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咬爪症の女  作者: 武田コウ
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映画


「明日デートをしましょう」


 靜香からのLINE。僕は深く考えもせずに了承の言葉を送り返した。


 しばらくは有給を取っているし、どうせ予定など何も無い。彼女からのデートの誘いを断る理由など無かったのだ。


 デート当日、待ち合わせの駅前で僕はぼんやりと腕時計を眺めていた。


 待ち合わせの時間までは、まだ少しある。スマホをいじくる気にはならない。何度でも言うが、僕はそういった時間の使い方が好きでは無い。


 スマートフォンは便利だ。


 もっと言うならば、インターネットというものの利便性は便利を通り越して恐ろしい。かの存在によって、個人がアクセスできる情報量は莫大になった。


 日本という島国にいながら、一歩も動かずに世界中にアクセスできるようになってしまった。


 僕たちは日々、膨大な情報に押し流され、それを処理するために自分の時間を浪費しているような気がしてならない。


 情報は力だ。


 しかし、過ぎたる力は身を滅ぼしかねない。


 そんな事を考えながら、ボウッと佇んでいると背後からポンと肩を叩かれた。


「お待たせ。って言っても、まだ待ち合わせの5分前なんだけどね」


 現れた靜香は、いつもの仕事帰りのバーでのデートとは違って、オシャレな服装に身を包んでいた。


 化粧やファッションには疎いが、今日は仕事用では無く、デートだという事で身なりを整えて来てくれたのだろう。だから僕は素直な感想を伝える事にした。


「その服、似合ってるね」


「ありがとう。お世辞だとしても嬉しい」


「お世辞じゃないさ。ファッションには疎いけど、その服は靜香によく似合っていると思う」


 薄い青を基調としたシンプルなカットソーに、ふんわりとした白のスカート。化粧も普段よりナチュラルにしているようだ。


「ふふっ、アナタにしては気遣いが出来ているわね。合格点をあげる」


 機嫌がよさそうに笑うと、靜香はするりと細腕を僕の腕に絡めてきた。外気は蒸し暑く、僕は薄らと汗をかいているというのに、絡んできた彼女の腕は、つい先程までエアコンに晒されていたかのようにヒンヤリと冷たく、心地が良かった。


「さっ、行きましょ。映画の時間に遅れちゃう」









 僕たちが見ることにしたのは、靜香が前から気になっていたという恋愛映画だ。


 主人公の男は工場で勤務している肉体労働者という設定だったが、俳優の都合なのか、肉体労働者にしては体が細く、不健康そうな印象だったのが少し気になった。


 恋愛映画なんて、見るのはどれくらいぶりだろうか?


 そも、僕はあまり映画館に行く習慣が無い。


 映画を見たいのならばレンタルをするし、そもそも映像として物語を楽しむよりも、書籍で読む方が好きだった。


 故に、映画館に行くようになったのも靜香と付き合いだしてからだった。


 靜香は映画が好きだ。


 暇さえあれば、一人ででも映画館に通うのだと言う。


 レンタルの方が、お金も掛からないしリラックスして見れるのではないかと問いかけると、彼女は呆れたような顔で否定してきたのだった。


「相沢君。アナタにはわからないかもしれないけれど、私は映画そのものだけじゃなくて、映画館という空間全体が好きなの」


 彼女に言わせれば、映画館で映画を見るという体験そのものに価値があるのだそうだ。


 僕にその感覚はわからない。やはり、同じ作品を見るというのならば、安い方が得ではないかと考えてしまうのだ。


 ”価値”


 価値というものは人によって変化する。


 同じモノを差し出されても、それに価値を感じるか否かは受取手次第。


 そういえば、図書館から借りてきた本の中に、銀河鉄道の夜に登場する硬貨の意味について考察している本があった事を思いだす。


 あれはまさに眼から鱗だった。確か……。


 そこまで考えたとき、ふと我に返る。


 いけない。今は映画を見ている最中だった。高い金を払って、それで内容を全く覚えていませんじゃもったいない。


 僕はゆっくりと座り直し、映画に向き直るのだった。





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