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咬爪症の女  作者: 武田コウ
18/81

立場



「あらあら、お姫様の次は小学生? ほんと、アナタは節操が無いわ」


 からかうように靜香はそう言った。


 いつものバーで、僕は靜香と今日の出来事を話していた。


 仕事終わりの彼女は、少し疲れたような表情で聞いていたが、僕が小学生と二人で喫茶店に入った下りで、クスクスと笑い出した。


「ほとんど犯罪よ? 小学生の彼女の懐の深さに感謝することね」


「……わかっているさ。僕がどうかしていた。実際、カナエちゃんもナンパだと感じていたようだしね」


「という事は、カナエちゃんはアナタの事が気に入ったのね。気に入らないナンパに着いていく女はいないもの」


「よしてくれよ。相手は小学生だぜ?」


「わかっていないわね。アナタが考えているより、小学生はキチンと自分の考えを持っているものよ?」


「もっともらしい事を言っているけど、君に小学生の何がわかるって言うんだい?」


 僕の言葉に、靜香は妖艶に微笑んだ。


「さあね? もしかしたら、アナタをからかうためだけに適当に言っているだけかも」


 どうにも、彼女には敵いそうに無い。


 僕は肩をすくめると、手元のカクテルをグイッと煽った。


 靜香はバーが好きだ。


 僕自身は、彼女と付き合うまで、あまりこういう場所でお酒を飲むような事は無かった(チェーン店が大好きな僕は、オシャレな場所というものが苦手なのだ)。彼女は僕の狭い世界を広げてくれる存在だ。


 ふと思い立った僕は、彼女に質問をしてみた。


「靜香、君は銀河鉄道の夜を読んだことはあるかい?」


「唐突ね……ええ、読んだことがあるわよ」


「一つ聞きたいことがあるのだけれど、いいかな?」


「ふふっ、質問ならさっきからしてるじゃない。どうぞ、何なりと質問して」


「ジョバンニは、何故カムパネルラと供に行けなかったのだろう?」


 別に正確な答えを求めていた訳では無い。


 靜香は大学で法律を学んでいた筈で、文学研究なんてしたことがないだろうから。


 だからこの質問は、ただの興味本位。彼女ならどう答えるだろうと、少し興味がわいただけの事だった。


 しかし、彼女は迷う様子も無くスラスラと返答する。


「ナンセンスな質問ね。二人が供に行ける筈が無いじゃない」


「……どういう事?」


「カムパネルラが死者で、ジョバンニが生者だからとか、そういう理由じゃ無いの。そういう次元じゃ無くて、そもそも二人の関係性が対等じゃないからよ」


「対等じゃ……無い」


「そう、カムパネルラは博識で人気者、対してジョバンニは自分に自信がなくてクラスの爪弾きモノ……立場が全く違う」


「でも二人は友人だっただろう?」


 僕の言葉に、靜香は首を横に振った。


「カムパネルラにとってのジョバンニはそうかもしれない……断言はできないけどね。でも、少なくともジョバンニにとってカムパネルラは友人でなく、憧れの対象でしかないのよ」


 靜香は持論を語りつづける。


「ジョバンニは自分に持っていないものを全て持っているカムパネルラの事がうらやましかっただけ……それは対等な関係ではあり得ない。もしカムパネルラが生きていたとしても、やがては別の道を行ったでしょうね」


 自分の持っていないものに憧れただけ……。


 何故か僕の脳内には、噛み跡でボロボロになった親指の爪が浮かび上がった。


 靜香はそんな僕の鼻をちょこんと押すと、自身のグラスを飲み干す。


「かわいそうなジョバンニ。ブルカニロ博士が……導くものがいない彼は、もう自分で立ち上がる以外の道が残されていないのよ。でもそれって、とても残酷だとは思わない? 自分で立ち上がれる人間なんて、そう多くは無いのにね」


 ブルカニロ博士。


 知らないキャラクターだ。


 その事について尋ねようとした時、靜香は時計を見て立ち上がった。


「そろそろ時間ね。今日も楽しかったわ」





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