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咬爪症の女  作者: 武田コウ
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壊れゆく日常

 眼を覚ました。


 部屋は薄暗く、まだ起きる時間には早いようだ。


 ちらりと枕元の目覚まし時計を確認すると、時間は午前3時半を差し示していた。中途半端な時間だ。こんな時間に眼を覚ますなんて、随分と久しぶりの事だった。


 酷く喉が乾いている。眠たげな眼を擦りながら、ノロノロと立ち上がった。


 冷蔵庫を開け、冷やしていたミネラルウォーターを取りだし、中身を飲み干した後、ベッドに戻る。


 しかし酷く眠いのだが、どうにも眠れそうになかった。


 ため息をついて起き上がる。


 経験から、こんな時は無理に眠ろうとしても無駄だとわかっているのだ。


 部屋の電気をつけ、なんとなく作業机に向かい、椅子に腰掛ける。


 机に置いてあったスマホがちらりと視界に入った。


 結果は分かっているが、一応LINEのアプリを立ち上げ、靜香から返信が来ているかを確認する。


 返信は無い。既読すらついていなかった。


 また、ため息をつく。


 彼女に電話をすべきなのだろう。そんな事はわかっている。


 靜香に振られるにせよ、その理由を知る権利が僕にはある筈だ。


 本来なら、靜香からのメッセージが来た瞬間に電話すべきだった。


 他に好きな人がいるのか? それとも僕に悪いところがあったのかと、彼女に問うべきだったのだ。


 でも、僕は電話をしなかった。


 ただ、怖かった。


 唐突に日常が崩れ去り、何も無い真っ白な荒野に、裸で放り出されたようだった。


 また、ため息をつく。


 どうにも、最近ため息ばかりついているような気がする。


 良くない兆候だ。


 こうして何もせずボーッとしていると、悪いことばかり考えてしまう。何かをして気を紛らわせた方がいいかもしれない。


 そんな時、僕の頭にはカナエから貰った文庫本が浮かんだ。


 銀河鉄道の夜なんて、何度読んだかわからない。つい最近も、ペラペラと文庫本をめくっていた。


 しかし、他に良い案も浮かばなかったので、僕はカナエから貰ったボロボロの文庫本を、部屋の小さな本棚から引き抜くと、それを机の上に置いた。


 首をゆっくりと回し、ボキボキと骨を鳴らしてから読書に取りかかる。









 「なにがしあわせかわからないです。ほんたうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんたうの幸福に近づく一あしづつですから。」


 「ああさうです。ただいちばんのさいはひに至るためにいろいろのかなしみもみんなおぼしめしです。」









 その一節を読みながら、僕はぼんやりと自問した。


 今の悲しみが、もし「ほんたうのさいはひ」に至るための道なのだとしたら、僕は乗り越えられるだろうか?


 分からない。


 その答えは、まだ僕の中に無い。


 ゆっくりと、窓の外に見える景色が白んでいくのが見えた。


 朝が、やってきたのだ。





 

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