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咬爪症の女  作者: 武田コウ
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夜の公園



 久しぶりの仕事を終え、僕は帰路につく。


 今日はひどく疲れた。


 帰りの電車に揺られながら、夕闇に染まる街の風景をなんともなく眺めていた。


 あれから、僕と花沢の距離は幾分か縮まったように感じる。僕が小説を書けるようになった事で、作家としての同族意識が花沢に生まれたのだろうか?


 わからない。


 花沢ほどの才能ある人間が、僕のような凡人の作品に興味を持つのだろうか?


 昼間、彼女の家を訪れた時に、次の小説も読ませて欲しいと頼まれた。


 きっと、次の小説を書くことが出来たとして、僕は真っ先に花沢に読んで貰うだろう。親しい人間というならば、恋人である靜香に読ませるべきかもしれない。


 しかし何故だろう、僕はきっと最初に花沢の所に小説を持っていくと半ば確信していた。


 別に彼女から的確なアドバイスが貰えるとか、プロの視点から批評をされるとか、そういうことは一切無い。


 先日、大学の部室で僕の小説を読んだときも、花沢は作品の内容に関して、何かを言うことは無かった。


 ただ読み終えた後、満足げに微笑んで僕に原稿用紙を返してきたのだ。


 十年ぶりに小説が書けるようになったとて、僕の人生において、何が変わるという訳でも無い……そんな当たり前の事実が、何故か僕にはしっくりきていなかった。


 何も変わらないのなら、何の意味も無いのならば。


 何故僕はあれほどまで、小説を書くことに執着していたのだろう?


 わからない。


 その答えは、まだ僕の中に無い。


 目的の駅につき、電車から降りる。


 喉の乾きを覚えた僕は、駅の自販機でペットボトルのお茶を買って、よく冷えたソレをがぶ飲みした。


 久しぶりの仕事で気が高ぶっているのか、すぐ自宅に帰る気にならなかった僕は、少し夜の散歩をすることにした。


 自宅とは反対方向の道を進み、元気な虫の鳴き声に耳を澄ませる。


 せかせかと道を行くスーツ姿のサラリーマン達。ソレを横目で見ながら、僕は意識的に自分の歩くスピードを緩めた。


 家に帰った所で、自分以外何者もいないのだ。ならば、外でどれだけ無意味な時間を過ごしても関係ないだろう。


 気がつくと、僕はカナエと初めて出会った公園に着いていた。


 まばらに光っている電灯が、夜の公園を歪なスポットライトで照らし出している。


 公園内のベンチに腰掛け、ペットボトルのお茶を飲みきると、ゆっくりと息を吐く。


 今日はやけにくたびれた。


 ネクタイを緩め、体中の筋肉を弛緩させる。


 生温い風が僕を通りすぎていく。


 空を見上げても、星空なんて見えない。都会の空気は、星を楽しむには汚れすぎているようだった。


 ゆるゆると心のこわばりが解けていくのを感じる。長期の休みの後だと強く感じる。人間には、一人の時間というものが必要不可欠なのだと。


 そんな事をぼんやりと考えていると、ふと人の気配を感じて視線を向ける。薄暗くてよく見えないが、小さな人影が公園に入ってくるのが見えた。


「……あれ? アイザワさん? 奇遇ね、こんな時間に」


 そう言いながら、人影が近づいてくる。


 街灯に照らされたその人物は、強気そうな女子小学生……カナエだった。



  

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