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咬爪症の女  作者: 武田コウ
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少女と僕



 喫茶店を後にした少女が向かったのは、近辺にあった寂れた神社だった。


 神主もいないのか、少し高台にある神社に人気は無く、平日の昼間という時間帯も相まって、何だか不思議な感覚がする。


 少女は手慣れたように木陰に設置されたベンチに座ると、背負っていたリュックサックから一冊の本を取り出した。


「本が好きなのかい?」


 僕が問いかけると、少女は無言でコクリと頷く。


 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』


 何度も読み返しているのか、それとも古本で手に入れたのか。ボロボロになったその本のページを、カナエは大事そうにそっと開く。


 本に関わる仕事をしている身としては、子供の読書の時間を邪魔するわけにはいかない。


 この読書タイムに、何故自分を連れてきたのかは不明だが、僕は彼女の読書を邪魔しないよう、神社の苑内を見て回る事にした。


 神社は背の高い木々に囲まれており、適度に日差しが遮られて涼しい。


 建物には植物の蔓が幾重にも巻き付いており、その退廃した様が、逆に神聖な雰囲気を纏っていた。


 こういう雰囲気は嫌いでは無い。まるでジブリ映画のワンシーンに迷い込んだようで、少しワクワクする。


 この場所は、カナエにとって大切な場所なのだろう。


 なんとなく、そう思う。


 苑内を一周し、本を読むカナエの隣に腰掛けた。


 こんな事なら、僕も何か本を持ってくれば良かった。すっかり手持ちぶさたになった僕は、何をするでも無く、ただボウッと空を眺める。


 名も知らぬ一羽の鳥が、スゥーっと視界を横切った。


 静かな空気が流れる中、カナエがポツリと僕に問いかける。


「銀河鉄道の夜……読んだことある?」


「もちろん。有名な作品だからね」


 宮沢賢治による名作、『銀河鉄道の夜』。


 主人公であるジョバンニが、親友のカムパネルラと供に ”銀河鉄道” という空を走る鉄道に乗って旅をする物語である。


 大学の頃は文学の研究をしていた。もちろん、銀河鉄道についても人並みの知識はあるつもりだ。


「これってとても残酷な物語ね」


「……そう……かもね。確かに、受け取り方によってはそういう側面もあるかもしれない」


 銀河鉄道のラストで、親友のカムパネルラは既に死んでいた事が明らかになる。あまり、ハッピーエンドとは言い難い物語だ。


「カムパネルラは自分勝手だわ……何で彼はジョバンニを置き去りにしてしまったのかしら?」


 その問いに、僕は即答する事ができなかった。


 銀河鉄道の夜を読んだことがあるとはいえ、内容はおぼろげで、そんな深い所まですぐには思い出せなかったのだ。


 しかし、カナエ自身、別に答えが欲しくて呟いた言葉では無かったらしい。答えが無いことを意に介した様子も無く、パタリと本を閉じると丁寧にリュックサックの中にしまい込んだ。


「そろそろ帰らなくちゃ……それじゃ、アイザワさん。またね」


 そう言って軽やかな足取りで神社から去って行くカナエの背中を、僕はただボンヤリと見つめていた。


 一陣の風が通り抜ける。空もゆっくりと茜色に染まってきた。


 どうやら、僕もそろそろ帰った方が良いみたいだ。ゆっくりと立ち上がり、こわばった腰を伸ばす。


「何故カムパネルラはジョバンニと別れなくてはならなかったのか……ね」


 そういえば、文学について考察するなんてしばらくしていなかった。


 僕は一人微笑むと、ゆっくりと神社から立ち去ったのだった。





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