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咬爪症の女  作者: 武田コウ
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夜明け

 窓から見える空がうっすらと白くなっていくのを眺めながら、僕はぬるくなったビールを一口飲んだ。


 隣では、酔いつぶれた花沢がぐうぐうと寝息を立てている。


 濃い時間を過ごした気がする。


 こんなにも長い付き合いだというのに、僕は一度も花沢の気持ちを考えたことが無かった。


 初めて彼女の作品を読んだとき、僕はひどく打ちのめされた。


 それは、僕が目指すべき場所にある作品で、そして僕にはとうていたどり着けない場所にある作品だと感じたからだ。


 今ならわかる。


 僕が打ちのめされたのも、あの荒削りな作品に心を強く惹かれたのも当然だ。


 花沢は僕の作品を読み、その作品を目指して執筆を始めたという。


 ならばこそ、作品の方向性は必然的に同じになり、彼女の刃のように鋭い作品は、僕の感性に面白いように突き刺さったわけだ。


 作品の面白さなんて読者によって異なる。


 彼女にとっての究極の一冊が僕の作品で、僕にとっての究極の一冊が彼女の作品だった。


 なんとも皮肉な話で、結局のところ、僕は僕自身によって打ちのめされた気になっていただけだったのだ。


 生ぬるいビールの残りを一気に飲み干す。


 確かに摂取したはずのアルコールは、今日は僕を酔わせてはくれないようだった。







 空き缶を片付け、酔いつぶれている花沢にそっと毛布をかける。


 徹夜をしてしまったわけだが、不思議と眠気は感じなかった。


 財布をズボンのポケットにねじ込むと、花沢を起こさないように、そっと部屋を出る。


 朝日が地平線の向こうからゆっくりと顔を出している。僕は大きく深呼吸をして、外の新鮮な空気を肺に送り込むと、ボロボロの階段を下りて、少し周囲を散歩することにした。


 夜が明けたばかりの早朝。少し肌寒い。まだみんな寝ているのだろう。うっすらと暗い住宅街の細道には、人の姿が無かった。


 誰もいない街をゆっくりと歩く。まるで世界で自分ひとりだけになったような気分で、少し心がざわついた。


 道沿いにあった自販機で水を購入する。よく冷えたそれを一気に半分ほど飲み干す。


 酒で火照った体に、水が染み入るようだった。


 やがて日は登っていく。


 シンと静まり返っていた世界は、徐々に活気を取り戻していく。


 僕は、ぶらぶらと目的もなく歩きながら、覚醒していく世界の様子を眺めていた。


 ふとバイブレーションの振動を感じた僕は、ポケットからスマホを取り出す。どうやら、誰かからLINEでメッセージが届いたようだ。


 画面にポップアップしていた名前は「遠山加奈子」。一瞬、その人物が誰なのかわからなかったが、じわじわと記憶がよみがえってくる。


 公園での平手打ちの記憶……カナエの母親の名前だ。


 なぜ彼女が僕に連絡を取るのだろう?


 疑問を感じながらメッセージを開くと、そこには予想外のことが書かれていた。






『カナエが家出したようです。今あなたと一緒に居ますか?』


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