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咬爪症の女  作者: 武田コウ
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雨上がりの夜



「お疲れ様、今日もお姫様に振り回されていたようね」


 そういって優しく微笑むのは、僕の恋人の静香。


 仕事終わりにデートの約束をしていた僕たちは、ジャズの流れるおしゃれなバーでお酒を飲んでいた。


「”お姫様” ねぇ。なんで君も田村先輩も、アイツの事を姫呼ばわりするんだろう」


 アイツは姫なんて柄じゃない。しかし、僕以外のアイツを知る人間は、こぞって姫呼ばわりしたがるのが不思議であった。


 僕は手元のギムレットというカクテルをチビリと口に含む。


 ジンベースの爽やかなライムの香りが、心地よく僕を酔いへと誘ってくれた。


 静香は、そんな僕を色っぽい瞳で眺めてから、マティーニで口を湿らし、濡れた唇でそっと微笑んだ。


「”姫” よ、あの子はね。そしてアナタはおつきのナイト……いえ、使用人かしらね」


「酷い言いぐさだね。愛が無い」


「いいえ、愛はあるわ……少し嫉妬しているのよ? アタシ」


 嫉妬。


 それこそ訳がわからない。


 アイツとのやりとりに、個人的な想いは一切無い。ただの仕事上のパートナーだ。


「納得がいっていないみたいね……まあいいわ、私は寛容だから、少しの浮気くらいは許してあげる……でもね、本気になっちゃ嫌よ?」


「浮気? 君は僕がアイツに気があるなんて考えているのかい?」


 静香は首をゆっくりと横に振った。


「気がある? いいえ、アナタはあの子に気があるんじゃなくて……ぞっこんなのよ」


 風評被害だ。


 気分が悪い。


 僕がアイツにぞっこん? あの小説を書く以外に何もできない奇人に?


「……冗談がキツいよ。第一、僕はアイツが嫌いだ……知っているだろう?」


「好きの反対は無関心よ……知っているでしょう?」


「それは詭弁だよ」


「そう、これは詭弁よ。でも同時に真実でもある……わかっている筈よ、アナタなら」


 やれやれ、彼女はまったく詩人だった。


 僕は肩をすくませると、手元のカクテルを一気に煽った。


 濃度の高いアルコールが喉を焼き、体温を一気に上げる。


 そんな僕を眺めて、静香は少し悲しげに笑った。


「ごめんなさい。別にいじめる気はなかったの」


「気にしちゃいないよ。僕はそれほど心が狭い奴じゃない」


「ありがとう。でもそんなところも少し心配なの」


 店内に流れている曲が変わったようだった。


 繊細かつ巧妙なピアノの旋律、どこかで聞いたことのあるようなジャズミュージック。


 曲名を尋ねると、見事な口ひげを蓄えた渋いバーテンが「ワルツ・フォー・デビー」とだけ端的に答えた。


「ワルツ・フォー・デビー」


 僕は確かめるように曲名を口にする。


 繊細さを保ちつつ、軽快にリズムを重ねていくその曲の事が、なんだかとっても気に入ってしまった。


 靜香も悪戯っ子の笑みを浮かべながら、マティーニで濡れた唇で「ワルツ・フォー・デビー」と復唱する。


 それから二人は無言で曲に耳を傾け、チビチビとカクテルを飲んで時を過ごした。


 こういったささやかな時間が、仕事や人間関係で疲れ切った僕には必要不可欠だと、そう深く感じる。


 夜は、ゆっくりと更けていった。





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