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咬爪症の女  作者: 武田コウ
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ステーキ

 僕の涙が止まるころ、店員が二人分のステーキを席に運んできた。


 鉄板の上でジュージューと旨そうな音を立ててステーキを見て、しばらくまともな食事をとっていなかった僕の腹が鳴る。


「おう、来たな。とりあえず肉を食おうぜ、せっかくのステーキだ、熱々のうちに食わないなんて嘘だぜ」


 田村のその意見には全面的に同意だった。


 僕は小さく「いただきます」と呟くと、銀色に輝くナイフとフォークを手に取る。


 左手に持ったフォークで肉を突き刺し、ナイフで食べやすい大きさに切り分ける。


 赤身のしっかりとした肉の弾力が手に伝わってきて、僕の食欲を増進させた。


 一口大に切り分けた肉を口に放り込む。やけどしそうなほどの熱の塊、息を吐きだし熱を逃がしつつかみしめると、しっかりとした肉の歯応えとともに、口中に広がるうまみ、そして程よい塩味が疲れ切った体に染み入るようだった。


 夢中になって、ガツガツと肉を食らう僕を見て田村は微笑む。


「そうだ、たくさん食え。そんでもって家に帰ったら何も考えねえで寝ちまえ。人間、うまい飯を食ってよく寝たら元気になるもんだよ」


 田村が僕をここに連れてきた理由が、少しわかった気がした。


 うまい食事を食べること、ぐっすりと寝る事……当たり前のようでいて、とても大切なことだ。


 あっという間にステーキを食べ終えると、お冷を一気に飲み干して一息つく。


 口の中に残った肉の油が、「うまいものを食った」と脳に刺激を送り、満足感が全身に広がっていく。


 田村も少し遅れてステーキを完食すると、ちびちびとお冷を飲みながら、雑談を始めた。


「まあ、別に大した用事は無いんだよ。ちょっとお前の様子を見に来たのと……まあ、一応伝えておこうと思ってな」


「伝える? 何をですか?」


 僕の質問に、田村はなんでもないことだと言わんばかりにさらりと返答する。

「姫さん……花沢式先生の担当、俺が引き継ぐことになったよ」


 当たり前といえば当たり前の事。


 病気で長期療養する編集者がいたのなら、担当していた作家は別の編集者が引き継ぐことになるだろう。


 そんな当たり前のことなのに。


 わかっていたことなのに。


 なぜだろう。その一言を聞いた時、なぜか胸の奥が鈍く痛んだような気がした。

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