6.夢の結末②
2024年9月26日午前7時19分、空はよく晴れ渡っている。
私は5階建てのビルの屋上にいる。東に大きな建物はなく、太陽の日差しは私のいる屋上までしっかり届いている。今日も暑い一日になりそうだ。
少年は銃口を向けられたまま、どうにもならない状態で突っ立っている。少年といっても私より背が高い。見た目だけならもう十分に大人だ。
銃口を向けているのは私だから、銃口を外せば少年は逃げ出すかもしれない。でもこのまま少年に銃を向けていよう。
やがて銃を撃つその瞬間まで。
ビルの周りにはいくつもの似たようなビルがある。辺りのビルを見渡す。少なくても3ヶ所くらいから、ここが見える。
「コウキ君、刑事さんはどうしたんだい?一人でここにいるわけではないだろ?」
「きっとどこかに犯人がいないか探しているよ」
コウキ少年の声は酷く震えている。こんなに怯えた少年の声を聞くのは初めてだ。冬の雪山で遭難したような声だ。
「そうか、じゃあもうすぐここに来るだろうな。ここまで来るのはそんなに難しいことじゃない」
「おじさんはどうするの?僕を殺して逃げるの?」
「そうだな。そうするかもしれない。けど、それより、おまえはどうしたいんだ?」と、少年に尋ね返す。
少年は答えない。現実から目を逸らすように私の方を見ようとしない。
「聞こえないのか!!」出来る限り大きな声で少年に怒鳴りつける。「俺はおまえにどうしたいかって、訊いてんだよ!!」
少年の目から涙が流れ落ちた。はっきりとした涙だ。涙は頬をどくどくと伝い、顎から地表のコンクリートに垂れ落ちた。
「どうして、こんな事、するんだよ。どうして、こんな酷い事するんだよ!」
震える声が伝わる。私はにやりと笑った。
「俺はこれが正しいと思ったから、そうしたまでさ。何かいけないか?」
「いいわけないだろ!どうしてニシキ君を殺したのさ。どうしていろいろ酷い事をしたのさ?僕にはわからない。おじさんの言ってることがわかんないよ」
『そうさ。わかるはずがない』
コウキ君はそんな風に自分を否定して言ってくれると信じていた。わかっているけど私の答えはこうだ。
「しょうがないガキだな。正しい事が何かさえわからないのか?おまえは何が正しいかわかんないんだな?」
「わかるよ!正しい事くらい。少なくても、人を殺しちゃいけない。そんな事、していいわけないだろ?」
『そう、それでいい』
知っている。間違えたのは私だ。もうどうしようもないところまで、間違えた。
知っている。私は間違えに間違えて、取り返しがつかなくなった。様々な意思に心を揺さぶられた。何もない空っぽな心に、いかにも正当な意見を突きつけられ、それが正しいと信じるようになっていった。
何も持っていない人間は、それが正しいと言われればそれが正しいと信じてしまう。今はその事に気づいている。
「俺が間違っているのか?」
私はコウキ少年にわざわざ尋ねる。
「そうだよ!おじさんは間違っているよ」
「どこが、どう間違っている?ニシキはとんでもないダメ人間だったから殺したのさ。世の中は金持ちばかりが得をするから金を奪ったのさ。その俺の何が悪い?」
「誰だって、ダメなところはあるよ。でもニシキ君はいい奴だったでしょ?お金なんてどうでもいいんだよ。お金を気にする奴の事なんてほっとけばよかったんだよ。そうでしょ?どうしてそんな事をしたのさ」
『誰かに言われたそうした』
私はそれが正しいと信じきった。
私は空っぽの人間だった。だからそれが正しいと信じた。
私はその程度の人間だ。
目の前にいる少年は違う。何が正しいかを知っている。そして正しく生きようとしている。私はその事にほっとしている。
「俺は俺がしたい事をしたまでさ。おまえはおまえがしたい事をしたいか?正しい事をしたいか?」
少年は私の方をしっかりと見つめた。彼は涙を流しながらも意志のしっかりした強い顔を見せた。何も言わなかったが、その表情に少年の意志を感じた。
「そうか。それならおまえはおまえがしたい事をすればいい。そうしたいままにそれを成し遂げろ!いいか!世の中はそんなに甘いもんじゃない!おまえは何者かの意思に揺らされ、世の中の意思に揺り動かされるだろう。それでもおまえがそこに正しさを感じないなら、世の中の意思になんかに惑わされるんじゃねえ!おまえはおまえが一番正しいと思う道を選べ!小さな間違えを犯すこともあるだろうよ。それでも大切な事を決めるときは自分の心に問え!何が正しいかを問い、自分が一番好きな答えを出せ!それがおまえの正しさだ!」
この世は少年に託す。私はにっこりと笑みを浮かべた。
そして銃の引き金をコウキ少年に向けて、ゆっくりと引いた。
発砲音が鳴り響き、放った弾丸はコウキ少年の耳元をかすめ、後ろのコンクリートの壁にぶち込まれた。
別の発砲音が遠くからやってくる。同時にどこからか放たれた弾丸は私の脳天を捕らえ、そこにめり込んでいった。
知っていた。すでに警察は包囲していた。全ては狙いどおりだった。
コウキ少年の意志の強いままの表情が目に映る。
『少年よ。またいつかどこかで会おう。きっと僕らは出逢えるだろう。もっとよき世の中で、僕らは出逢う事ができるだろう』
私は少年の目にそう伝えた。
2024年9月26日、私は死んだ。
夢の中で死んだ。もう二度と、この夢に戻ることはないだろう。




