柔らかな日差しの下
穏やかな時間が流れていた。
カナエは靜かに本を読み、僕はその隣でボーっと風景を眺めている。時折吹いてくる夏の風が、木の葉を揺らしてザワザワと音を立てる。
何もすることが無い僕は、いつまでたっても書くことの出来ない小説について考えた。最早見慣れた真っ白な画面のノートPCと、飲みかけのコーヒーが入ったお気に入りのマグカップが頭の中に浮かぶ。
ここまで何も書くことが出来ないと笑えてくる。
しかし、何故僕はこうまでして小説を書くことにこだわっているのだろうか?
靜香が言っていたように、僕は天才では無い。きっとこれから先も、花沢の書く小説に追いつく事なんてできないだろう。
ならば何故小説を書く事にこだわる?
才能が無いならば、
それどころか、書くことすらできないのならば、すっぱりと諦めてしまえば良い。
きっとそれが正解。大人として正しい判断だと思う。
諦めてしまえば、前に進める。
小説を書くことが出来なくたって、小説に関わる仕事をすることはできる。
それで十分じゃないのか?
それ以上を望むのは、おこがましい事ではないのか?
今の僕は、すでに満たされた存在だ。
好きな小説に関わる事のできる仕事に就き、そこそこの収入を得て、美しい恋人だっている。
なのに何故だろう。
心が満たされない。
時間がたつにつれ、僕の心はカラカラに乾いていく。
「……どうしたの? 気分でも悪いのかしら?」
ふと気がつくと、カナエが僕の顔を覗き込んでいた。
僕の息は荒く、恐らく顔も真っ青になっている事だろう。小学生相手に体調の心配をされるなんて、何とも情けない話だった。
カナエは自分の水筒を差し出してくる。
それを見て、酷く喉が渇いている事に気がついた。
カナエに礼を言うと、水筒を受け取り中身を飲む。口の中に広がる爽やかなレモン水の味。水筒の中には氷が入れられており、カラカラと涼しげな音を立てていた。
水分を摂取することで、多少気分が良くなった。木陰の涼しい場所とはいえ、夏の日に外で長時間いる水分を取らずにいるのは良くなかったらしい。今度からは僕も水筒を準備するべきかもしれない。どこにでも自販機があるわけでは無いのだから。
「良かった。少し顔色が良くなったみたい」
「……ありがとう。助かったよ。今度からは僕も水筒を持ってくることにする」
「ええ、そうした方が良いわ。今日は私がいたから良かったけれど、いつでも居るわけじゃないから」
そしてカナエは、僕に遠慮がちに聞いてきた。
「何か……考え事でもしていたの? 凄く難しい顔してたみたいだけど」
何故だかわからない。
熱中症気味で、少し体調が悪かったからなのか、それとも水をくれた少女に対して、少し恩義を感じていたからかもしれない。
わからないけれど、僕は自分の悩みを、よく知りもしない目の前の少女に対して話して見ることにしたんだ。
「…………僕はね、小説が書けないんだ」
カナエは、僕のつまらない話を真剣に聞いてくれた。
子供らしく意見を言うこともなく、ただ黙って僕の話を最後まで聞いたカナエは、また無言で水筒を差し出してきた。
たくさん話して喉が渇いてきた僕は、その好意に素直に甘えることにする。水筒を受け取り、一口飲み込む。冷えたレモン水が、とても旨かった。
「……なるほどね。だいたいわかった。それで……アイザワさんはどうしても小説が書きたいのね?」
「それも少しわからなくなってきてるんだ。靜香は僕に身の程をわきまえろと言った。所詮僕は凡人で、天才である花沢には敵わないと……確かにその通りなんだ。そして、小説を書かなくたって、僕はこの世界で生きていける。花沢とは違ってね」
花沢は……。
彼女は小説を書かなくては生きていけないだろう。
彼女は小説を書くために生まれてきた人間で、それ以外の事なんて出来ないのだから。
僕は彼女とは違う。
小説なんて書かなくたって生きていける。
悲しいことに、書かなくても何の支障も無く生きていくことができるのだ。
「才能……それって、重要な事かしら?」




