3.そしてボスになる、夢
私は夢の中にいる。その夢はずっと続いていて、眠るたびに夢の続きを見る。
最初はゴミの山で使えるものを探す、訳のわからない夢だった。それから結婚詐欺師に指南する相談役となって、気が付くと強盗団に加わっていた。
そしてその夢はさらに私の視界を狭めた。ボスは私に言った。
『金持ちから金を奪い取れ』
余計なことを考える必要はない。この夢の遠い未来がどうなるかはわからない。
私はただ金を奪い取る作業に専念する。
それでも夢の中で不安はよぎる。夢は小さなミスさえ、ちゃんと残っていて、次の夢に繋がっている。
指紋が検出されないか、殴った奴を殺してないか、嫌な夢が心の内を揺さぶる。
それでも私は見事な手さばきで日々行動し、無事に仕事をこなしていく。
今は2022年7月、私は今日も無事、盗人を続けている。
※
携帯電話が鳴った。
その電話は気づいた瞬間に切れる。私は相手先の電話番号を確認する。この電話番号は、ボスからのお呼びだ。
『ひょっとしたら、目的までもうすぐ僅かなところまで来ているのかもしれない』
私はその予感に笑みをこぼした。
今日は家具に囲まれたマイホームに戻っていた。
時間は夜だ。一緒に暮らすコウキ君は深い眠りに就いている。
家の隅で雨宿りしていた少年もだいぶ立派になった。まだまだ子供だが、身長も私に近づくくらい伸びた。子供の成長は早い。
もしこの少年がいなかったら、不安に潰され、今の生活をあきらめて、再びゴミを漁る暮らしに戻っていたかもしれない。
コウキ少年の寝顔にはいつも助けられる。自分を不安や恐怖に立ち向かわせてくれる。
最近、感じることがある。私は以前より夢の中で現実のように生きていられる気がする。夢のはずなのに意識がはっきりしている。とても現実的だ。
『ずっと暮らしてきた家具だらけの部屋はこんな部屋だったろうか?』
私は疑問に思う。以前よりも夢がはっきりしてきたせいかもせれない。この空間の夢を見るのは久しぶりのせいかもしれない。
それでもこれはやはり夢だ。
現実にさえ感じられるようになってくる夢を、私は夢だと理解しようとする。
この世界の視界はいつも狭い。私はこの世界の外側で起こっているニュースや事件を何も知らない。
気が付けばいつも違う場所にいる。話は続いているけど、夢だから眠りに覚めてまた眠れば、いつも場面は飛ぶのだ。そしてその度にいろいろな事を忘れていく。
きっともうすぐ、この夢は終るんじゃないかと感じている。この夢が終り、現実に戻される。鍛えられた体は無く、追う使命も無くなる。
コウキ君とも、もう会えなくなるだろう。もともと存在などしていない夢の存在だ。この世界の全てはたま夢なのだから。
『こんな夢から目覚めたい』
私は以前ならそう思っていたはずだった。でも今はなぜか夢から覚めたくない。
恐くて不安な事はたくさんあるけど、私はここで確実に活き活きしている。
現実の私は、確か?
夢の中では現実の自分はなぜか思い出せない。もっと駄目な人間だったような気がする。もともと駄目な人間だったはずだ。
これは本当の私じゃない。強がっている。格好つけている。
夢を見ている私が抱いている勝手な理想なのだ。きっとこんな自分になりたいと感じているのだろう。
43歳の夢でやっと理想を見つけた。私は理想になった。2022年の夢の中で、ようやく私は前向きに生きられるようになった。
※
翌日だった。
私はボスの住むマンションにいた。
すでに夢は飛んでいる。ボスからのお呼びがあったのだ。
その夢は繋がっている。
今夜もまた、ワインが用意された。爽やかな甘酸っぱさが口の中に広がるワインだ。
少しだけワインの違いがわかるようになってきた自分がいる。
ここはいつもの暗い部屋だ。
煙草の煙が宙を漂っている。私はいつものようにソファーでくつろいで、ボスの真向かいにいる。
「どうして今日は、僕をここへ?」
珍しく、こちらから先に質問してみた。
「俺は思う。俺が君をここへ呼んだのではなくて、君が俺の場所へ来るように手配した」
と、ボスは答える。
私は頭にクエスチョンマークを立てて、質問する。
「何の事だか、よくわからない。左の男がここへ連れてきた。それは貴方の指示ではないのか?」
「さあ、俺はあいつにそんな指示をしたかな?正直、よく覚えていない。いつも俺はよくわからない。君は俺の前に急に現れた。そして俺がしたい事に応え始めた。俺はとても不思議に思っている。俺は君が何者なのか、いまだによくわかっていない」
「ボス、貴方が僕に与えた使命を忘れたのですか?貴方がやろうとした事に、私は賛同しただけですよ。その使命に応えているだけです」
ボスは煙草の持つ手をこめかみにあて、少し考えてから答える。
「そう。俺は夢を見ている。それは俺の夢じゃない。誰かの夢だ」
ボスはパッと目を見開いて、私の方を見ている。そして話を続ける。
「俺は見ている夢の流れに従っている。俺はそうしていれば目的が叶えられる。不思議な感触だが、俺の目的は、誰かが見ている夢の力によって、完成に向かっている。そこにはいつも君がいた。君はこの夢の中心にいて、とても力を持っている」
私はふとボスの目を反らした。ボスは何かに感づいている。
「俺は君に試練を与えたし、大義名分も与えた。それは君という人物が、この夢にとってどれだけ重要な人物か、俺が試してみたかったからだ」
私は知っている。これが私の夢だという事。だから、ボスの言っている、誰かの夢とは、私の夢だ。彼はまだそれには気づいていないのだろうか。
「あの、ボス。貴方の言おうとしている事がよくはわからないんだが、これが誰かの夢だとして、その夢の通りやれば貴方の夢が叶うとしたら、貴方はただの誰かの夢の中で夢を叶えようとしているだけだ。つまり貴方はただの誰かの夢の中の登場人物にしかなりませんが、それを理解できてますか?」
私は、これが私の夢であることをふせて、ボスにそう尋ねてみた。
「それは違うな。俺には確かな意識がある。俺は俺の人格を持っている。ただ誰かの夢を借りて、君に会っている。俺は意識を持って生きている。誰かの夢のただの登場人物ではない」
「誰かの夢の中で意識を持って生きている?」
そんな事あるだろうか。ボスは現実に存在する人物であって、私の夢に入り込んできていると言うのか。
「俺の知る限り、この世界で意識を持つ者はそうたくさんはいない。少なくとも俺には意識がある。そして俺は君も意識を持った人間だと感じている」
私にはボスが意識のある人物のように感じられてきた。でも彼はこれが誰の夢かはまだわかっていない。探っている。この夢を見ているのが私であるという可能性を。
この夢は私の夢であって、ボスは夢の中の登場人物のはずだった。登場人物がこの世界が私の夢だと知ろうとしている。
その事に、私は何となく恐れを感じている。額から汗が垂れる。
「ボスは少し狭い世界に閉じ込められすぎたのかもしれません。たまには昼の街に出た方がいい。そうすれば現実を感じられるはずです」
そう言って、ボスの意識をはぐらかす。
「その必要はない。俺はもうすぐ満たされようとしている。俺の知る限り、君は何かを隠している。隠しているが、俺はそれを知ろうとするつもりはない。俺はもうすぐ目的を満たそうとしている。俺はそれだけで十分だ」
その言葉の意図が私にはわからない。もうすぐ何に満たされるというのだろう。
私はワイングラスに口を付けて、心を落ち着かせようとする。
「そうか、俺はわかったよ」ボスは再び喋りだす。「このマンションはすでに何者かに包囲されている。君は左の男と共にこのマンションを脱出し、川を三つ越えたところにある右の男の住処まで逃げなくてはならない」
突拍子もないことを言い出し、私は心から驚いて、彼の顔を見た。
ボスの老けた顔が暗闇に消えようとしていた。そこにはもうすでに誰もいないかのように、彼の姿が消えている。
私はふと周りを見渡した。ボスの世話係をしていた細い男が奥の部屋に姿を隠した。
目の前の暗闇からボスの声だけが聞こえてきて、私は再び前を見た。
「いいか。俺は君に託すことにした。俺の意識はもうすぐ消える。そして俺の意志は君を含めた何人かに受け継がれた。人は消えてゆく。意志だけを託し、人はやがて消えてゆく。俺は君が生まれるよりずっと前から生きてきた。多くの成し遂げたい志があったが、全ては志半ばで途切れた。今もまた途切れようとしている。それでも俺の意志は受け継がれてゆく。俺には生きた価値がある。君たちに与えた意志、それが俺の生まれ生きた理由だ。俺は君に託したい。俺が生きた魂を君が継ぐ。そして成し遂げてくれると祈っている」
表のドアが開く音が響き渡る。左の男が現れた。
「大変だ!俺たちは囲まれた。サツの野郎に見つかったみたいだ。かなりの人数に囲まれている」
左の男は私にそう伝える。
私は急な展開についていけていない。
「ボス!早く行こう!」
左の男はそう言う。
私はボスの座っていたソファーを再度見つめる。でもそこには誰もいない。いたはずの誰かは消えてしまっていた。
私は左の男にボスが消えてしまったと伝えようとするが、左の男は目の前のソファーを全く気にしていない。左の男は私の方をじっと見ている。
「ボス。早く行きましょう」
なんと左の男は私をボスと呼んでいるのだ。なんだかわからない状況だ。
いや違う。わかっている。私にはボスの記憶がインプットされている。大丈夫だ。わかっている。
私はさっと立ち上がり、壁際にある戸棚の一番下を開ける。そこには拳銃が何丁か入っている。その全てを床に置いてあった黒い革のリュックサックに詰め込む。
ここから離れなければならない。そして川を三つ渡って、右の男が住む場所まで辿り着かねばならない。
※
私は左の男と共に804号室を出る。マンションはすでに警察に囲まれている。
マンション8階の通路にはまだ誰もいない。
私は右手に銃を握る。使った事は無い。でもこいつをお守りに、ここから脱出しなくてはならない。
ここで捕まるわけにはいかない。前ボスの意志を引き継ぎ、目的を達成しなくてはならない。
「エレベーターは危険だ。階段で行く」
左の男が私に言う。
非常階段に通じる重い扉を、左の男が強く引き開ける。
『ガッ、ガガッ』と音がして、長い間使われていなかった扉は開く。
外から強い風が吹いてくる。闇夜の空を街明かりに照らしている。外を見渡すけどその場に人はいない。
「誰もいない」
「よし!」
私の一言に喜び、左の男は外へと飛び出す。私はすぐにその後を追う。
「顔を隠せ!」
左の男はそう言って、パーカーのフードをかぶる。私も持っていたニット帽を深々とかぶって顔を隠した。
かなり下の方に、人の姿が見える。彼らは何かを手に持っている。
その何かが光輝いた。
「気をつけろ!あの光に当たってはいけない」
左の男は階段に伏せて隠れる。
「あれは何だ?」
私は尋ねる。
「カメラだ」
「カメラ?俺らを写すだけか?」
「あれは警察の新型カメラだ。あのカメラに撮られると、俺らのいろいろな情報が分析される。顔の形や身長、体重、様々な情報だ。そしてカメラで撮られた情報は犯罪者リストに登録される。国のあちらこちらに付いている防犯カメラにその情報は流され、俺らはどこにどう逃げようと常に監視され続ける」
「面倒だな。一層の事、捕まえにきてもらった方が楽そうだな」
「ふふっ、そのとおりだ」
私らはゆっくりと低い姿勢で階段を降りてゆく。あちこちでフラッシュの光が輝く。やつらは遠くから写真を撮るばかりでこっちに近づいてこようとしない。
気持ち悪いやつらだ。
2階と3階の踊り場まで降りたところで、左の男は立ち止まる。
「これ以上先は危険だ!ここで待て」
「どうするつもりだ?」
時がゆっくりと過ぎてゆく。遠くから何かがやってくる音がする。
「ウゥー、ウゥー」
パトカーのサイレンだ。
「増員か?」と左の男に尋ねる。
左の男は笑顔を浮かべている。私にはハテナだ。
パトカーのサイレンは近づいてきて、ちょうど真下で止まる。
「飛び降りろ!」
心臓がバクバク言っていたが、左の男の掛け声で、私は落下防止壁を飛び越えていた。
体は下に落ちていく。
落ちた場所には大きなマットの上だった。そしてマットは私たちを連れて動き出す。ここは車の上のようだ。
「顔を上げるな!奴らがシャッターを焚いている」
どうやらトラックのようだ。走り出したトラックはどこに行くのか?いや、考える必要はない。このまま右の男の住処に逃げるのだ。
このままうまく逃げ切るだろう。私にはその予感がする。これは私の夢だ。だからうまく行く。
やつらのカメラに私が撮られる事はない。私の夢で、やつらが私より優位に立つことはできない。私を追い詰めようとするならば、私は夢の世界の意識を高めてそれを封じるまでだ。
トラックはマンションを離れてゆく。激しく動くトラックの前頭部にはパトランプが付いていた。
そいつがさっきの音だった。警察のやつらは素直に騙されてくれる。これは私の夢だ。よくできている。




