8.刑事の話
ニシキが家具だらけの暗い部屋の中で寝ていると、入口でコウキ少年の声がした。
最初は隠れるように寝続けていたが、やがてその声が気になり、身体を起こして玄関の傍までそろりそろりと移動した。
「確かに言ったけど、それが誰かなんて説明できない。刑事さんだって、僕が誰でどんな人間か知らないだろ?」
「確かに、この国は何年も前に崩壊し、今じゃどこに誰が住んでいて、何人の人間がいるかも分からない。数えられる人間はちゃんとした生活をできている人間だけだな」
コウキ少年はいつかいた刑事と話をしている。その声がニシキの耳元に届く。詳しい内容はわからないが、彼が何かをその刑事に伝えたのは確かのようだ。それが自分の話かどうかをニシキは気にする。
「だから今は言えない。ただ言えるのは、確かに刑事さんが言うように、ブルーモンキー団の関係者がここにやってくるって可能性があるってことだけだよ」
話の内容が自分でないとわかりニシキは安心した。そして続く話に耳をそばだてる。
「そうか。なら信じよう。俺は一度信じた事をずっと信じ続けることにしているんだ。無駄に動いても、無駄な力を使うだけだからな」
ニシキにその言葉に少しカチンと来た。
というのはこの数ヶ月間、ニシキは左の男を探して歩き続けた。しかしその男の姿を見つけられなかった。疲れては歩き出し、また休んで、少し元気になったら歩き出した。しかしそこには何もなかった。その行動は日に日に無駄になっていった。
そんな無駄な力をニシキは使い続けていたから、自分をバカにされている気分になった。
そんなニシキの気持ちはつゆ知らず刑事は話を続ける。
「俺は昔から気になる事が一つ起こったらそこを待ち続ける。それが成功に繋がってきたこともある。追うのはいくつもない。ただ一つだけ、そうするとやがて答えに繋がる道が見える。ここからどんな答えが生まれるかはわからない。でも答えは確かにここから導き出されるのさ」
「よくわかんないけど、まあいいよ。でもさあ、どんな奴が犯人か、だいたい予測できないと捕まえることはできないだろ?刑事さんどうするつもりさ?」
そこで少し間が空く。
「俺もどうすればいいかなんて答えはないな。でも後は勘が何とかしてくれる」
「悪人を見抜く力でもあるの?」
「さあな、俺が捕まえようとしているのが悪人とは限らない。悪人かもしれないし、善人かもしれない。俺は捕まえる相手を悪人、善人では選ばない」
「あんた刑事さんだろ?そんなんでいいの?」
「世の中は流動的なのさ。この間までの善人はいつの間にか悪人に変わっている。人は悪人にだって善人にだって、なる」
「僕にはわからないね。悪人はいつだって悪人で、善人は善人、悪人のふりをしている善人や善人のふりをしている悪人がいたとしてもね」
「世の中は流動的なのさ。自分が善人だと思っていても、誰かの目には悪人になる。自分は変わらないつもりでも世の中の目から外れると悪人にも見えてくる。俺は自分が善人だと思う犯人を幾人も見てきた。それ以上に俺は自分が悪人とも善人とも思っていない犯人に会ってきた。だから俺は善悪を人で判断しないのさ。おまえもその事を覚えておいたほうがいい」
その言葉がコウキ少年の気に障ったのか、コウキ少年は言葉を返さなかった。
会話は途切れる。
「一つだけ」刑事の声が再びする。「言える事は、善いか悪いかは判断したってしょうがないってことだ。俺はただ犯人といわれる奴を捕まえるだけさ。それが俺の仕事だ」
「わかったよ。だったらここで待ち続けるのがいいんじゃない?」
「ああ、そうさせてもらうよ」
刑事のその声を最後に、玄関の扉は『ガチン』と強く閉められた。
コウキ少年はニシキのいる方にやってきた。
「ああ、聞いていたんだ。言っとくけど、ニシキ君の事は何も話さなかったよ。刑事はずっと入口にいるかもしれないけど、左の男を捕まえるには刑事も必要だろ?刑事と会いたくないなら、二階に上る隠れ口から外には出られるだろ?」
「別にいいさ」と、ニシキは答える。
コウキ少年は何も知らない。ニシキが左の男に銃を突きつけようとしている。その事を彼は何も知らない。
刑事の勘はやがて当たる。
数日後、その日が訪れる。




