3.悲しい物語①
2024年9月25日だった。
ニシキは薄暗い家具だらけの部屋に二階から通じる梯子を下りて戻ってきた。
辺りは騒然としていた。あちこちでパトカーのサイレンが鳴り響いている。ニシキは何かが起こったと感じ取っていた。
部屋に戻った理由は特になかった。
ただどこかで何が起きているが、どこで何が起きているかは分からないので、慌てて動くような真似をせずに部屋に戻ろうと思っただけだ。
0.5階の入口の下で何か事が始まるのを待っている。ジャンパーの内ポケットに忍ばせた拳銃を握り、安全装置をいつでも解除をできるように親指に掛けて待つ。
部屋の入口の扉は開いた。
強い西日が部屋の中に入り込む。ニシキは目をくらませるが、瞬時にそこに立つ人間に向けて安全レバーを引き下ろし、銃の先っぽを向けた。
目はすぐに慣れ、そこに立つ男の姿が確認できた。
知っているような、知らないような男がそこには立っている。いや、その男をよく知っている。だけどなぜだか、その男は知らない男のように見える。
老いたせいか?そうとも言えない。見た目が変わったのだろうか?僅かにそれはあるかもしれない。でもそれだけではない。雰囲気の違いをニシキは感じる。
だけど恐れずに微笑み、自らの姿を晒し、その男に挨拶をする。
「カズさん。お元気でしたか?」
カズと呼ばれるその男は笑顔を見せずに部屋の中に入ってきて入口のドアを閉めた。
「やあ、ニシキ君じゃないか。君に会いたいと思っていたよ。ちょうど会えてよかった」
「そうですか。俺も会いたかったです。いったい今までどこへ行っていたんですか?」
ニシキはカズと距離をおいた状態で尋ねる。
「そうか。君はあれから何も知らなかったな。俺はあれからボスに会った。そして絶対的な任務を与えられた。俺はその任務を果たすため、必死になっていた。だが今日でその任務も終りそうだ。やっとここへ戻ってこれたよ」
平坦な感情のない声でカズはニシキにそう話す。
「そうですか。それはよかったですね。俺もしばらくここにいたんですが、カズさんがどこへ行ったのかはずっと気になっていたんですよ」
カズはにやりと微笑んだ。
そしてニシキの前を通り過ぎ、ベッドのある奥の方へと向った。
「外が騒がしいですね。何かあったんですか?」と、ニシキはカズに尋ねる。
「ああ、世の中はとても騒がしい。問題だらけさ」
カズはベッドには寝ずに、その傍にある白いソファーに腰を下ろした。
「ところでニシキ君、拳銃を持っているのは、こんな時代だからまあいいが、どうしてその銃口を俺の方に向けたままでいるのかね?」
確かにニシキは銃口をカズに向けたままだった。
自分でも気づかなかった。まさかそんな状態で何気ない話をしているとは自分自身でも驚いた。
「ハハ、どうしてですかねえ?ちょっとびっくりしてそのままに」
そう笑って答えて、銃口を下に向けようとするがそれができない。その銃口を下に向けることを体が拒んでいる。
そこにいる男から銃口を逸らせてはいけないと、体は無意識に言い続ける。
薄暗い部屋の中でニシキはソファーに座るカズに拳銃を向け続けた。その手は緩むことなく、しばらく時が流れた。
外から入り込んでいた僅かな明かりも弱まり、部屋には少しずつ暗闇が増してゆく。外は相変わらず騒がしいが、部屋の中は別世界のように静かな雰囲気を作り出している。
「カズさん、一つ聞いていいですか?」
ニシキは口を開いた。
「何?何が言いたいの?一つと言わずにいくつでも聞いてくれ。話そうじゃないか」
カズは拳銃を向けられていても、全く余裕のままに聞き返す。
「カズさんは、今も左の男や右の男に指示に従って仕事をしているんですか?」
「いや、あいつらはもう俺の下だ。従わせているのは俺さ」
憤りを感じるような強い震えが体の内から溢れてくる。ニシキの喉には何かうまく言い表せない塊が詰まっている。そいつを吐き出したい気持ちが溢れる。
でも、もう一度冷静に次の質問を投げかける。
「カズさん。質問しますよ。ブルーモンキー団をご存知ですよね?」
「ああ、もちろん」
「カズさんや左の男は、ブルーモンキー団と関わっているんですか?」
部屋に笑い声が響き渡る。高々とした笑い声だ。
「そりゃあ、そうさ。俺がいなければ、ブルーモンキーは存在しないと言っても過言でないくらいの関係さ」
ニシキは笑顔を消す。
暗闇が増し、二人はもはやお互いの表情を確認できない。
「俺の彼女は、ブルーモンキー団に殺されました。俺は許せないんです。ブルーモンキー団のやつらが」
カズはその言葉を聞くとソファーから立ち上がった。大きな影が天井を覆い、部屋中がカズの影に包まれたかのような感じだった。
それがニシキの意識のせいか、光の加減のせいかはよくわからなかったが、瞬間の不気味さにおののいた。
「嫌いなんだよ。俺はおまえが!」
その怒鳴り声はカズの声だった。カズがニシキに向けて発した言葉だった。
ニシキは完全に動揺した。思いもよらない言葉が飛んできたことに呆然とした。
「おまえなんて、嫌いだ!いつもうじうじしてやがって。不満ばかり言ってんじゃねえよ。すぐに人のせいにする。守れなかったのはおまえだろ?おまえが何も出来なかっただけさ。俺はそういう事を言うおまえが気に入らないんだ。俺はおまえに会いたいと言った。けど、俺はおまえが好きでおまえに会いたかったわけじゃない。おまえがいつも周りを不幸にするから、俺はおまえを殺すため、おまえに会いたかったんだ」
ニシキがふとカズの手を見ると右手に小さな拳銃を構えている。ニシキは焦ったがそれ以上に我慢ならなかった想いが口から先に出て行った。
「俺は周りを不幸になんてしない!俺の周りを不幸にしたのはブルーモンキー団、つまりあなたですよ。カズさん。あなたが世の中を、全てを不幸にしたんだ!」
「それは違うな。俺は世の中の不幸な奴らのために金をばら撒いた。世の中の楽観的な貧乏人はそれによって富と幸福を得た。でもおまえのようなどうしても不幸な奴はいつまで経っても不幸だ。それはおまえがうじうじしていて、何がどうなろうとあれやこれやと否定し続けるせいさ。おまえはネガティブになって周りを不幸にしてゆく。不満や怒り、妬みや僻みをいつまでも持ち続け、それを消せない。だからいつまで経っても世界に幸福はもたらされないのさ。おまえのようなどうしようもない人間がいるから、この世は永遠に不幸を生み出し続けるんだ」
二人は激しく憎み合う。
すれ違い、食い違い、憎み合う心が生まれた。そこから生まれた怒りは治まる場所を失ってしまった。憎悪が止まるには行き着くところにまで行き着くしかないのかもしれない。
『さあ、拳銃の引き金を引くんだ!』
互いに自らの脳にそう命令を促す。煮詰まった想いが右手に命令を与える。




