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夢と物語と泥棒と不幸  作者: こころも りょうち
5.夢と物語の結末
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2.長い長い夢②

 大人になった少年は、私が休むベンチまでやってきて冷たい缶コーヒーを手渡してくれた。

 少しずつ夕暮れは近づいていた。それでも街はまだ明るく、この国で今起きている出来事は全て嘘のように平和な時間が暖かく辺りを包み込んでいた。

 少年は私の隣に腰を掛けた。

 彼はすでに私より背が高く、私よりがっしりした体つきになっていた。怠けていた私の体はすっかりただのおじさんのようだった。


 (もら)ったコーヒーの缶を開け、それを一気に飲み干した。それから少年に尋ねた。

「柔術は続けているのか?」

「そうだね。今も変わらず続けている」

 大人になって声変わりしたコウキの声を感じる。しかしその声は昔と変わらない優しさに包まれている。

「そうか、それはよかった。今も先生に習っているんだな。勉強もしてるか?」

 その質問にコウキ少年は首をブルブル横に振った。

「あまりしてないよ。学校にも行ってない」

「そうか、それはよくないな。ちゃんと勉強しないと、いろいろと後々苦労するぞ」

「今は一人で住んでいるんだ。僕はしっかり一人で生きてゆけるよ。大人になったら警察官にでもなって、悪い奴を捕まえたい。そのために強くなるのが一番だよ」

 少年はそう言う。

 夢を語るわりには、その声はどこかとなく元気がない。

「んなら、なおさら勉強しておかないとな。警官になるのだって、試験があるんじゃないのか?」

 大きな少年はまたブルブルと首を振った。

「そんなのはいいんだよ。警官じゃなくても、悪人をやっつけることはできる」

 私は安堵(あんど)の笑みを浮かべた。

 少年は優しく育っていた。きっと私には関係なく、柔術の先生の教えをしっかりと受けたのだろう。夢の中で、コウキ少年は最も私の願うように生きてきてくれていた。

 こんな安らぎのない薄っぺらな夢の中で、幸せを与えてくれる唯一の存在として、そこにいてくれた。


 私は少年の顔を見つめる。

 少年はうつむいたまま顔を上げようとしない。いつまでもコウキはコウキ少年だ。

 大きくなった。どこまでも大きくなる姿を見ていたい。

『君が立派になってゆく姿を追い続けたい』

 心の中でそう望む。それでもこの夢は終りにしなくてはいけないと、私は考えている。

『いつまでも見つめ続けられる夢もあったのかな?いつまでも見つめていたい夢もあったのだろう?』

 今、私は激しい後悔をしている。

 どうして心も無く流されてしまったのだろう。金か名誉か地位か、恨みか妬みか、大きくしていったその存在は、私が一番大切にすべきだった時間を失わせた。


「おじさんは、悪人になってしまったの?」

 コウキ少年が突然小さな声で私に尋ねた。

 ふとコウキ少年の顔を見つ直すと、少年は泣きそうな顔でこちらを見つめていた。何も返す言葉が浮かんでこなかった。

「さっき、僕は見ていたんだ。家具の家の窓から、おじさんが警官の男を投げつけるのを見ていた」

 私の体から血の気がすっと引いていった。

「あの家に今も住んでるのか?柔術の先生の所にいるんじゃないのか?」

 少年は首をまたブルブルと横に振る。

「言っただろう?一人で住んでいるって。立派になるために一人で生きているって。ちゃんと聞いてた?」

 涙を浮かべて少年は私の方を見つめている。

 涙をぬぐって、崩れそうな表情をしっかり保とうとする。

 何も言えずに、私は二度頷いた。

「左の男と、右の男はどうしたのさ?あいつらに騙されて、おじさんも悪人になってしまったの?」

「何も騙されちゃいないさ。きっと俺はこうなりたかったんだ。俺はこうなりたくて、こうなった。左の男も右の男も今は俺の指示で、大きな銀行を襲っている。今、世の中を騒がしているブルーモンキー団のボスは俺さ」

 少年にその事を伝えた。

 少年は信じていないようだった。

「それじゃあ、困るよ。僕は、左の男や右の男、あいつらを捕まえるような大人になりたいんだ。おじさんを捕まえたいんじゃない。おじさんとは…」

 そこで声は止まった。

 その先に何が言いたいのかは感じ取れた。感じ取れたというより、そう言って欲しいと思いたかった。私は少年と同じ思いであるのを信じたかった。

 とても悲しい時間だった。とても辛い時間だった。それでも今が少しでも長い時間続いてくれないかと願った。

『夢を見直すことはできるのだろうか?』

 もし可能なら、全てを嘘にして、もう一度ここからやり直したいと願った。この夢の続きをやり直させて欲しいと願いたかった。


 でも、夢は許してはくれなかった。


「包囲せよ!」

 大きな声が響き渡った。一斉に制服を着込んだ警官が私らの周りを囲っていた。周囲30mほどの範囲はすでに包囲されていた。

「違うんだ」少年は言う。「違うんだよ。おじさん。僕はおじさんを助けようと思ったんだ。おじさんが縛った馬込刑事にも言ったよ。おじさんは使われているだけだって。そうだろ?おじさん」

 コウキ少年の肩に手を当てた。(きた)えられがっちりしているが、どことなく優しさのある肩だった。

「おまえは間違っちゃいない。いつだって間違っているのは大人さ。俺や、君を置き去りにした母親、おまえはそんな大人になっちゃいけない。立派に育つんだ」

 私はそう言って、立ち上がった。たくさんのライフルが私の方に向いていた。

 いつだってこの夢を終りにする事は出来そうだった。両手を上げて、降参のポーズを取った。

「少年がいる。解放するまで、銃は撃つな!」

 辺りにそう伝えた。コウキ少年は離れようとしない。

「おじさん!嘘だと言ってよ!おじさんは騙されているんだろ!自分の意志なんかじゃないだろ!」

 殴り倒した刑事がこちらへとゆっくり近づいてくる。ゆっくりと時は動き出している。時は止まってはくれない。同じ時間は二度とやってこない。


「あんたがブルーモンキー団のトップか?」

 さっき、ボコボコにした刑事は尋ねてくる。私はその問いに答える気がない。

 面倒くさい。どうでもいい。

「俺はあんたには興味がない」

「このおじさんは、違うんだ。勘違いだよ。馬込刑事。だからこの人を逮捕しちゃダメだ。近くに悪い奴は別にいるんだ」

 コウキ少年はまだ私の場所を離れようとしない。いつまでも私をかばい続けようとする。


 夢の力は現実を勝る。変えられないことも多くあるが、奇跡を起こすことだってできる。

 警官たちが囲む外側から何かが投げ込まれた。それは小さな小石のような何かで、取り囲む警官の前にいくつも投げ落とされた。それが何なのか、警官たちは何もわからなかった。せいぜいただの小石くらいにしか見えなかった。

 でも次の瞬間彼らはそれを察知(さっち)した。

 大きな音を立て、小石は一つ一つ爆発し、煙を立てた。小石は小型の粉塵(ふんじん)爆弾だった。

 あちこちでパンパン音を立ててそれらは爆発する。彼らは煙に()かれて何もできない。

 私自身も煙に撒かれる。それは分かっている。この場を抜け出さなくてはならない。

 胸ポケットから防塵(ぼうじん)眼鏡を取り出す。なぜかそんなものを持っている。辺りでは怒鳴り声が聞こえる。

「きさま、何をする!」「うわーー」「くそお」だのなんだの。

 ブルーモンキーの団員が私のピンチに駆けつけたのだ。

「俺を甘く見るな。簡単にきさまらにはやられやしないさ」

 煙に目を傷めている馬込刑事の横を通り、そう言って去ってゆく。

 コウキ少年も当然現状が見えていないが、私の後を付いてこようとする。周りでは防塵眼鏡を掛けた団員が警官隊を襲っている。

「コウキ。ここから動くな。ずっとここにいろ」

「おじさん」

「すまんがここでお別れだ。俺には会わなくてはならない奴がいる」

 私はコウキ少年にそう伝える。

「ここを切り抜けられるな。鍛えた技でここを切り抜けるんだ」

 少年は目を(つむ)っている。コウキ少年の頬に手を当て、最後のお別れをする。

「じゃあな」

「おじさん。僕はまだ何もわからないよ」

 なぜなのか、なぜこうしたのか、それは私自身もわからない。

 いや、答えはもうすぐ近くで見つかるはずだ。

 煙の中を一目散(いちもくさん)に駆け抜けてゆく。誰も私の姿を追うものはいない。

 私は誰もいなくなった家具屋の方に向けて走り出した。追う者はもう誰もいない。


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