9.試練の夢②
扉の先はだだっ広い空間だった。体育館くらいの広さがある。ただし天井はアパートの一室のように低い。
右の男はサングラスをして辺りを見回す。そのサングラスは普通のサングラスではない。赤外線やら紫外線、色々な光が見える。
「何か見えるか?」
左の男が右の男に尋ねる。
「いや、何もないな」
「しいて言うなら、部屋の中央付近に何かカメラのようなものがあるみたいだが」
左の男がサングラスをしていない目で辺りを見回して言う。
「それだけか」
右の男は答えて頷く。
「駆けるぞ」
左の男の掛け声で、広い部屋の向こう岸まで駆け渡ってゆく。中央を少し避け、反対側まで全力疾走をする。
「はあ、はあ」
私は軽く息を切らす。走るのは苦手だ。
ホールの反対側の床に扉が見えた。キッチンに見かける冷暗所みたいに、その扉は床に付いている。
一番乗りでそこに着いた右の男はその床扉を開ける。
辺りの電気がパッと消えた。そして視界が奪われた。ホールは真っ暗に変わった。
「やられたか?」
右の男が悔しそうに言った。
広い部屋の中央だけに、明かりが浮かび上がった。青白い光だ。真っ暗な状態よりは心も落ち着く。私たちはその光の方に目を凝らす。
その光から黒い人影が姿を現わす。黒く足元まで延びるロングコートのような服に身を包んだ人物だ。
私たちは戦闘態勢を取る。
「焦るな。あれは立体映像だ」
左の男が言う。
光はゆっくりとこちらの方向へと床を這うようにして迫ってくる。その光と共に黒服の男の姿も一緒にすぅーっと近づいてくる。
「何者かね?」
黒服の映像が喋り出す。だがその声はその映像からではなく、遠くのスピーカーから発せられているようだ。
「あんたは創設者の温雅兼だな」
右の男が尋ねる。
「わたしがそうとして、君たちは何者か?と、わたしは尋ねている」
左の男が答える。
「俺らはただの強盗だ。だがあんたの事は十分に調べている。あんたが信者から大量の寄付金を得ている事、無駄な金を遣わないように施設職員は最小に抑えている事、この先に信者から集めた多額の金が詰まっている金庫があるって事もな」
「そうか。よくぞここに来られた」
温雅兼は意外な言葉を口にする。右の男はその言葉を無視するように喋り出す。
「申し訳ないが、金は頂いてゆく。警察に届け出れば、あんたが法外の金を集めている事を知られる。だからあんたは届け出をしない」
「そうか。そうだとして、あなた方が金を得られるとは限らないが」
左の男は答える。
「俺たちを嘗めないほうがいい。俺らはどんな頑丈な金庫でもこじ開けてみせるさ」
「ふふ、まあ、そのような物があったとして、そしてそれが出来たとして、あなた方がここから出られるかはわからない。今ならまだ引き返してもらってかまわない。わたしは宗教法人の創設者。罪人をただ簡単に警察に預けるような真似はしない。今なら見逃してあげよう」
温雅兼はそう言って、にやりと微笑んだ。
髪はオールバックで、艶やか、髭を伸ばしていて、恰幅はいい。よく見ると中国の人民服のような格好だ。
私は何も言わずに、二人の回答を待つ。
「捕まえられるなら、捕まえてみるがいいさ」
左の男はそう言い、扉の下へと消えていった。右の男も続いて降りてゆく。私も降りようと後へ継ぐ、が、付き返された。
「おっと、カズさんはここで待っといてくれ、そのおっさんの様子を窺っててくれよ」
『やれやれ、ここで実体のない男を相手にお話か』と、嫌な気分になるが仕方ない。
確かボスは私に試練を与えると言っていた。これがボスの言う試練なのだろうか?まだ何の事なのか、全ては飲み込めていない。
わかった事は、ここが宗教団体の本部で、大量の寄付金が眠っているという事。そして目の前にいる立体映像の男がその創設者で、私はそいつと向き合っていなければならないという事だけだ。
温雅兼の立体映像はじっとこちらを見つめている。何も言わず、じっと突っ立ったまま落ち着いて、下に下りていった左の男と右の男を待つ。
「君だけが残るか?」と、温雅兼の声をしたスピーカーは尋ねる。
私は答えない。下手な回答は彼を図に乗らせる事になる。何となく気に入らないおっさんだ。どことなく上から見下ろす様な態度をしている。
「君は心からの強盗ではない。わたしはわかる。君は現状を望んでいない。それが君の生き方ではないだろう。考えを改め、わたしたちの教えを学ばないか?」
彼の問いかけには答えない。答える事は負けに値する。
「君はお金の事を気にしている。今のままなら十分な儲けがある。いつまでも続くとは思っていないが、現状を失いたくはない。でもそんな意地は早めに捨てたほうがいい。大切な物はお金ではない。幸せを作るためには他に大切な物がある」
軽く目を閉じる。温雅兼の声は私の気持ちに訴えかけてくる。その声に負けてはいけない。
「わたしがお金を集めていると思っているのかもしれないが、それは勘違いだ。わたしはただ彼らから財を離れさせ、本当の幸せに対して必要なものを与えているだけだ。財があれば人はその財を気にする。生きるために必要なものしかなければ、財は不要だ。そして財への意識は失われ、別の幸せに気づく。君の傍にいる人、美しい景色、心地よい香り、今まで気づかなかった様々な物が君に幸せを与えてくれるだろう」
声は広い部屋の中に響き渡る。あちらこちらから反響してやってくるその声は何重にもこだまして聞こえ続けさせられる。
『金が欲しいとは言わない。別に金のためだけに生きているわけではない。だからと言って、こいつの言う事が正しいとは感じない』
自己の意識を高め、自分の正しさを探す。
「君は孤独だ。世界は君を孤独にしてゆく。なぜ君はそれほど寂しい世の中を生きようとするのだろう。恥ずかしがり、恐がり、怯え、君は一人になった。一人なら恥はかかない。君に被害を及ぼす者もいない。君は自由に生きられる空間に出た。でも君は誰にも相手にされなくなった。そして孤独になった。孤独から脱却する術を失ってしまった。心はずっと孤独だ。わたしたちは共に祈りを捧げ、一つの教えを信じている。そこには強い共感があり、同じ未来を目指す明らかな道がある。君もその一員にならないか?今ならまだ間に合う。人生はいくらでもやり直すことができる」
私は首を左右に振る。気にしてはいけない。孤独なんかじゃない。皆一緒にいる。
「君は誰の、どんな心がわかると言う?誰かが君を心から理解してくれるか?君は誰の心の中も見れないし、君の心は誰にも見ることができない。わたしたちの教えを感じれば、君はわたしたちと同じ感覚を得ることできる。共に感じ、共に理解し合える。わかっているはずだ。その方がずっと幸せだという事を」
『違う。そうじゃない。僕は僕だ。僕は僕の考えを持つ僕という人間だ』
そう自分に言い聞かす。
「共同理解に至る事が君の心を失わすわけではない。わたしたちはある一点において一緒の意識を持つというだけだ。その事が大事だ。我々は決して君が思うような悪い者ではない。君は君の仲間に騙されている。さあ、こちらに来るがいい。君はまだやり直せる」
私は再び目を開く。温雅兼の映像は乱れている。実体ではない。
生身の今を信じたい。たとえ考え方が違っても、性格が違っても、ここにある実体を信じる。実体のわからない神など信じない。たとえ神を敵に回そうと、身の回りにいる我ら人間を信じたい。
「無駄だ。無駄な事を君はしようとしている。君は間違っている」
声は爆発的なでかい音で響き渡る。耳がいかれてしまいそうだ。
「逃げるぞ!」
床から左の男の声が響いてきた。私はそっちに目を移す。
地面の下に通じる穴から左の男が現れ、自分と同じ平面へと上がってきた。右の男もすぐに上がってきた。
「安っぽい人間どもめ!おまえらのような人間を生かして帰すわけには行かぬ」
スピーカーからは何者かわからなくなってしまった温雅兼のしゃがれた声が響き渡る。映像も歪み、ディスコライトのような様々な色の光がホールを照らし出す。
「走れ!」
私らは右の男の掛け声で、一斉に入口の方へと走り出す。
広い部屋の中央が輝く。今度は強い光に覆われて目が眩む。右の男も左の男も見えない。まばゆい光だ。だからその場へ立ち止まった。もう何もできない。




