6.ボスの生活をする夢
「夢の頂点はいかがなものだい?」
誰かが私にそう尋ねてくる。私はその声を無視する。声を聞こうとはしない。
森深い山の中に誰もが近づかずひっそり佇む屋敷がある。
私はその屋敷の茶色い毛皮に溢れた部屋の中にいた。
かつての屋敷の主はトチ狂った猟師で、やたらと毛皮を集めていた。猟師はいつのまにか死んでしまって、ずっと主を失っていた家だ。
私たちはそこをアジトと決めて住み始めた。獣臭い部屋だから気が少しやられる。だけど私はなぜかここで暮らしたいと感じて、ここで暮らしている。
毎日ここで過ごす。
細い男が私の付き人をしていて、言う事は何でも聞いてくれる。
今日何が食べたいか?
風呂は入れるか?
今、世の中はどんな状況になっているか?
細い男はどんな質問や要求にも必ず答えてくれる。私の生活で特にしなくてはならないことはない。何もせず寝ていたっていい。
でもひどく退屈で、やる気に満ちているから何かをしたくなる。
大きな画面を出して、そこから金持ちの家を探す。
金持ちの家のデータはサーファーっぽい男がいろいろと調べて管理してくれているし、髭爺さんが金持ちの家の情報を知っている。
私は何もしなくてはいいのだけれど、つい探してしまう。
一つだけ、私には役割がある。私には不思議な勘があって、どんな条件の家でも狙うべき家と狙うべきでない家を区別できる。
その勘は当たる。
だから私がここだと決めた家には、たいてい馬鹿でどうしようもない人間が住んでいる。だから襲いやすい。
私はそのゲームを楽しむ。次にどこを狙うかというゲームを始め、部下たちが私の指示に従って力を注ぎ出す。
それも終わってしまって暇な時間は体を鍛えている。
時としてマッサージ師を呼んで、マッサージをしてもらう。どこかの可愛い女の子がマッサージをしてくれる。
「これが頂点に立つものの生活だ」と、私は声の主に答える。
姿はどこにもない。気配もない。
細い男もどこかにいて、私を守ってくれている。彼は気配を消すのも得意だが、気配を感じるのが得意だ。だから誰かが来ればすぐにわかるはずだ。
だから声の主はここにいないのだろう。声だけが私には聞こえる。
「一つだけ残念な知らせがある」と、声は言う。
「何だ?」
「君の可愛がっていた少年だが、、、」
「何、コウキ、彼がどうした!」
毛皮の上に寝転がっていたが、がばっと体を起こした。
「彼は正義感を持っているようだ。とても真面目なようだな」
「だから、それがどうした?」
「いずれ気づくだろう。君は今の生活に満足か?」
私は満足だ。かつてない幸福を感じる。
全てを司るものとなった。世の中を動かしている。どこからともなく富を得た人間を処罰し、世の中の貧乏人に金をばら撒く。偉そうに理論で動く人間の財産を根こそぎ奪い、自由と楽しみに生きようとする人間に僅かな財を分ける。
小さな幸せが私の下からたくさん生まれている。その生活の頂点に立つ。聞いた話では我らの仲間は徐々に増えている。共に生きようとするものが私の下に集まっている。
私はこの夢の支配者だ。誰にもこのポジションを譲りはしない。譲れば、この夢を終りにするまでだ。
「夢の終りまで、俺はここに生きる」
「そうか、ならばそうするがいい。だがそうすれば君は君の育てた少年と、もう二度と会うことができないだろう」
私はそれでいいと思っている。コウキ君にはまっとうな生き方をしてほしいと思っていた。彼に会えないのは残念だけど、それは当然だ。
夢の中でもルールはある。そのルールには従わなければならない。
「彼は無事なんだろうな」
「ああ、大丈夫。君が通っていた柔術師の男が面倒を見ている」
彼なら安心だ。それはよかった。
声はそこでふと消えた。その声がどこから来たものなのかはわからない。まあ夢だからそんな事もあるだろう。
※
夜になっていた。声はまた、私を呼んでいた。
さっきと違って、声は屋敷の外、森の方から聞こえてくるのを感じた。私は声の呼ぶ方へと足を歩ませた。
春の森はまだ冷たく、凍ってしまいそうな空気に包まれている。夜の森を小さな懐中電灯一本だけの灯りで歩いていく。
ずっと先に、別の明かりが見えた。その方向へと足を歩ませる。
そこには神社があった。どこにでもありそうな森に囲まれた小さなやしろがある神社だ。
私はやしろの前に立ち、辺りを見回した。
「どうして孤独を選ぶ。今の君の人生には幸せはないはずだ。君は気づいているはずだ。どうして君は地位や名誉を求めた」
声はどこからか私の方へと届いた。私は辺りを見回して、その声の主を探す。
「夢見る者よ。新たな幸せを探そうではないか?私と君の望みは同じだ。私たちは共に平和で平等な世界を求めている。同じ目的を持つ力は一つでいい」
声の方向に目を向けたけどそこに人の姿はない。しかしその声には近づいている。
その渋く重厚な声質には聞き覚えがある。いつか聞いたことのある声、どこかからか響いてくる声。
「温、雅兼」私は少し疑りながら尋ねる。
「あんただな?俺に話しかけてくる声の主は」
神社の境内に白くぼやけた光が現れ、そこに黒服の怪しい姿をした温雅兼の姿が浮かんだ。
姿は形だけで、実体ではない。彼は私が見破ったなどどうでもいいかのように尋ねてくる。
「君は何を求める?何を求めてどこへ行く?」
私は答える。
「俺は、俺の求めるままに生きる。そしてその全てのために自らを捧げる」
「それは君じゃない。それは君の想いじゃない。君の心に入り込んだ魂の想いでしかない」
「俺はボスに託された。世界の金持ちから金を奪い取り、平穏に生きようとする貧乏人に金を分け与える。その役目を担った。果たさなくてはならない約束だ。
それだけじゃない。賛同する者も多く、俺らの組織は100人を越えるまでに成長した。
俺はあんたのようにそいつらから金を奪うような真似はしない。俺とあんたは違う。あんたは一人で崇められ、孤独だ。俺には多くの仲間がいる」
温雅兼は反論には動じない。
「それはどうかね?君はそう言いつつ、小さな部屋の中に篭って生きている。命を狙われ、日々怯えている。君には重責過ぎたのだよ。
君は地位を手に入れた。それは幸せじゃなく、苦しみだろう?無理をする必要はないんだ。君はその立場をこの場で捨てればいい。私が救ってあげよう」
私はこの夢に生きる。夢に自信と価値を感じている。ここでその夢を手放すわけにはいかない。
「あんたは俺に敵わない。俺はこの世界の全てを治める」
「君は夢も、君自身も、自分自身の意思で変えられると信じているようだね」
これは私の夢、そして私はこの夢が私の夢であると認識している。その通り、私はこの夢をいかようにもできる。
これまでは夢に流されてきたが、この立場にまでなれば、この夢をさらにより自分の意思のままに動かすこともできるだろう。
でも敢えて本心とは反対の考えを夢の中の登場人物に投げ掛ける。
「それはどうかな?俺にそんな大きな力があるかはわからない。ただ多くの仲間がいて、賛同してくれて、仲間の力になっている限り、俺はこの立場を離さないだろう」
温雅兼はにやりと微笑む。
「これだけは覚えておくがいい。一人の人間というのは一人の意思によって動いていると思っているかもしれないがそうではない。一人の人間の中にはたくさんの人間の意思が詰まっている。君の親や君の兄弟、親族、出会った仲間、様々な人が君に望み掛け、君はその意思に翻弄されながら生きている。
君は今ある君の意思が君自身の意思だと感じているかもしれないが、そうではない。それは様々な意思の重なりによって作られた仮想の意思にしか過ぎない。そして私自身も君自身の意思が生み出している存在。
よく覚えておくがいい。最終的に決めるのは君自身だ。ただ、君自身が今感じている意思は君を翻弄する多くの人間の意思にしか過ぎない。君は君自身で自分の生き方を選択できる。今ある君の意思は君自身の意思ではない。最終的に決めるのは君自身だ」
彼の言っている意味が、私にはよくわからない。彼の言っている言葉はちんぷんかんぷんだ。
私を惑わしているのだろう。そんな惑わしに騙されてはいけない。私はこの夢を楽しんでいる。私自身の意思でこの夢の中を生きている。
「消えろーーー!!!!」
私はそう叫んで、温雅兼の姿に拳を向けて突き刺した。
瞬時に温雅兼の実体のない姿は消えた。
辺りを見渡すが、温雅兼はもうどこにも見えない。
完全に姿を消した。声も聞こえない。私はどこにでもありそうな神社の境内に一人だ。
年は2023年を迎えている。時の経つのは早いものだ。




