硬貨の価値
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貨幣はそれだけでは意味を持ち得ない。
貨幣が意味を持ち得るのは、別の商品に交換される時においてであり、交換価値しかもたない特異な商品なのだ。
つまり、貨幣とはみんながその価値を信じているからこそ価値のあるものであり、その価値を信じていない人にとっては何の価値も生まれない。
豚に真珠、猫に小判ということわざがあるように、その価値を知らない人に貨幣を差し出しても何も譲ってはくれないだろう。
貨幣の価値は、それを万物と交換できるという他者の存在を信じるから生まれるものであり、それは社会との繋がりを表している。
銀河鉄道の夜には、何度か硬貨が登場するシーンがある。物語と直接関係はないのだが、初期型と最終稿において登場する硬貨の種類や枚数に差異が見られるのだ。
硬貨の種類や枚数を変更した事により、どのような効果が得られるのだろうか?
初期型ではジョバンニが、運動場で二枚の銀貨を貰っているカムパネルラの姿を見ている。ここで登場するのはカムパネルラの持つ銀貨が二枚。
これに対応するかのように、物語の終盤に実験に付き合ってくれたお礼と言って、ブルカニロ博士がジョバンニのポケットにそっと二枚の金貨を滑り込ませている。
カムパネルラが持っていたのは銀貨。しかし、ジョバンニがブルカニロ博士から手に入れたのは金貨だった。
もちろん、金は銀より価値が高い。しかし、それだけでなく、金には象徴的な価値があります。「金の斧銀の斧」や「金のがちょう」などの童話でも明らかなように、昔話などでは、金は富の象徴として使われています。つまり、金は、さまざまな貨幣や財宝のなかでも、特別な存在なのです。したがって、そうした特別の貨幣、金貨を手に入れたジョバンニは、その点でも選ばれた存在であったということになります。
千葉一幹『賢治を探せ』講談社 二〇〇三年 一九一頁
初期型でのジョバンニはブルカニロ博士から金貨を手に入れた。それが選ばれし者の象徴でもあったわけだ。
しかし最終稿ではどうだろう。
ブルカニロ博士の削除された最終稿では、ジョバンニは金貨を手に入れる事はできない。
その代わり、最終稿ではジョバンニが印刷所で働いて、その対価として銀貨を一枚手に入れるという場面が追加されている。
選ばれし存在から賃貸労働者=凡人への変異。
ブルカニロ博士の消失により、ジョバンニはその存在をただの凡夫へまで落とされた。
なぜブルカニロ博士は消えなくてはならなかったのか。
その意味を、僕はまだ知らない。
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