空の人間
◇
僕は空の人間だ。
表面ばかり取り繕い、メッキで塗り固めてきた。
つややかで硬質な表面を叩けば、カーンと気持の良い音が鳴るだろう。その中身は、空っぽなのだから。
図書館から帰った僕は、借りてきた何冊かの本を作業机の上に置き、冷蔵庫に向かった。
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、汗で濡れて不快だった上着を適当に脱ぎ捨てる。
半裸になった僕は、ペットボトルの蓋を開けて、中身を一気に飲み干した。空のペットボトルをゴミ箱に捨て、もう一本ペットボトルを冷蔵庫から取り出す。
”ほんとうのさいわいとは何だろう?”
銀河鉄道の夜で、主人公のジョバンニは、そうカムパネルラに問いかける。
僕たちは皆、幸せになるために生活をしている筈だ。不幸になりたい奴なんている筈がない。
ならば、幸せとは何か?
問いかけられたカムパネルラは、答えを出すことができなかった。
そもそも、答えなんて無いのかもしれない。
”ほんとうのさいわいとは何だろう?”
自分に問いかける。
今の僕は幸せだろうか?
職があり、
彼女がいて、
持ち家や車は無いが、貯金もそこそこある。
一般的には幸福と言ってもいいだろう?
ならば今のこの何かが欠けているような、不快な感覚は何だ?
わかっている。
僕はもうその答えを知っている。
作業机の上に置いてある、ノートPCの電源をつけた。起動を待つ間、暑苦しくなった僕はエアコンのスイッチをつける。少し古びたエアコンが、鈍い音を立てて動き出した。
椅子に座り、ミネラルウォーターのペットボトルを側に置く。文書作成ソフトを起動してそっと両手をキーボードの上に置いた。
真っ白なPCの画面を見て制止する。
1秒
2秒
3秒…………。
何も完璧な文章を書く必要は無いのだ。リハビリのつもりで、適当な二番煎じの物語を書いてしまえば良い。
一歩を踏み出すことが大切。何でもいいから最初の一行を書いてしまう……簡単な事だ。そう……思っていた。
大きく息を吐き出す。
僕は無言でノートPCをシャットダウンした。
自分の肝の小ささに嫌気が差す。側に置いたペットボトルの蓋を開け、水をがぶ飲みしたのだった。
考えてみれば当たり前の事。空っぽの人間に紡げる物語などあろう筈も無い。
やるせない気分で僕は図書館から借りてきた本を手に取ると、ベッドの上にだらりと寝転がった。
それは宮沢賢治についてまとめられた書籍。
僕は意味も無く、何となく、その書籍の頁を捲る。
まるで贖罪のように、空っぽな脳内に知識を詰め込んでいく。
ただ、それだけの事。
”ほんとうのさいわいとは何だろう?”
答えの無い問いを、僕はただ繰り返した。
◇




