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咬爪症の女  作者: 武田コウ
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画版と原稿用紙



 神社内のいつものベンチに腰掛け、ホッっと一息をつく。


 街はまだ薄暗い。空を見上げると、水平線の向こうからゆっくりと朝日が昇っていくのが見えた。


 持参した魔法瓶から温かなお茶を注ぎ、ゆっくりと飲みながら朝日が昇っていくのを眺める。


 夜の闇で凍っていた時が、朝日によってゆっくりと溶かされていくかのように、街には徐々に人々の行き交う音が溢れていった。


 日が完全に登り切るのをボンヤリと眺め、温かなお茶を一杯飲みきった僕は、持参した鞄から、昨日帰りに購入した画板と包装紙に包まれたままの原稿用紙を取りだした。


 包装紙を破り、中から原稿用紙を一枚とりだして残りを鞄に戻す。とりだした一枚を、画板の上部に取り付けられているクリップで固定する。


 PCで小説を書いていたならば不要な工夫だ。しかし、今の僕は原稿用紙と万年筆を使って小説を書いている。そう、明治の文豪のように。


 だからこその工夫。


 万年筆のキャップを取り外し、試しに画板で固定した原稿用紙に文字を書いてみる。


 少々書きづらさは感じるが、どうやらこの手法で問題なく執筆ができそうだった。


 僕は少し冷たくなってきた秋の風を感じながら、冷たく堅いベンチに座って執筆を始めるのだった。


 執筆は概ね順調だと言ってもよかった。


 この場所にいると、自然と僕はカナエの事を想う。


 独りこの場所で黄昏れていただろう彼女の姿と、まだ幼い彼女の大人びた苦悩がありありと感じられるような気がするのだ。


 もちろん、それは僕の妄想だ。


 彼女と供に過ごした時間は短い。たったそれだけの時間で、年齢も性別も生い立ちも異なる他人の事を理解できるなんて驕ってはいない。


 だけど、感じる気がするのだ。


 ふと顔を上げたとき、視界に入る古びた神社の姿が、顔を撫でる秋風の冷たさが、尻に感じるベンチの堅さと冷たさが……。


 きっと、それはカナエがこの場所で見て、感じていた事と同じであると。


 そう感じるのだ。








 かなり集中していたのだろうか?


 僕は自分の手元が良く見えなくなっていることで、日が暮れかけている事に気がついた。


 喉はカラカラに乾き、腹はこれ以上無いほど減っている。指先も冷え切っていて、万年筆を持つのが少し億劫になってきた。


 自分の集中力に驚きながらも、取りあえず喉を潤そうと魔法瓶からお茶を注いでゆっくりと飲む。


 まだお茶は温かく、魔法瓶の性能の高さに驚かされた。


 僕がゆっくりと茶を飲みながら過ごしていると、何やら神社の階段を昇ってくる足音が聞こえてきた。


 珍しい事だ。


 この神社に来る人間は、僕とカナエ以外に見たことがなかった。


 やがて神社にやってきた人影は、僕の方を見ると軽く手を振ってきた。


「あぁ、本当にここで待っていらしたんですね相沢さん」


「遠山さん? 仕事はもう終わったのですか」


 やってきたのは遠山加奈子・・・・・・カナエの母親だ。


 僕の認識が間違っていなければ、今日は平日。ちらりと時計を見ると、なるほど、定時で帰れたのならばこの場所にやってきてもおかしくはない時間帯だった。


「ええ、今日は早く帰れましたので・・・・・・」


 彼女はちらりと周囲を見回した。


 この場所でカナエを待つということは、彼女にも伝えていた。カナエが見つかったら連絡をする手はずになっていたので、わざわざ彼女がこの場所に来る意味は無い筈なのだが。


 そんなことを考えていると、遠山加奈子は僕に一つ提案をしてきた。


「夕食はもう済まされましたか? まだでしたら一緒に何か食べに行きません?仕事帰りで、お腹がぺこぺこなんです」



 

 

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