母
「……なるほど、今僕がいきなりぶたれた理由は何となく理解しました」
小学生の娘が、夜な夜な公園で見知らぬ大人の男とお喋りをしているなんて、心配するなという方が無理な話だ。
カナエは賢い娘だ。彼女が母親に僕のことを話したとは考えにくい。
恐らく、僕とカナエが話している現場を見ていた知り合い、第三者がいるのだろう。その第三者は、塾帰りに公園の近くを歩いていたカナエの同級生か、はたまたカナエの母親の知り合いかもしれない。
その第三者が偶然僕たちが会話している場面を目撃した……くたびれたサラリーマンと女子小学生の組み合わせなんて怪しい場面を目撃したその人物は、親切心からカナエの母親に報告した。そんなところだろう。
女性……カナエの母は、鋭い視線をこちらに向けたまま、言葉を選ぶようにゆっくりと話しだした。
「どんな事情があるか知りませんが、もうあの子に関わらないでください」
僕は無言で彼女を見上げた。
目線は相変わらず鋭いが、その手が少し震えているのが見えた。
怖いのだ。
当たり前だろう。相手は素性も知れない、子供好きの変質者かもしれない男。対するは小柄な女性ひとり。周囲には誰もいない夜の公園。
怯えるのが普通だ。
それなのに彼女は一人でこの場所にやってきた。それは、紛れもなくカナエに対する愛だろう。
カナエの口ぶりから、もしかしたら家庭環境が冷え切っているのかと想像していたが、僕の早とちりだったらしい。
こんな状況なのに、少しだけホッとした。
「カナエはもうこの公園に近づけさせません。塾も辞めさせます……」
そして彼女は持っていたバッグからスマホを取り出すと、カメラを僕に向けた。
「1枚写真を取らせていただきます。いいですね?」
僕が返事をする前に、カメラのフラッシュが光る。
彼女はスマホの画面で写真を確認すると、小さくうなずいた。
「下手なことは考えないでください。何かあればすぐに警察にこの写真を持っていきます」
しかし彼女は饒舌だ。先程から僕が話す隙が無い。
その後、きっちり僕の身元を押さえようとしたのか、住所と職場を聞かれ、何故か最終的にはLINEで連絡先を交換することになった。
友だちになったLINEの情報によると、彼女の名前は「遠山加奈子」というらしい。
やることをやり終えた彼女は、「では、もう会わない事を願います」と言って去っていった。
嵐のような女性だった。
結局、僕は一言か二言くらいしか言葉を発さなかった気がする。
しかし、初対面の女性に頬を張られるなんて珍しい経験をしたものだ。
僕は空を見上げ、カナエを想う。彼女の疲れたような横顔と、その孤独な頭の良さについて考える。
カナエには近づくなと、そう言われた。
でも、本当にこのままで良いのだろうか?
頭にモヤがかかったように、まともな思考ができない。
そんなグジャグジャの思考の片隅で、何故か花沢の声が聞こえてきた。
『アンタも物書きの端くれなら、小説を書けば良いんだよ。どんな悲劇も喜劇も、小説を書くための材料でしか無いんだからさ』
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