ほんたうのさいはひ
僕は無心で物語を書き続けていた。
部屋のカーテンを閉め切り、朝も夜も関係なく執筆をつづける。
眠気が限界に来たときは、歯も磨かずにそのままベッドに倒れこみ、ぐうぐうと眠りこけた。
気のゆくまで睡眠をむさぼると、またむくりと起き上がり、寝ぼけまなこを擦りながら作業机へと向かう。
スマホの電源はOFFにし、壁にかけていた時計も外した。
外界とのつながりを遮断したその部屋では、次第に時間の感覚があいまいになり、自分という存在すら認識することが難しくなる。
時間も、自分すら存在しない空間で、あるのは原稿用紙の束と一本の万年筆。
ペン先が紙に擦れる音。窓越しにかすかに聞こえる喧騒。自身の吐く生暖かい吐息。
ふとあごに手を当てるとザリザリとした硬質な感触が手のひらに伝わった。
学生時代から、僕は髭というものがあまり好きではなく、休みの日も欠かさずに髭剃りをしてきた。こんなにも髭が伸びた状態になるのは、もしかしたら人生で初めてかもしれない。
不思議な感傷に浸っていると、突然腹がグゥッと大きくなった。
そういえば長い時間食事を取っていなかった。そう認識した瞬間、思い出したかのように強烈な空腹感が僕を襲う。
万年筆を動かしていた手を止め、とりあえず何か腹に入れようと冷蔵庫に向かう。
冷蔵庫の中身は、ほとんど空っぽだった。
よく冷えたミネラルウォーターの500ミリボトルが数本。いつ買ったのかも定かではない缶のビールが1本(僕は普段ビールを飲まない)。スライスチーズが数枚といったところだ。
腹を満たせそうなものはチーズくらいしかない。
とりあえず、スライスチーズをかじりながら、乾物や保存食を置いている棚を確認する。
レトルトのカレーと、パスタが見つかった。
最高の食材とは言えないが、腹が満たせるのなら文句は無い。
残りのスライスチーズを齧りながら、大きめの鍋にたっぷりのお湯を沸かして1人前のパスタを茹でる。
規定時間茹でている間に、深めの皿にレトルトのカレーを移して、レンジで適当に温めた。
茹で上がったパスタを温めたレトルトのカレーに絡めれば完成だ。
在り合わせの食材で作られた、名前の無い料理を食べる。
味は想像した通り、レトルトカレーの味がするパスタ。
なんのマリアージュも無いが、レトルトのカレーがまずい筈が無かった。
即席のカレーパスタを無心で平らげると、だいぶ腹は満ちてきた。
冷蔵庫を開け、普段は飲まない缶ビールを開ける。
処方された薬をビールで胃袋に流し込み、一息ついた僕は作業机に戻り、当たり前のように執筆を再開する。
10年間小説を書けなかったことが嘘かのように、今の僕は小説を中心に生活のサイクルが回っていた。
飲み、食い、眠り、そして書く。
余計なことは考えない。ただ、小説を書くためだけのマシーンと化する。
やがて、右手に持った万年筆が重たく感じてきたころ、家じゅうにインターホンの音が鳴り響いた。
予想していなかった音に、一瞬思考がフリーズする。
来客の予定なんてない。
訝し気に首をひねりながら、ノロノロと立ち上がり、玄関へ向かう。
鍵を開け、玄関を開くとそこには私服姿の田村が立っていた。
「よぉ、ひでぇ顔してんな相沢」




