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咬爪症の女  作者: 武田コウ
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失踪



「どうやら、両親にも連絡は無いみたいです……すいません」


「なんでお前が謝るんだ? 失踪したのはお前じゃないだろ?」


 疲れ切った僕の頭を、田村が軽く小突いた。


 普段はちゃらんぽらんな態度を取っている彼だが、こういう一大事の際には意外と頼りになる存在である。


「しっかし……親御さんのとこでもねえとすると、もうすこし様子をみて警察に届け出をした方がいいかもだな……他に心当たりはねえの?」


「無い……ですね。アイツ、友達もいませんし、基本引きこもりなので」


 何故、花沢は急にいなくなってしまったのだろうか?


 二人で食事をした翌日。僕が様子を見に行くと、いつものボロアパートに彼女はいなかった。


 どこかに出かけているのだろうかと思ったが、同日の夕方に様子を見に来ても、帰ってきている様子が無かった。


「……二三日、ふらっと旅行に行っているって可能性もある。あんま思い詰めんな。作家なんて勝手なもんさ、きっとしばらくしたらフラッと戻ってくるさ」


「そうだといいのですが……」


 旅行。


 果たしてありえるのだろうか?


 あの引きこもりが、一人で旅行に行くイメージがまったく沸かない。


 そんな僕の様子を見て、田村は深く息を吐いた。


「相沢…………お前、しばらく仕事休め」


「え?」


「有給、まだ残ってんだろ?」


「ええ……残ってますが、でも……」


「でもも、くそもねえよ。そんな腑抜けたツラ晒されてちゃ、こっちのテンションまで下がらあ。お前は真面目すぎんだよ……仕事は俺が引き継いでおくから、一週間くらい休んどけ。編集長には俺から適当に伝えとく」


 不器用な言葉だが、彼なりに心配してくれたのだろう。


 僕は少し考えた後、深く彼に頭を下げた。


「……ではお言葉に甘えさせていただきます」


「おうよ、しっかり休んでこい」


 ニカッと笑った田村の姿は頼もしく。やはりこの人物は私の先輩なのだと思い知らされたのだった。












 仕事の引き継ぎをしてから、日が昇っている内に退社する。ガラガラで人のいない電車が、何だか少し新鮮だった。


 やれるだけの事はやった筈……もう、僕にできることは無いだろう。


 そう言い聞かせながら、何故か早まる鼓動を押さえつける。


 本当にそうだろうか?


 花沢が失踪した前日。最後に会っていたのはきっと僕だ。


 彼女の両親を除いて、一番彼女の事を理解しているのは僕だ。それを踏まえて、自分にもう一度問うてみる。


 本当にそうだろうか?


 僕にできることは、もう何も無いのだろうか?


 わからない。


 グチャグチャに乱れた今の思考回路では、何も判別できそうになかった。


 少し気分の悪くなった僕は、目的の一つ前の駅で降りる。


 見慣れない駅を出て、ゆっくりと深呼吸をした。


 少し腹が減っている気がする。


 何をするにも、まず腹ごしらえが必要だろう。


 そう考えた僕は、ゆっくりと自宅に向かって歩きながら、途中のコンビニに立ち寄り、そこで適当な軽食と、普段は飲まないブランデーを一瓶購入した。


 自宅に戻り、コンビニの袋をまとめて冷蔵庫に放り込むと、来ていたスーツを乱雑に脱ぎ捨てて冷水のシャワーを浴びる。


 火照ったと、グルグルと気持の悪い思考を、冷たいシャワーが優しく冷ましてくれる。


 シャワーから上がり、パンツを履きながらコーヒーメーカーのスイッチを入れる。水が湧いている間にグラスを取りだし、中に氷をつめこんだ。


 買ってきたブランデーをグラスの半分ほど注ぎ、オン・ザ・ロックを作って作業机の上に置く。


 コンビニ袋からハムと卵のサンドウィッチを取りだし、席についた。


 習慣で机の上に置いてあるノートPCを起動しながら、僕はハムと卵のサンドウィッチにかぶりついた。


 ベーシックな具材。これぞサンドウィッチという味に頷き、ブランデーで流し込む。


 ウィスキーとは違う、後味に少し残る甘い香り。後からカッと喉を焼くアルコールが、荒ぶった感情をごまかしてくれる。


「…………小説を書こう」


 ふと、何気なく呟いたその言葉は、しかし口に出してみると、それ以外に正解がないような気がしてならなかった。




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