2.不幸に落ちた者の物語①
沙希の死が知らされた日の夜は廃ビルに進入して廊下で眠った。
昔に戻れば体は自然とついてゆく。そう感じて安心していた。
ニシキの体は心と共に過去の生活に戻っていった。
翌日、ニシキはブルーモンキー団のおこぼれで活気づいている街にいた。
どうしてこの街に来たのか、特別な理由は無かった。最近よくニュースでやっていたせいかもしれないし、自分が生きていくのにふさわしい場所と無意識に感じ取ったせいかもしれない。
街はブルーモンキー団がばら撒いた金で活気づいている。どこからか拾ってきた物や盗んできた物を売る連中が路上で店を開いているからだ。それに便乗して屋台を出し焼きそばやうどんを売って商売する連中もいる。ここには一つの形ある街ができている。
たいていの連中は無一文から這い上がった怪しい連中ばかりだが、中には安い物を求めてやってくる中流生活を送る庶民もいる。
ニシキはそんな街の人々に紛れて歩いていた。寒空の下、厚手のコートを着て歩いていた。
歩いているうちにここには用はないと感じてきた。だから道を逸れて裏路地に入り込んだ。
そこにはもうひとつの街の姿があった。街にはブルーモンキー団を名乗る連中も暮らしている。強盗をし、金をばら撒く連中だ。そんな奴らが暮らす日の当たらない路地がそこにはあった。
きっとニシキは沙希の敵を取りに来たのだ。街を歩いているうちにそう感じ出していた。
後ろから怪しい二人組がついてくる。
ニシキはすぐに感づく。周りの状況には今も敏感だ。そしてそいつらがただのスリである事を感じる。路地へと迷い込んだ堅気から金を奪い取る連中だろう。
後ろを振り向き、そいつらにがんを飛ばす。
髭を生やした二人組は自分たちが気づかれたことに慌てて、その場を去って行く。細身の背の低い二人組で強盗はできなそうだ。
さらに奥へ進む。今度はニヤニヤした顔の若者が現れた。
「やあ、ほしいかい?」と、若者はニシキに尋ねた。若者は紙袋を持っていた。
何が入っているかわからないが、ニシキはそれがなんだか尋ねもせずに頷いた。
「本物だと思うんだ。使えるはずさ」と、彼は言う。
「いくらだ?」とニシキはその若者に尋ねる。
「いいよ。いくらでも。それなりには欲しいけど」
若者は金に困っているようだ。ただそれはどこからか盗んだか、拾ったかしたものなのだろう。
ニシキは一万円札を三枚、若者に渡した。少し渋い顔をしていたが、若者は頷いた。
「まあ、いいか、ありがとう」
そう言って、笑顔の若者は去っていった。
何を渡されたのかわからなかった。物は風呂敷に包まれていた。でもニシキはとっさにそれが必要だと判断した。だから何かはわからずとも受け取った。
ずしりと重いものだった。すぐに確認したかったが、すぐに確認するようなものではないことを感じた。
しばらく歩き回って、人混みを離れ、一人、川べりに出て確認した。
それは弾丸入りの拳銃だった。ちゃんと6つの弾丸が拳銃に込められていた。
それは運が良かったのか悪かったのか、わからない。ただ確かに今のニシキにそれは必要なものだった。
それを使いたいと感じていたのだから。
※
空は雲ひとつ無い青空なのに、世界は黒い雲に覆われたかのように暗い。
ニシキは行く当ても決まらないまま、さまよい歩いた。断崖絶壁に立っていた。そこから飛び降りてしまってもよかった。
もう生きる意味はなかった。死んでしまってもよさそうだった。
『死んだら沙希に会えるだろうか?』
心の中でそう呟く。誰も答えてはくれない。
今度は『なぜこうなったのか?』と問う。その問題は何度も考えたが、何度考えても答えのないものだった。ただたくさんの後悔があるだけで前進はしない。
自分が生まれてきた意味さえわからなくなる。しかしそれは沙希と共に過ごした時間があったから考えられることだ。それまでの彼は生きる意味さえ考えなかったろう。
彼女と暮らした時間がニシキに生きた意味を与えてくれた。
『君のために生きられた。生きられただろうか?生きられたよな。小さいけど、幸せだった。いや、とても大きな幸せだった。小さくなんてない。大きな幸せだった』
それがニシキの全てだった。
拳銃をジャンパーの内ポケットから取り出した。使い方はよく知らない。
怒りは自分の内にあった。ブルーモンキー団に対する怒りだ。
でもニシキは自分の方向に拳銃を向けた。
誰を殺しても何の意味もない。もうニシキに幸せは戻らないのだから。
こめかみに拳銃を当てる。ロックを解除する。後は引き金を引くだけだ。
とても爽やかな風が吹いていていた。今日はこのまま天国へ行ける気がした。
それでいいはずだった。
でも引き金が引けない。きっと引き金を引くことはできるはずだ。後悔はなかったはずだ。もう生きる理由はなかったはずだ。
生に僅かな心残りもなかったはずだ。死んでよかったのに、死んで当然だったのに、死ねない。
死ねないんじゃない。誰かが死なせてくれない。死を引き留めている。
結局、引き金を引く瞬間は訪れなかった。
ずっと長い間、こめかみに銃口を向けていた。でも引き金はそのままだった。
どれだけの時が経っただろう。
周囲に誰も止めるものはいないのに、誰もやってこない場所なのに、周りを気にする必要もないのに。
引き金を引くのがダメなら崖から飛び降りてもいい。それもできるはずだ。
死んでよかったはずだ。自分に迷いはなかったはずだ。それでも死は訪れない。
『誰かが沙希をあんなに簡単に殺した。俺は俺を簡単に殺せるはずだ』
銃口は夕陽に向いていた。
誰もいない空の向こうを見つめていた。不思議なエネルギーが心の内から湧いてきた。
ニシキは沙希の声にならない声が聞こえていた。
理由はわからない。理由は最初からあるもんじゃない。
きっとこの銃口を向ける先は別にある。その方向が見つかれば、そこに答えはあるのだろう。




