隣に置いてあった画板を手に取った。


 画板に新しい原稿用紙を置き、上部に備え付けられたクリップで固定する。愛用の万年筆のキャップを開け、いつものように小説を書き始める。


 日に日に気温は下がり続け、やがて季節が移り変わることを知らせてくれる。


 頬を撫でる風は冷たく、僕はぶるりと身を震わせた。


 この場所で待っていることに意味はあるのか? 正直僕にはわからない。でも、待つことを止めようとは考えなかった。


 カナエを想う。


 彼女の聡明な光を宿した瞳と、あの公園で僕に対して吐き出した彼女の感情を思い出す。


 不思議と、僕の万年筆は止まること無く、まるで何かに突き動かされているかのように物語を綴り続けた。

 





『おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どころじゃない。どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをおもちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次元の銀河鉄道なんか、どこまででも行けるはずでさあ、あなた方大したもんですね。』





 銀河鉄道の夜の作中で、鳥取りがジョバンニの持っていた切符に対して言った言葉を思い出した。


 ほんとうの天上へさえ……どこまでも行ける切符。


 それを持っていたのは、クラスの人気者のカムパネルラではなく、ジョバンニだった。


 二人の違いは生きているか、すでに死んでいるか……。


 仮にジョバンニが生者だという理由でその切符を持っているのだとしたら、この世に生きる者すべてはその切符を持つ資格があるのだろう。


 生きているのなら、ほんとうの天上にも行ける……どこへでも行くことができる。


 僕はようやく、ブルカニロ博士のいなくなった理由がわかった気がする。


 ブルカニロ博士が……超越者が消えた理由はいたってシンプルだ。


 そもそも、ジョバンニにとってブルカニロ博士は必要なかったのだ。


 導かれなくても、選ばれなくても、特別でなくたって、生者であるジョバンニはどこへでも行くことができるのだから。










 気がつく僕の右手はその動きを止めていた。


 そうとしか表現ができないほど、僕は無意識のうちに文字を綴っていたのだろう。気がつくと、僕は小説を書き終えていたようだった。


 手がジンジンと痛みを訴えてくる。体はガチガチに冷え切っており、堅いベンチに座り続けていた尻はもはや感覚がなかった。


 最近、自分の執筆スタイルが変化していることに気がつく。前まではこんなにものめりこむように執筆することはなかった。


 原稿用紙を順番にまとめ、鞄に収める。ゆっくりと立ち上がり、軽く屈伸運動をしながらこわばった体をほぐしていく。


 持参した魔法瓶から温かいお茶を飲みつつ、時間を確認すると、時計の針は夕方の4時過ぎを示していた。


 体をほぐし終えた僕は再びベンチに腰掛け、空を見上げた。


 やることが無くなってしまった。予定では、小説が完成するにはもうすこし時間がかかるつもりだったのだけど・・・・・・。


 ご飯でも食べに行こうかとボンヤリ考えていると、神社の階段を誰かが昇ってくる足音が聞こえてきた。


 視線を前に向ける。


 階段を上り、僕の目の前に現れたのはずっと僕が待ち続けた人物だ。僕は何でもない事のように右手を挙げ、気軽に声をかける。


「やあ、カナエちゃん。久しぶりだね」



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