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咬爪症の女  作者: 武田コウ
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壊れゆく日常

 毎朝のルーティンにしたがってコーヒーメーカーのスイッチを押し、水を湧かしている間に歯を磨く。


 睡眠不足でガンガンと痛む頭を押さえながら、力を入れすぎないように歯ブラシを動かした。


 こんな時にも律儀に毎朝のルーティンを行っている自分に、少し笑えてくる。


 いつも通り、たっぷり10分間かけて歯を磨き終え口をゆすぐ。


 するとコーヒーの香りが漂ってきた。


 コーヒーメーカーから、出来上がったコーヒーをマグカップにたっぷりと注ぎ、席に着く。


 マグカップに注がれたコーヒーを見下ろすと、真っ黒な水面に疲れ切った自分の顔が映し出されていた。


 コーヒーの中にいる自分の顔は、ゆらゆらと揺れて頼りなく、まるで他人の顔みたいに見える。


 コーヒーを飲むでも無く、ジッとコーヒーに映り込んだ自分の顔を見つめる。まるでそうすることで、歪んだ自分の顔が消えてしまうと期待しているかのように。


 当たり前のことだが、どれだけ時間がたっても映り込んだ自分の姿が消えてしまう事は無く、ただ注がれたコーヒーの熱だけが緩やかに失われていった。


 どれだけ時間がたっただろう? 手元のマグカップはすっかり冷え切っている。


 壁掛け時計を確認すると、あと数分で始業時間であることがわかった。


 これから家を出ても遅刻は確定だろう。


 それが理解出来ているのに、僕の体は一向に動こうとしなかった。


 ため息をつく。


 スマホを取りだし、田村に今日の仕事は休むと連絡を入れた。


 悪いとは思っている。


 僕が仕事を休んでいる時、僕の仕事を代わりにやってくれているのは彼なのだ。


 数分後に、彼から返信が帰ってきた。曰く、「仕事なんて無理してまでするもんじゃない。しっかり休め」とのことだった。


 僕はその一文を読み、手元の冷え切ったコーヒーをグイッと飲み干す。


 適当な服に着替え、財布を尻ポケットに突っ込むと、行く先も決めずに家から出る。


 このまま家に居ては、一日中マグカップの中を覗くことになりそうだったのだ。









 気がつくと、僕は花沢のアパートの前までやってきていた。


 なぜここに来たのかわからない。


 今の僕に、花沢と会う理由など無いはずだ。


 きっと、昨日この場所に来たからなんとなく足が向かってしまったのだろう。


 深い意味など無い。


 それに、用も無いのに自宅に押しかけられては花沢も迷惑だろう。


 故に、この場での最適な行動は、サッサと回れ右をしてこの場所から立ち去ることだ。いつまでも、この場所でボーッと突っ立っている訳にもいかないのだから。


 そう判断した僕が、回れ右をして歩き始めると、アパートへと帰ってきたであろう人影と正面から向き合う形になった。


「……あれ? アンタ、今日は何の用?」


 おそらくコンビニにでも行ってきた帰りなのだろうか?


 ビニール袋を持った花沢が、僕の顔を見てキョトンと首を傾げていた。





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