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咬爪症の女  作者: 武田コウ
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古びたアパート

 僕の考える ”花沢式” という作家は僕の頭の中にしかいない……。


 他ならぬ、花沢自身からそう言われて、僕は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。


 口下手な彼女にそこまでの事を言わせるなんて……僕はどれだけ彼女に自分の幻想を押し付けてきたのだろうか。


 思えば、初めてあった時……あの小説に打ちのめされた瞬間から、僕は目の前の女性の事を歪んだ色眼鏡をかけてみていたのかもしれない。


 自分をここまで打ちのめした作品を書いた女が、普通であるはずがない、きっと常識では測れない天才なのだと、そう自分に言い聞かせて……。


 目の前の花沢を見る。


 彼女はせわしなく視線を動かしながら、右手親指の爪を齧っていた。


 知らず知らずのうちに、僕は目の前の不器用な女に ”天才” という枷を嵌めていた。


 天才なんていない。


 才能なんて不確かなものだ。


 そう、学んだはずなのに。


 無意識のうちに、花沢をその学びから除外していた。


 僕は彼女に深々と頭を下げ、「すまん」と一言詫びた。


 それ以上、何を言ったらいいのかわからなかったから。


 花沢は、そんな僕を見て少し笑いながら「いいよ、別に」と僕を許してくれた。


 それから僕たちは、小さなちゃぶ台を挟んで話を始めた。


 最近の僕におこった奇妙な出会いと、悲しい別れの話。


 花沢は、途中で口をはさむこともなく、ただ静かに僕の話を聞いてくれた。


 すべての事を話し終えた時、明るかった空は茜色に染まり、窓から一筋のオレンジ色の光が部屋に差し込んでいた。


 花沢は、ペットボトルに少し残った麦茶を二人のコップに均等に注ぎ、自分の分をゆっくりと飲み干す。


 そして、小さな声で僕にこう言った。


「アンタにはじっくり自分と向き合う時間が必要だと思う……きっとね」


「たぶんそうだろうな。まあ、うつ病が良くなるまでは会社に行けないだろうけど」


 今は比較的落ち着いているが、またいつ気分が落ち込むかわからない。


 今だって、たまたま田村が家に来てくれて、うまい飯を食わせてくれたから精神が安定したのだ。


 自分ひとりだったら、今も部屋に引きこもってスマホの電源を切り、外界との接触を断って暮らしていただろう。


 そう考えると、本当に僕は周囲の人間に恵まれていると、そう思うのだった。


 そんなことを考えていると、花沢が小さな声で僕に予想外の提案をしてきた。


「ねえ……よかったらなんだけど。アンタが嫌じゃなかったらさ……アンタもここで暮らさない? そんな状況で、家にひとりでこもってるのも良くないと思うしさ……」

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